よこすか芸術劇場 SCRATCHより親愛なるSilverboyへ 元気にしているかい? "THE BARN TOUR"の初日は、横須賀の米軍基地からもほど近い、よこすか芸術劇場という場所だった。ここはどうやら、普段オペラやクラシックに使われている会場らしい。ニューヨークのアポロ・シアターのようにアーチ型の座席が、5階までそびえ立っている。1階の前列から振り返るとかなり荘厳な感じだ。こういう客席ってステージから見たらどんな風にみえるんだろうな。 開演時刻の19時を少しまわったところで「逃亡アルマジロのテーマ」がかかり、会場から手拍子がおこる。だけど客電こそ落ちたものの、ステージ上はまだしーんとしていて人の気配は全く無い。そのまま曲が終わってしまい、暗い場内には再びBGMが流れ出す。これは演出なのか、それとも手違いなのか‥。Silverboy、君はどう思う? 5分ほどして再度「アルマジロ」。今度こそ出てくるだろう。みんな次々に座席を蹴って立ち上がる。いちだんと大きくなる手拍子。 明るくなったステージにメンバーが一斉に姿を現す。「これは!」僕は目を見張ったよ。HKBの奴ら、みんなジャケット・スーツ姿だったんだ。ただひとり、小田原以外はね。彼だけは生成り色とモカ茶のボーダーセーターだった。でも彼はドラマーなんだからこれが正解だよ。ドラムは叩き易いがイチバンさ。 佐野は黒の三つ釦スーツ、細めのズボンが細い足にぴったりだ。インのシャツは鮮やかな若草色。今にも"Young Forever〜"と唄い出しそうな明るい色で、はにかんだような笑顔がぱっと映えてみえるような気がしたよ。 KYONのジャケットも黒、しかも彼のは膝まであるようなロング丈だ。こういう服は長い足と精悍な顔つきの両方を備えていないと似合わないものだが、すっかり着こなしているあたりはさすがKYONだね。イイ男はこういう時得だ。 佐橋は赤・白・黒の太いストライプが入ったド派手なジャケット。彼は実によく心得ているね。佐野とKYONの間に立って2人に拮抗するなら半端な色を着ちゃいけない。一見どぎついこの服、その意味ではベストの選択ともいえる。 井上は逆に、珍しく淡い色のスーツだった。明るいライトグレー、上着の後ろはサイドベンツ入りだぜ。一歩間違えばダサダサになる色とデザインなのに、彼に限ってはそのシャープさをいっそう際立たせるようにみえるから不思議だよ。 "Fruits Punch"の時でさえスーツを着なかった西本明も、なんと三つ揃えで登場だ。きりりとひとつに束ねられた髪を見ると"Land Ho!"のタキシード姿を思い出すよ。ひとりだけベストを着ているのはやっぱり、腹が鍵盤を押すのを予防するためかな(笑)。 それにしても、Woodstock帰りの作品を携えたツアーにスーツで挑むとは思わなかったよ。10月のライブではみんなラフなシャツ姿だったんだぜ。冬になったからなのか、初日だからなのか、それとも会場に合わせてみたのか。佐野はMCで「こんどの衣装もいいだろっ!」なんて言ってたんだ。ということは今回のツアーはずっとスーツということかな。でもツアーグッズには、皮ジャンやデニムシャツが出てるんだぜ。Silverboy、君はどう思う? おっと、服装の話ばかりで長くなって申し訳ない。君はさぞかし焦れてることだろう。"肝心の演奏の方はどうだったんだ"って。君に聴かせてあげられないのが残念でたまらないよ。全くHKBというバンドは、まるで宇宙空間みたいなバンドだぜ。今この瞬間にも凄い勢いで拡散を続けていて、しかもどこまで拡がり続けるか全く予想がつきやしない。新譜である"THE BARN"の曲ですら、ほとんどの曲に新しい何かが施されているんだ。中にはまだ未消化の部分を残している曲もあるが、きっと彼らはそれをツアーの中で自然に消化させようとしているんだと思う。そしてそれがしっくり馴染んだ頃には、また違ったいたずらを思いついているに違いないんだ。 君がおそらくイチバンに聴きたがるのはあの曲のことだと思うが、まだ初日だし、総てを種明かししてしまってはあとの楽しみがない。だからあの曲のことは次の機会にして、本当に印象的だったシーンをひとつ書きたいと思う。 「ロックンロール・ハート」 「もし、もし気分がノってきたら、一緒に歌って。」佐野は客席にこう言って笑いかけてからこの曲を歌いだした。 君も知っているとおり、雑誌やラジオにおけるアルバムのプロモーション活動で、佐野ははこの曲の名を事あるごとに出してシングルでもないのにいち押ししている。憧れの人だったジョン・セバスチャンがセッションに参加したせいももちろんあるだろうが、佐野はこの曲をHKBによる新しい定番にしよう、つまり"モトハル・クラシック"にしようと目論んでいるんじゃないかと僕は思うんだ。