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親愛なるSCRATCHへ

「THE BARN TOUR」が終わった。僕たちは街に戻りツバメは北の国に帰った。キミの手許には何が残っただろう。

今日は暑い一日だった。僕はビールを飲みながらエルビス・コステロの「Almost Blue」というアルバムを聴いていた。外からはドイツ人の子供たちのサッカーに興じる声が聞こえてくる。風は優しげにそよいでいる。悪くない日曜の午後だ。

このアルバムは、キミも知っての通り、コステロのキャリアの中でもちょっと異色の作品だ。この作品でコステロはそれまでプロデュースをまかせてきたニック・ロウのもとを離れアメリカに渡っている。そして全曲カントリー・ナンバーのカバーという問題作を作り上げてしまった。もちろん今となってはこの作品をコステロのキャリアの中のちょっと変わったアルバムとして聴くぐらいの余裕はある。しかしコステロ自身にとって当時このアルバムを制作することは切実な選択であったに違いないと僕は思う。

ロック・アーティストにとって、表現の初期衝動を常にピュアなまま聴衆にたたきつけてゆくのは難しいことだろう。長く続ければ続けるほど、ある種の表現は巧みになり豊かになる。しかしその一方でデビューしたての頃のみずみずしい感受性や切りつけるような勢いは失われ、曲作りは惰性に流れ、演奏は伝統芸能のように型にはまったものになりがちだ。多くのアーティストが目の覚めるようなデビュー・アルバムを残しながら、その後見る影もなく凡庸な作品しか発表できなくなるのを、僕たちは何度も目にしてきた。

そんなとき、賢明なアーティストの幾人かは、自らのルーツを探しに旅に出ることだろう。コステロの旅はカントリーだった。結果的にこのアルバムは彼の転換点になる。次の「Imperial Bedroom」を彼はジェフ・エメリックのプロデュースで制作し、初期の怒れるポップ・スターといったステロタイプから何とか逃れようとした。コステロがロック・アーティストとして確固たる地歩を築くまでには結局この後まだ幾多の曲折を経ることになる。しかしもしコステロがあのときそれまでのスタイルを単純再生産するだけの道を選んでいたら、彼の表現はそこで袋小路に行き当たり、最初に歌い始めたときの切実さは少しずつすり減っていったことだろう。アメリカに渡り、そこで表現の初期衝動をもう一度「巻き戻す」こと、歌うことのやむにやまれなさを再び獲得すること、コステロにとって、自らの音楽を更新するためにはそうした手続きがどうしても必要だったのだ。

前置きが長くなってしまった。僕は別にここで「Almost Blue」と「THE BARN」の類似性を指摘したい訳ではない(その位相の類似性すら、だ)。なぜならコステロと佐野元春はまったく異なる個性をもったそれぞれワン・アンド・オンリーのアーティストであり、それぞれがアメリカン・ルーツ・ミュージックから受けた影響の質も度合いも異なる以上、表層的なアナロジーで単純に何かを読み解こうとすることは危険な試みだと思うからだ。僕がここで考えたいのは、佐野元春にとっての表現の初期衝動とは何かということであり、今回のアルバム、ツアーで受け継がれたものと更新されたものはいったい何であったのかということなのだ。

具体的に言おう。今回のツアーで「Rock & Roll Night」や「SOMEDAY」が歌われたことの意味はどこにあったのか。「ガラスのジェネレーション」や「スターダスト・キッズ」が演奏されなければならなかったのはなぜなのか。SCRATCH、キミはレポートの中で「SOMEDAY」が演奏されたときのことに触れ、そのときに感じた率直な違和感を表明しながらも、この曲を聴いて泣き出してしまった眼鏡の女の子の例を引いてこの曲が演奏されることのそれなりの「意義」を認めようとしたのだった。もちろん僕にもそのこと自体に異論はなかった。

しかし、このツアー全体の成り立ちを考えたとき、やはりキミが「SOMEDAY」に違和感を覚えたのは無理からぬことだったと思う。ツアーがスタートしたとき、その曲目はストイックなまでにアルバム「THE BARN」からのレパートリーで占められていた訳だし、僕もそのことに納得していた。しかしながらツアーが進むにつれてキミの言う「クラシックス」が増え始め、ファイナルでは「大蔵浚え」の状態にまでなったらしいじゃないか。それはいったい何を意味しているのか。

もちろんそれは、ロードする内にアルバム「THE BARN」の曲がバンドによって十分消化され、「クラシックス」と並べて演奏してもおかしくないレベルに達したからだと考えることもできる。だが、考えようによってはそれは、あくまで新しいアルバムによって勝負するという当初の「潔さ」が貫徹されずに、結局予定調和的な大団円になだれ込んでしまったのだと見られないこともない。

僕の見立てによれば、SCRATCH、それはこのツアーのはじめから演奏されていた唯一の「クラシックス」、「Rock & Roll Night」について考えることで明らかになって行くはずなんだ。それこそが「THE BARN」と佐野元春のこれまでのキャリアをつなぐ「失われた輪」であり、またこのアルバム、このツアーで佐野元春が受け継ごうとしたもの、更新しようとしたものを見極める手がかりでもあるのではないか、僕にはそんなふうに感じられてならない。

いつの間にかとりとめのない手紙になってしまった。是非キミの考えを聞かせて欲しい。ではまた。

Silverboy



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