logo After THE BARN #6 - From SCRATCH to Silverboy



SCRATCHより親愛なるSilverboyへ 元気にしているかい?

メールの返事が長いこと滞ってしまって本当に申し訳ない。6月半ばに2週間の予定で言い渡されたUS出張が延びに延びて1か月半もの長さになろうとは、さしもの僕にも予測できなかったんだ。今の仕事を始めてもう7年余りになるが、こんなことは初めてだよ。おかげですっかり、どでかいアメ車の運転にも慣れてしまった。

僕が滞在していたのはUSの中でもやや内陸よりの土地だった。娯楽らしい娯楽がほとんどなく、本を読んだり考えごとをしたりして夜を過ごすにはもってこいの環境。日本から持っていったポータブルプレイヤーで「THE BARN」を聴きながら、僕は出発前にノートパソコンを調達しておかなかったことをとても後悔していた。それがあれば、もっと早く君にメールが書けたはずだからね。だいぶ遅くなってしまって本当に申し訳ないが、君がTHE BARN TOURについて提示していたいくつかの疑問について、僕なりの意見を伝えておきたいと思う。

次なる君の疑問は確か「THE BARN TOURが進んでいくにつれ、演奏曲目に"クラシックス"の割合が増えていったのはどういう意味なのか」だったよね。以前のメールの繰り返しになってしまうけれど、今回この話で対象となるのは「ガラスのジェネレーション」「君を探している(朝が来るまで)」「SOMEDAY」「DOWN TOWN BOY」「スターダスト・キッズ」「Rock & Roll Night」の6曲。このうち「Rock & Roll Night」については前のメールで述べているので割愛とし、今回は他の5曲についての話をしよう。

5曲のうち、このツアーで最も早く演目に加えられたのは「君を探している(朝が来るまで)」。公式サイトのニュースレターによれば、この曲は1/31の福岡からレパートリー入りしている。この頃のHKBは関東一円での半月にわたる日程を無事に消化、直前には京都において序盤戦の締めともいえるような会心のライブを披露し、次のステップを模索し始めた時期だったのだろうと僕は思うんだ。実際ニュースレターにも佐野が「そろそろ曲順を変えよう」というようなことを言い出し、手始めにこの曲や「僕は大人になった」が演目に加えられたというようなくだりが掲載されていた記憶がある。

ここで問題なのはなぜこの曲が数多ある佐野のナンバーの中から真っ先に演目入りしたのか、ということ。この謎を解く手がかりとして、僕はこんな言葉を引き出しの隅から見つけてきた。
「世界中探してもこのバンドの音だなっていう雰囲気がすごいあって」
これはFRUITS TOURの真っ最中に佐野のFCによって行われた楽屋インタビューの中で、井上富雄が「君を…」の演奏について語っているコメントなんだ。このコメントから考えるにこの曲は、初めて6人だけで全国を廻ったツアーの日程半ばにして既に彼らの中で「自分たちのサウンド」と認識されていたと解釈していいと思う。つまりこの曲は"クラシックス"うんぬんを抜きにして、ずいぶん前からもうすっかりHKBの曲になっているんだよ。

THE BARN TOUR序盤の頃、バンドは2度めのアンコールで他の曲を演奏せず、意図的に「ロックンロール・ハート」をリプリーズしていた。それほど徹底して自分たちのサウンドで固めたツアーに初めて追加する演目としてこの曲が選ばれたのは、これが「HKBのサウンド」としてメンバー全員、自信をもって送り出せる曲だったからに違いないと僕は思うんだ。Silverboy、君はどう思う?

"クラシックス"の中で次にレパートリー入りしてくるのは「ガラスのジェネレーション」。公式サイトのニュースレターによれば、この曲が初めて演奏されているのは3/4の札幌、半月のインターバルを経たのち再開されたツアーの初っ端というわけだ。

この曲が演目に入ったいきさつについて、僕にはいささか思いあたる節がある。1月のツアー日程が終了する直前の1/26、バンドは京都の磔磔という老舗のライブハウスで"The Hobo King Session"と銘打ったライブを行った。この模様はニュースレターでも号外扱いで紹介されていたから君も知っていると思うけれど、このライブの演目の中に実はニック・ロウの「Cruel To Be Kind」が入っていたんだ。この曲は「ガラス…」の元歌ともいうべき曲であると同時にKYONのフェイバリット・ソングのひとつであり、ボ・ディドリーを初めとするロックンロールの名曲のカバーで構成されたボ・ガンボスのライブアルバム「THE King of Rock'n'Roll」にもKYONのヴォーカルで堂々収録されている。そのナンバーがこの時、KYONのヴォーカルに佐野のピアノという取り合わせで久しぶりに演奏され、大喝采をもって迎えられた。その後バンドの中に「"ガラスのジェネレーション"やりましょうよ」という気運が芽生えたとしても、それは当然の成りゆきだったんじゃないか、僕はそう思うんだ。

