logo 台湾日記


98年7月30日(木)

●急に台湾出張になった。水曜日の午後、デュッセルドルフからフランクフルト乗り継ぎで香港へ。ルフトハンザの長距離便は初めてだが、やはりスチュワーデスはごつい。顔の造作は端正でも、とにかく骨太で体格がよすぎる。これだと何か「あんた、ちょっと、コーヒーなの? 紅茶なの? はっきりしなさいよ」とか言われてるようでどちらが客かよく分からない(もちろん実際には言葉遣いは極めて丁寧です。話を面白くしているだけなので誤解のないように)。
●さて、香港で台湾行きの飛行機に乗り継ごうとして問題が発生した。パスポートの有効期間が残り6ヶ月以上ないと台湾に入国できないというのである。僕のパスポートは残りが5カ月と27日、ギリギリだが足りないものは足りない。香港市内の旅行会社まで行って、ビザを取るしかないと言う。仕方なく僕は上司とそこで別れ、ビザを取りに行くことになった。
●それだけのために香港に入国手続きをし、エアポート・エクスプレスに乗って市内を目指した。香港の新空港は開港してまだ1カ月にもならない新品だが、いかんせん市内から遠い。ピカピカの特急列車に30分ほど揺られてようやくセントラルに到着した。ここから地下鉄に乗り換えて一駅、重いスーツケースを転がして問題の旅行会社を探す。それにしても暑い。暑すぎる。気温はいい、この湿気をなんとかしてくれ。それから階段はやめてくれ。
●中華旅行社はまあ台湾のエージェントで、機能的には領事館のようなものである(人民中国に台湾の領事館がある訳ないもんね)。僕は旅行社と聞いて、きれいなお姉さんが「どうされました? ビザですか? それは大変でしたねえ」などと言ってくれるような甘いところを想像していたが、とんでもない。役所である。申請書を書き込み、3分間写真を撮って、今日中に発行してもらうための追加手数料まで払った。それから「クラッシュ」を読みながら待つこと1時間半、ようやく僕は2週間滞在のためのビザを手に入れることができたのである。
●それで空港にとって返し、既に搭乗時間になっていた飛行機にチェックインをお願いしたら快くやってくれた。でも荷物はもう預かれないと言うので、また15キロのスーツケースをころころ引っ張ってゲートまで走った(ちなみにチェックインがすんでいれば置いて行かれることはないので走る必要はない。誇張表現である)。2カ月前に仕事で一泊したことがあるだけでよく地下鉄まで乗りこなせるよな、なんて自分で感心したりして(字が読めれば乗れる)。結局台湾に着いたのは予定より3時間遅れだった。
●大蔵大臣は宮沢元首相に。あと10歳若ければ僕は諸手を上げて賛成したけど、この厳しい局面で78歳の大蔵大臣はどうか。今すぐアメリカへ飛んでルービンと話し合ってその足でドイツへまわってワイゲルと会談なんてことはできないでしょう、さすがに。その点だけを懸念する。堺屋太一もどうも言ってることが抽象的だよな。まあ、これからだけどさ。

98年7月31日(金)

●今日も台湾。外を歩くことはあまりないが暑い。それも爽快な汗というよりじっとりべったり、気がつくと汗だくって感じのモンスーン的な湿度の高さである。僕はもう日本へは帰れない。
●笑ってしまうのはクルマの運転の豪快さ。僕は2回目なのでタクシーが市街地で堂々と反対車線を走って追い越しをかけても左折車両(台湾は右側通行)の横っ腹に突っ込んでいっても驚かないが、台湾が初めての上司はしょっちゅう「あっ」だの「おっ」だの言っている。それでも事故にならないのは、どの辺まではOKという暗黙のルールができあがっているからなんだろう。アテネもすごかったが台湾はすごい。
●すごいと言えば高雄と台湾の間の飛行機もすごい。5分とか10分間隔で次から次へといろんな会社が便を飛ばしている。超過密路線である。その中でもいちばん安いのはナショナル・フラッグの中華航空で、事故が相次いで客が減ったため値段を安く設定して客を呼びこんでいるんだとか。そういえば名古屋で落ちたのも、台湾で落ちて向田邦子が死んだのも中華航空じゃなかったっけ。
●メシは美味い。晩メシで食べた台湾料理の豚の角煮は最高だった。僕はだいたい脂身はダメだが今日のヤツは本当に美味かった。最後に食べた汁ソバも美味かったなあ。食べ物だけならドイツより確実にいい。それに緑のラベルの台湾ビールがこれまた美味い。
●ところで台湾は英語が通じない。だからホテルに着いたらまず名刺のようなホテルのネーム・カードを何枚かもらっておく。タクシーに乗ってホテルの名前を言ったってまず通じないから、そんなときは筆談するかそのカードを見せてここへ行ってくれと言う訳である。たぶん欧米人から見れば日本での英語の通じ方もこんな感じなんだろう。日本のタクシーで英語が通じるとも思えないし。

98年8月1日(土)

