VISITORS
4枚目のオリジナル・アルバム。先行発売されたシングル「TONIGHT」の両面を収録、また「COMPLICATION SHAKEDOWN」「VISITORS」「NEW AGE」がその後シングルカットされ、B面も含めるとアルバム中のすべての曲がシングルカットされたことになるが、一部の曲はシングルカットに際し編集が加えられた。 このアルバムは、佐野元春が1年間のニューヨーク滞在を経て、現地のミュージシャン、エンジニアと制作したもの(プロデュース、編曲は佐野元春)で、ロックンロールへのリスペクトをベースにしていた渡米前の音楽に比べると、サウンドプロダクション、楽曲ともにコンテンポラリーなファンク、ヒップホップに大胆な接近を見せている。こうした佐野の「変節」は大きな波紋を呼び、一部評論家、ファンからは前向きな評価を得たものの、多くのファン、メディアはこのアルバムを的確に形容する言葉を探しあぐねて当惑していた。 例えば日本にいてメディアから受け取るニューヨークの印象と、実際にニューヨークに渡って見る景色とは当然違う。どんなに鮮明な写真や優れた文章からニューヨークを知ったつもりでいても、そこに実際にある身を切るような緊張感、街が動いて行くスピード、秩序や無秩序そのものを感じとることはできない。渡米前の佐野の音楽が、ある意味で幸福なアメリカンポップ(ミスタードーナツのような)をその背景としていたとすれば、このアルバムで佐野は、ニューヨークという場所が抱えるより現実的な狂騒、興奮、そしてイタミから直接の影響を受けている。 そうした意味でこのアルバムは、渡米前の作品との連続性を欠いているばかりか、その後の作品とも本質的に異なる契機を内包しており、今日に至る佐野の作品群の中でも突出した作品となっていることは否定できない。「COMPLICATION SHAKEDOWN」「SHAME」「NEW AGE」など、その後の活動で重要な位置を占める曲も含まれてはいるが、ライブではその多くは大胆にアレンジを変更する形でその他の楽曲群との調和が図られており、それでもなお、このアルバムの収録曲がおしなべてはらんでいる張りつめたシリアスさが問題なく調和されているとは言い難い。 しかしながらこのアルバムのそういった特異性と、アルバム自体の評価とはまったく別の問題である。まず指摘されねばならないのはその日本語ラップへの取り組みであり、「COMPLICATION SHAKEDOWN」「COME SHINING」といった曲は、渡米前の作品で佐野が持ち込んだ日本語のビート感が、ラップという契機を得ることでよりラジカルに展開したものだということができる。こうした試みは、佐野がその後ポエトリーリーディングなどを通じて、日本語とビートのより先鋭的な関係を模索して行く重要な布石となっているはずである。ラップがまだ一般にほとんど認知されていなかった当時、オーガナイザーとして佐野が果たした役割は評価されるべきである。 またこのアルバムにおいて歌詞はより象徴的になり、ニューヨークでの生活が佐野のインスピレーションを新しい段階に引き上げたことを示唆している。国際都市としてのニューヨークに身を置くことによって、佐野はよりビビッドに世界とつながり、その問題意識、世代意識が拡大していたのではないだろうか。このアルバムの表現が時にあまりに生真面目でシリアスに思えるのは、おそらく佐野自身の本来的な資質ではなく、この街で体験する日常がこの時期の佐野をそのように鋭敏にさせていたのだということだろう。こうした表現が渡米前の達成と昇華されて真の意味で佐野自身のものとなり、佐野の活動の新しい局面が本格的に始まるまでにはさらに曲折を経なければならないが、その第一歩は間違いなくここで踏み出されている。 個人的には初めて自分で買った佐野元春のアルバムであり、当時は佐野の新譜だというだけで、もう何の違和感もなく毎日何度も聴いていた。大学に入って一人暮らしを始めた直後でもあり、このアルバムには特別の思い入れがある。好きな曲は「SUNDAY MORNING BLUE」と「NEW AGE」。「SUNDAY MORNING BLUE」はもともとあまり好きではなかったが、ある時クルマを運転しながらこのアルバムを聴いていたら、高速道路のカーブを曲がりきった瞬間にこの曲のアコースティックギターの間奏が流れてきて、理由もなく感動したことがあり、それ以来フェイバリットになった。「NEW AGE」は例のハートランドバージョンより、断然このオリジナル(しかもアルバム収録のロング・バージョン)がいいと思うのだが。 1997-2021 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |