logo 「THE BARN」は問題作である。



これまで佐野元春のアルバムのサウンド・プロダクションは極めて「常識的」だった。もちろんアルバムの中に新しい試みが盛り込まれることはいくらでもあったし、それぞれのアルバムにそれなりのカラーというものはあった。しかしことサウンド・プロダクションに関しては、極めてオーソドックスなロック、ポップを中心に、トラディショナルなもの、アバンギャルドなものを内包しつつもアルバム全体として常にバランスの取れたものを構築してきた。

しかしこのアルバムで佐野はこれまでにない「偏った」サウンド・プロダクションを行っている。もちろんこれがジョン・サイモンのプロデュースの下、ウッドストックで制作されたアルバムだということを考えれば、このアルバムの音そのものは十分理解できるものだが、ここまで一つの世界に突っ込むということは佐野の作品系の中では異例なことである。

もっとも過去にその例がなかった訳ではない。「VISITORS」がそうである。このアルバムはNYで制作され、それまでのグッド・オールド・ロックン・ロールをベースにしたフレンドリーなポップ・ソングから、シリアスでヘヴィなファンクへとまさに180度の転換を遂げた作品であり、当時議論を巻き起こしただけではなく、その後に続く佐野の作品群の中でも極めて異質な作品となった。

しかしアルバムとして「VISITORS」は重要だ。それはもちろん、ファンやメディアを困惑させ、佐野自身をすらおそらくは戸惑わせた。佐野は「自分は魚座なのできれいな水に住めばきれいになるし濁った水に住めば濁ってしまう」と述べて、このアルバムがNYの緊迫した空気にいわば「あてられた」作品だということを暗に語っている。しかしこの作品がなければその後の佐野はなかった。ここではいくつかの重要な視点の転回がなされ、それはその後の活動を支えて行ったのだ。

「THE BARN」はそのような意味で「VISITORS」の双子の兄弟のようなものだと僕は考えている。コンテンポラリーなファンクとアメリカン・ルーツ、方向的にはまるで正反対のように見えながら、情況的な制約を取り払い、ふだんとは違う環境に身を置いて「音楽そのもの」を追求したという点で、この2枚のアルバムは驚くほどよく似ている。そしてその結果、それまでの作品系とは隔絶した「極端な」作品ができあがったという意味でも。

この作品が佐野を、HKBをどこに導いて行くのか、このアルバムが消化されるにはまだ時間が必要だ。しかしここで提示されたものはこれからの佐野の活動の底流となって行くだろう。僕はこのアルバムは問題作であり、同時に極めて重要な意味を持つ作品になって行くだろうと思う。聴く者に、自身と佐野との関わり方を問いかける厳しいアルバムである。



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1997 NISHIGAMI, Noriyuki a.k.a. Silverboy
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