●台湾も今日で3日目。とはいえ一日のほとんどは仕事をしているので街をゆっくり見物する時間もない。台湾の金融機関は隔週週休2日なので今日は営業日だったのだ。仕事が終わった後そごうへ行って「地球の歩き方・台湾」を買った。なにしろ急な出張だったのでガイド・ブック1冊買う暇もなかったから。明日は1日フリーだからちょっとは出歩けるかな。
●それにしても台湾人の商売魂はすごい。デパートで品物を見ていると寄ってきて片っ端から商品を説明し始めるし、台湾料理屋では注文する前から自分でメニューを繰ってこれが美味い、これはどうだとほとんど押し売り状態である。日本人の行きそうなところにはきちんと日本語のできる人間がいるし、「いらっしゃませー」「ありがとござましたー」は忘れない。まったくドイツ人にはこの台湾人の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだ。

98年8月2日(日)

●足の裏マッサージに行ってきた。台湾に来たらこれをやるのが常識らしい。足の裏は神経系の末端であり、身体の老廃物が沈殿する場所でもあるから、ここにできたしこりをほぐすことで逆にそれに対応する臓器の状態がよくなるというのがその理論的背景である。マッサージ屋は街じゅうにあるが、ホテルのコンシェルジュにすぐ近くの1軒を教えてもらって訪ねた。
●実践的にはまず磨き粉のような薬を入れた湯に10分ほど足を浸す。それから脚台のついたソファに足を投げ出して座ると、白衣を着たおじさんがおもむろに足の裏をグリグリやり始めるのである。これがかなり痛いと聞いていた割にそうでもなかった、と思っていたのはやはり最初だけで、おじさんは次第に力を入れはじめるし、弱っている臓器のツボに入ると声が出てしまうほど痛い。拳骨のとがったところでしこりが取れるまでグリグリやるからこれは本当にかなり痛いのだ。僕が「あいたたたたたた」と言ってもおじさんは冷静に「腎臓」とか言うのみである。
●これが30分続く。本当に痛いところに来ると足に力が入って足の指を丸めてしまう。両方の足をまんべんなくやったあと、老廃物を対外に排出するためお湯を飲んで終わりである。終わってみるとどこがどうなったという訳ではないが、確かに足の裏がすっきりして身体が軽くなったような気はする。またやってみたいと思う。ちなみに料金は900台湾ドル(3600円程度)。高いのか、安いのか。
●忠孝東路のタワー・レコードへ行ったが、これはと言うようなめぼしいものはなかった。それにしても、オアシスの「Be Here Now」の国語タイトルが「全体集合」とは。気持ちは分かるがドリフターズじゃないんだから。ちなみに「Definitely Maybe」は「絶対確実」、これはちょっと誤訳だろう。バンド名そのものは日本語フォントでは表示できない漢字に国語訳されていた。カナのない国って苦労が多いだろうな。
●その他今日買ったのは、中国茶をいれるための急須と茶器のセット。3階建ての大きな土産物デパートで買ったんだけど、朝一番だったせいか他に客の姿もなく、売り子のおばさんの集中攻撃にあった。結局1560台湾ドルのセットを1350台湾ドルに値切って買った。それからワーナー・ブラザース・ショップで、トゥイーティーの箸置き。ドイツのワーナー・ショップにもトゥイーティー・グッズはあるけど、箸置きはないもんな。確か香港にも箸置きはなかったぞ(流れるボールペンはあったけど)。

98年8月3日(月)

●今日は銀行へ両替に行ってドイツ・マルクのマイナーさを痛感。かなりしっかりした銀行でもマルクのキャッシュは買い取りできませんと言われた。しかたなく少し離れた中国国際商業銀行へ行ったが、ヨーロッパじゃマルクは時としてドルよりメジャーなのに。これじゃうちの引き出しに死蔵されている日本円の紙幣を持ってきた方がよかったくらいだ。

98年8月4日(火)

●今日は台風だ。台湾では一定の警報が出ると会社も休みになると聞いていたのだが、今回の台風はそれほどでもなかったらしい。と言うか僕の滞在している台北からはそれてしまったらしく、他の街では飛行機の欠航とかもあったりしたそうだけど。台東の辺りに上陸して、そのまま台湾を横断して大陸の方に抜けて行ったのだろう。ちょっと風が吹いたけどこれといってすごいことも起こらないまま終わってしまった。
●台風と言えば昔、相米慎二監督の「台風クラブ」という映画があった。台風が近づくと平静ではいられなくなってしまう子供たちの気持ち。それって僕にはよく分かるような気がしたけど。実際に床上浸水したことも堤防の決壊におびえたこともない街の子だった僕には、台風は決して「災厄」ではなかった。

98年8月5日(水)