実際「ガラス…」はレパートリー入りした当初こそ原曲にかなり忠実に演奏されていたが、佐野の誕生日あたりを境にどんどんアレンジに手が加えられていって、大阪"ファイナル"の頃には小田原のドラムなんか、ほとんど磔磔で聴いた「Cruel…」そのままのパターンになっていた。本当のことは佐野自身に訊いてみないと判らないけれど、少なくとも彼らがステージで「ガラス…」を演奏する時、磔磔で演奏した「Cruel…」を大なり小なり意識していたことだけはおそらく間違いなかったんじゃないか、僕はそう思っているんだ。

3番目に演目入りしてくるのは「DOWN TOWN BOY」。僕の手もとの記録で間違いがなければ、この曲がローテーションに加わったのは3/8、仙台2DAYSの2日めのことだ。

今更こんなことを言うのもなんだけれど「THE BARN」というアルバムは素晴らしいアルバムだ。HKBの6人がそれまでの音楽経験の全てを持ち寄り、その最大公約数的な部分を見事に紡いで確固たるバンドの音を作り上げたという意味で非常にいい仕事であると思う。しかし、当然のことだが、これが佐野元春というアーティストの持つ手札の全てではない。このアルバムには収録されていないけれど佐野のライブに必要不可欠な音、というのも確実に存在する。僕が思うに、その中のひとつにストレートなロックンロール・ナンバー、君の言葉を借りて言うなら"身も蓋もないロックンロール"というのがあるんじゃないだろうか。

ツアー開始当初、この"身も蓋もないロックンロール"にあたる部分はアンコールの「デトロイト・メドレー」に一任されていた。全編20分を越えるこのメドレーをアンコールの割当時間まるまる一杯使って演奏することで今までのサウンドとの接点をつくり、その代わり本編は「THE BARN」サウンドに集中しよう、今のHKBが最も得意とする音で心置きなく固めようというのが、おそらく当初の佐野の考えだったんじゃないかと僕は思うんだ。

だがライブは生き物、状況は刻一刻と変化する。それに加えてHKBというバンドは、ライブごとに猛スピードでどんどん成長していくバンドだ。成長に従って曲目も音数も増えていけば当然、ステージには様々な問題が派生してくる。仙台公演の頃というのは、そういったバンドの成長に伴う諸問題が目に見える現象となって一挙にステージ上に吹き出した時期だった。音数と音量の増加をPAがフォローし切れなくなりハウリングが急増、モニタースピーカーの音量も確保できなくなり、ついにはそれがステージに影響を及ぼすほど深刻になっていたんだ。実際、前日の3/7の公演では「Rock & Roll Night」のハイライトシーンでピアノとドラムのテンポがずれてしまうという大失態も発生していた。

そんな状況下、佐野が「DOWN…」を演目に加えた意図は何だったのか。これはあくまでも僕の推測だけど、佐野は本編のラストに"身も蓋もないロックンロール"の必要を感じたんじゃないかな。問題をすぐに解決できないとしたら、あとはプレイアビリティでカバーするしかない。そのためには最後に一発、多少音響が悪かろうが何だろうがそんなものは吹き飛ばしてしまえるようなナンバーを演奏しよう。"身も蓋もないロックンロール"で観客と一体になって突っ走り、気持ちよく楽屋に引き上げよう。佐野はそんな風に考えて、本編のラストに「DOWN…」をもってきたんじゃないか、僕はそう思うんだ。Silverboy、君はどう思う?

さて、大変申し訳ないが、あと2曲についての続きは明日にさせてもらえないかな。明日は早起きしなくちゃいけないんだ。そろそろ寝ないと僕は起きられる自信がない。

また明日メールするよ。それじゃ。

SCRATCH



[ backward | forward ]



THE BARN SPECIAL

AFTER THE BARN



welcomewhat's newmotoharu sanomy profilemy opiniondisc reviewtravelmail to methank youlink


Copyright Reserved
1998 SCRATCH, Silverboy
e-Mail address : silverboy@t-online.de