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サラリーマンとして40年近く、そのうち曲がりなりにも部下をもつ管理職として20年以上働いてきて、仕事でメンタルを病む人をたくさん見てきた。上司としての面談を数限りなくやって、病みそうな人、病んでいる人、病みから復帰した人と何度となく対面した。発達に問題を抱えてそうな人とも幾度も向かい合った。

彼らが抱える問題を丁寧に聴き取り、それに配慮しながら、職場のなかでなんとか彼らの特質が生かせるような(あるいは不得手が致命的な問題にならないような)働き方を工夫する。声をかけ、話を聴き、アドバイスをしながら、彼らが職場の一員として責任を果たせるよう環境を整備する。僕自身としてはそういう仕事が嫌いではなかった。むしろそこにマネジメントとしてのやりがいを感じていたし、それなりにうまくやれている自負もあった。

しかし、そうした縁は、僕か彼らのどちらかが人事異動になってしまうと簡単に途絶えてしまう。メンタルに脆弱性を抱えた元の部下が、異動した先でメンタルブレイクダウンに陥ったり、不本意な離転職をしてしまったりするケースも少なからずあった。こんな使いかたをすればあいつはつぶれてしまうと思っても、もはや上司でもない第三者にできることには限界がある。

使いかた次第ではそれなりのパフォーマンスを挙げ、会社としても有効に活用できるはずの人材が、理解や配慮の欠けた使われかたをすることで不稼働化してしまう。それは、彼ら自身にとっても、会社にとっても不幸でありもったいないことだ。メンタルに脆弱性を抱えた人たち、仕事上、あるいは仕事と生活の境界領域に問題を抱えて働くことに集中できない人たちをケア、サポートし、彼らが気持ちよく働けるように環境を整えることを仕事にできないか、それをここ数年考えるようになった。

会社というところは、収益をあげて安定的かつ持続的に存在することが日々の仕事の最終的な目標であり、経済合理性に則って動いている組織である。そこでは合理的かつ合目的的であることが意思決定の最大の根拠である。しかしながら、そこで働く人間は必ずしも合理的にはできていない。そのために企業は、必ずしも合理的でない人間が、合理性を求める職場で持続的に働けるようなインターフェイスを必要としているのである。

そのための冒険を少しずつ始めている。昨年60歳になって還暦を迎え、サラリーマンとしてもアディショナルタイムに入るなかで、今はまだ詳しくは書かないが、今から学ぶこと、チャレンジすることの意味をあらためて自分に問いながら、なによりそれを楽しんでやっていたい。


2026年1月
Silverboy



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