詞の内容からいってもこの曲が"SOMEDAY"や"Rock'n Roll Night"と同じ、ロックンローラー佐野の軸芯に近いところから発せられているものであることは確かだし、逆に考えればそういう曲だからこそ、ジョンのハーモニカと歌声が必須だと佐野は考えたのかも知れない。間奏のハーモニカは当然佐野が吹く。曲そのものを優しく抱き締めるようにしながらね。うっすら閉じた瞼の裏には、おそらくWoodstockのスタジオでジョンがハーモニカの第一音を出した時、コーラスの第一声を発してくれた時の光景がくっきり浮かんでいるに違いない。 だが、僕が君に本当に話したいのはそのあとのことだ。佐野のハーモニカソロがまさに終わろうとする時、中央でオルガンを弾いているKYONが「ここを見よ!」と言わんばかりに傍らを指し示す。するとそこにはピアノを弾いている西本明がいて、引き続き今度は彼による16小節のピアノソロというアルバムにはない展開が始まる。たったそれだけのことなんだが、僕はそれを見た時、正直なところハッとした。"そうだ、この曲のピアノは西本だったんだ"アルバムのライナーにも記されているそんなあたり前の事実に、その時僕はひどく感じ入ってしまったんだ。 Silverboy、君ならばもう、僕が何を言いたいのか察しているんじゃないのかな。僕はHKBの結成前からKYONのファンだったし、ロックピアノを弾かせたら日本で彼に誰もかなうものはいないとすら思ってる。だからKYONがHKBという海賊船の舵輪を握っているとさえいえる今の状況は本当に心から嬉しい。だけど、佐野元春がその精神の芯に近いところを歌う時、やっぱりそこに必要とされるのは西本明のピアノなんだ。そしてそれをHKBのメンバー全員が分かってる。だからこそこの曲においてKYONはオーバーなアクションで西本を指し示し、佐橋は客席から彼がよくみえるようにすかさず脇により、佐野も井上も身体ごとピアノの方を向いて、わざわざみんなで彼をフィーチャーしてみせるんだと思う。西本明は、HKBの中で特別な役割を担う特別な存在なんだ。ちょうどTHE HEARTLANDでダディ柴田がそうであったように。前々から感じていたことではあったけれど、きょうこの"ロックンロール・ハート"の間奏ソロを聴いて改めてそれを感じたよ。そしてライブが先へ進んで"モトハル・クラシック"が演奏され、アンコールでメンバー紹介が行われると、そんな僕の思いは確信へと変わっていったんだ。 去年の秋、HKBがあるTV番組に出演したとき、トークコーナーで佐野が西本をフィーチャーさせようとして見事に失敗したことがあった。僕はその時、"おいおい佐野、そりゃないだろ"ってTVの前で頭を抱えたものだったが、今になって佐野の気持ちが判るような気がしてきたよ。そうそう、その番組で佐野はMr.Beanとかいうキャラクターの物真似をしてみせていたが、あれステージでもやっていたよ。よっぽど気に入ったんだね。しかしそれを見て会場中がどっと沸くんだから、佐野元春ファンはみんな本当に研究熱心だと思うよ。 次に僕が彼らと会うのは3日後だ。グリーンホール相模大野という所へ行ってくる。HKBという海賊船がどういう航路をとり、どこに辿り着こうとしているのか、僕は君の分まで必ず見届けてくるつもりだ。それじゃ。また今度。 親愛なるSCRATCHへ メールどうもありがとう。 ライブ・レポート読んだ。僕は今回のツアーは残念ながら見に行けないことになったけれど、君の手紙はライブの雰囲気をうまく伝えてくれているように思う。それにしてもライブのことをこんなにきちんと文章にしてしまうのはさすがだ。僕は時として会場を出たとたんにライブのディテイルがどこかに飛んでしまってひとかたまりの「印象」しか残っていないなんてことがある。 「ロックンロール・ハート」のこと、とてもよく分かるような気がした。僕もアルバムのクレジットを見てKYONがオルガン、西本明がピアノという担当に、これって逆じゃないのと思ったものだ。でも佐野元春はこの曲にそういう思い入れをこめているんだね。THE HEARTLANDからただひとりHKBに参加している西本明は、おそらくはバンドの精神的な支柱みたいな存在なのかもしれない。 今日はこれからフランクフルトまでクルマをとばすことになっている。「THE BARN」を聴きながら行こうと思っている。そうそう、その前にシャツのアイロンがけが残っているな。 ではまた 1998-2021 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |