今ここ 去年はいろいろあった。まず父を亡くした。それから緑内障の診断を受けた。ソファの脚に右足の小指をぶつけて骨折した。夏から秋にかけてこうしたことがたて続けに起こり、珍しく弱気になった。いや弱気になったつもりはなかったが、知らない間にダメージを受けていた。父とは24歳の差であり、自分も24年後にはああいう感じになるのかと思うと、もういいことはあまり残されていないような気になっていた。 今考えると軽い抑うつ状態にあったと思う。いろんなことが思い出されては、それらがもう手の届かないところにあること、そして少しずつ、しかし不可逆的に忘れられ失われて行くことを思って呼吸が浅くなった。予定を入れたりなにかを買ったりするのをためらい、先延ばしにしていた。「いずれ落ちついたら」と思っていたが、なにがどう落ちついたらものごとが再び動き出すのか、自分にもさっぱりわからなかった。 なにがきっかけになったのかもう思い出せないのだが、思い出せない程度のきっかけでそれは去って行った。去って行ったというよりは追い払った。過ぎたことや先のことを考えてどんよりしてもなにかがよくなるわけではない、気力と体力のムダづかいだということに気づいたのだ。「あほらし」と素直に思うことができた。まあふつうに日常を生きるしかないよねというあたりまえの認識に戻ることができた。 僕は今年60歳になる。還暦である。暦がぐるっとひとまわりしたのだ。別にそれですべてがスタートラインに戻るわけではないのだが、身のまわりのいろんなことがひとつの変化のポイントにさしかかっていることを去年は実感した。日常を生きることには変わりないが、その中身は少しずつ点検し、調整し、捨てるべきものを捨て、残すべきものは残し、今持っているリソースをなにに使うか見極めて行かなければならない。 そのなかで新しく始めること、挑戦することもあっていい。むしろやりたいことは今やっておかなければならない。「いずれヒマになったら」みたいな感じで先送りにしたものもやるなら今だ。そう思えるようになったのが去年の学びかもしれない。やってもやらなくても同じように時間は過ぎる。体力や気力、知力がもはや少しずつ衰えるなら、今できないことがあとでできるわけがない。今あるものに誠実にコミットすることだ。 まだデザインはできていないが、自分自身の「今ここ」にきちんと向き合う年にしたいのだ。 2025年1月 1997-2025 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |