logo 世界は元には戻らない


1995年1月に阪神大震災が起こったとき、僕の職場は大阪市内にあった。当時、西宮あたりに住んでいる同僚の女性が話してくれたのは、毎日、倒壊したり焼失したりした廃墟を見ながら駅まで歩くときのことだ。「そういう風景は毎日見ていても見慣れない。歩いているだけで涙が出てくる」と。

そこにあった当たり前の風景が、ある日突然の災害で簡単に崩れ落ち、消え去ってしまう。ずっと続いて行くと何の疑問もなく思っていた日常が急に失われてしまう。それが僕たちの心にどれだけ大きなインパクトを与え、傷を残すのかをその時僕は考えた。

今、僕たちが直面しているパンデミックも、僕たちの日常を容赦なく変えた。初め、僕たちは頭を低くしてそいつが過ぎ去るのを待っていれば、ほどなく以前と同じ日常が戻ってくるのではないかと考えていた。だから4月、5月の外出自粛も何とか家に閉じこもってやり過ごした。一時はそれでヤマを越したようにも見えた。しかし、そいつは簡単に消えてなくなりはしなかった。

この1年弱、僕たちはまるで時間を止めたかのように息を殺して「復活のとき」を待ったが、その間にも僕たちは確実にひとつ歳を取った。そして僕たちの身の回りでは不可逆的な変化が静かに進んでいる。新型コロナウィルスを怖れなくてもいいときがいずれ訪れたとしても、そこにあるのは以前と同じ世界ではない。そこでは何かが以前とは少し、しかし決定的に異なっているはずだ。

当たり前の風景が、ずっと続いて行くと思っていた日常が、「ちょっとしばらくの我慢」と思っている間に確定的に損なわれ、失われてしまった。そのことを僕たちはまず受け入れなければならない。そして損なわれ、失われたもののために涙を流さなければならない。なぜならそのことで僕たちは深く傷ついているからだ。僕たちは全然無事じゃない。それを自覚しないことには僕たちは前に進めないのではないか。

今年がどうなって行くか誰にも分からない。しかし、いつまでも時計の針を止めたふりをして感情をフリーズさせたままでいることはできない。世界が元には戻らないことを受け入れよう。それは決して悪いことばかりではないはずなのだ。


2021年1月
西上典之 a.k.a.Silverboy



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