logo 巨大なる偏見


村上春樹の作品「海辺のカフカ」の中にこんなくだりがある。

「人を殺すときのコツはだね、ナカタさん、躊躇しないことだ。巨大なる偏見を持って、速やかに断行する――それが人を殺すコツだ」

「だからこれ以上猫を殺されたくなければ、君が私を殺すしかない。立ち上がり、偏見を持って、断固殺すんだ。それも今すぐにだ」(『今すぐに』に傍点、筆者註)

二度も繰り返される「偏見を持って」とはどういうことだろう。

世の中にはいろんな考え方がある。みんなそれぞれにもっともらしく、しかし納得できない部分も当然ある。そんな中で自分の意見を言おうとするとき、公平でありたいとか中立的でありたいとか、なるべく多くの人に支持されたいと考えるほど、反論とか違った視点とかが予め気になってしまい、偏りはないかと何も言えなくなってしまう。

そんな配慮や忖度を一度すべて取り払い、捨ててしまうことは、決して簡単ではない。だから、自分が何を感じているかを自分自身で確かめ、それを言語化しようとするとき、そこに必要なのは、取り敢えず今ここにあるのはこういうことなのだという強い確信であり、それこそがここでいう「偏見」なのだ。

目に見えて窮屈になる言論空間の中で、何を言っても何らかの党派性に絡め捕られ、誰かからは我田引水的に同類扱いされる一方で、別の誰かからはいわれのない誹謗や中傷を受けてしまう。そして次の瞬間には敵味方がガラッと入れ替わる。冷戦はとっくに終わったというのに、なぜかそうした二項対立的世界観はむしろ力を増しつつあるようにすら思える。

そんな世界では、メンドくさいヤツらにいちいち直対応することなく思想と言論の強度でぶん殴る覚悟がなければ、モノを言う度に唇が寒くなることは避けられない。そしてそのために力を持つのは想像力だ。あるだけの想像力をかき集め、自分もまた相対化され得るひとつの試論、即ち「偏見」に過ぎないのだということ、そして、だからこそその「偏見」が価値を持ち得るのだということを知らなければならない。

2020年、僕は自分の書き連ねることが一介の偏見に過ぎないことを常に心に留めながら、だからこそそれが誰かに読まれる価値があると信じて書き続けて行こうと思う。


2020年1月
西上典之 a.k.a.Silverboy



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