●檳榔って知ってる? 覚醒作用のある赤い木の実で、台湾ではポピュラーな嗜好品らしい。確かに街を歩いていると檳榔屋の看板が目につく。主に肉体労働者がタバコみたいにしてくちゃくちゃかんでいるものらしい。ペッと吐き出すと血みたいに赤いツバが道路にへばりつく。ちなみに「びんろう」と読む。これ変換出すの苦労したんだから。法規制が実施されるのも近いらしいから、興味のある人は早く試してみた方がいい(今なら合法)。郊外では、檳榔スタンドにはたいてい見えちゃいそうなミニ・スカートのお姉ちゃんが座っていてトラック運転手の気を引いているとか。
●台湾の街ネタをもう一つ。台湾では商店で買い物をしたときにくれるレシートに共通の番号がついていて、これが宝くじになっている。特賞に当たると8百万円ももらえるらしい。これは付加価値税の脱税を防止するため、商店がきちんとしたレシートを発行することを奨励するように行われているとか。2カ月ごとに抽選が行われるが、1週間程度の短いステイだと当選番号の確認も換金もできないのが残念だ。

98年8月6日(木)

●台湾滞在も明日が最後になった。今夜は荷物を詰めなければならないというのに、WOWOWで「シティボーイズ・スペシャル」なんてやっていたからつい最後まで見てしまった。そう、ここ台湾では、WOWOWやNHKの衛星放送が受信できてしまうのだ。何しろ沖縄とはもうすぐ目と鼻の先なんだから。でもそれより今からこの荷物詰めるの? これいったい全部スーツ・ケースに入るの?
●昨日の昼に食べた焼き豚屋は美味しかった。台湾人でごった返している狭い店で空いた席を奪い合うようにして食べた焼き豚とご飯。ちょっとスジが固いのとかどこの部分だか分からない得体の知れないのとかもあったけど、とにかく美味い。帰りに寄った氷屋も楽しかった。粗めのかき氷に、あんこや餅を4種類お好みで乗せてくれる。これとこれとそれから、なんて迷ったりしてね。それに焼き豚ご飯は110台湾ドル、かき氷は30台湾ドル、1台湾ドルは4円だから、これは安い。ドイツ人は兵役に行く代わりに台湾でサービス業と飲食店の修行をしたらどうだ。
●今回出張に持ってきたのは古いノートブック。なにしろCPUは486、メモリは4MB、OSは3.1というスーパーマシンである。重いしでかいし遅いけどちょっとは役に立った。やっぱりこれ、会社でまともなノート買いましょう。モデムも内蔵しててホテルのソケットにつなぐとすぐにメールも打てるようなヤツ。これ恥ずかしくて飛行機の中で使えないですよ。
●という訳でこの台湾日記も終わりだが、仕事は別にして、僕はこの2回の出張で結構台湾が好きになった。日本にいたときは台湾のことなんて考えたこともなかったけど、実際、この「国でない国」で一週間過ごしてみて、この国の面白さや楽しさ、不自由さや歪みの一端が見えたような気もする。香港が人民中国に返還された今となっては、留保なしに「資本主義の中国」と呼べるのはここだけだし、それにここには日本と浅からぬ因縁がある。テレビで台湾のタレントが北京語や台湾語に混ぜて日本語を使うとき、そこにはこの国が日本との間に持ち続けてきた微妙でねじれた距離感がある。僕はここに、いつかまた来てみたいと思う(結構すぐだったりして)。

98年8月7日(金)

●今、台北からバンコックへ向かうKLMの中だ。バンコックでワンストップした後アムステルダムへ向かい、そこで便を乗り換えてデュッセルドルフに着くのが土曜日の朝だ。
●今日昼に食べた小篭包は美味かった。日本のミニ肉まんみたいなヤツと違って、きちんと中に熱いスープが入っている。あと、春雨みたいな麺のラーメンも一緒に食べたけど、これも実に美味かった。これにちまきをつけても一人100台湾ドルちょっとである。何だか価値観が変わってしまうね。
●それに比べて(別に比べるまでもないけど)、さっきの機内食は不味かった。だいたい機内食独特のあの学校給食めいた臭いだけで僕はもうダメだ。機内食でも何でも出されたものはきちんときれいに食べる人もいるけど、僕は不味いものや多いものは遠慮せずに残すことにしている。だってせっかくの食事なのに、無理して我慢して食べて不快な思いをすることもないだろう。
●最後に台湾土産として、パイナップル・ケーキと絵はがきと流れるボールペンを買った。それにしても出国ゲート前の売店のババア、「パイナップル・ケーキを売っているのはここだけです。ゲートの中にはないですよ」とか日本語で言いやがって。ちゃんと中でも売ってるじゃねえかよ。嘘つくなよな、嘘を。皆さん、中正国際空港の売店には気をつけましょう。あと、KLMのビジネス・ラウンジは最低に狭かった。
●話がさかのぼるが、台北市内から中正国際空港までは1時間弱。タクシーに乗ると高速代や帰りの分の空車代などで、メーターにかかわらず千台湾ドル程度で握るのが普通らしい(メーターは600台湾ドルくらいになるらしい)。今日会社から呼んでもらったハイヤーは、空港まで固定で900台湾ドル、しかも黒塗りのメルセデスであった。おそれ多かったけどタクシーより安いのなら文句はない。
●ということで台湾日記も本当に終わりだ。バッテリーも切れそうだ。ではまた。


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