logo よく働いたので腹が減った


去年は毎日仕事から帰る電車で決まったツイートをしていた。こういうのだ。

「【定期ポスト】今日もよく働いたので腹が減った」

大学を出て就職して27年め(平成元年入社なので計算しやすい)、もともと学生時代に「これがやりたい」という強い希望もなく、「大学出たら就職するもんでしょ普通」くらいの考えで、当時文系からの就職では最もオーソドックスな業種のひとつであった銀行に決めてからずっとここで働いてきた。

その間、現場の一線から海外、本部、グループ会社と部署はいろいろ経験したが、「この仕事を是非やりたい、やらせてください」的な熱い何かとは無縁で、行けと言われたところでやれと言われた仕事をしてきた。うまく行ったこともあるし今ひとつフィットしなかったこともある。そうやって給料は少しずつ増え、部下も持った。

今担当している仕事も決して希望した訳ではないし、すごく好きだという訳でもないし、おそらく僕にしかできないという訳でもない。しかし、最近よく思うのは、バタバタしたり文句を言われたり愚痴ったりしながら一日働いて、腹を減らして帰りの電車に乗れるというその毎日の繰り返し自体に価値があるのではないかということだ。

それが冒頭のツイートだ。それは、時間と労働力を提供する対価として給与を受け取るという、雇用契約上の責任を今日も一日分全うして、それに見合う疲労と空腹とともに帰宅することへの、ささやかだが主体的な誇りである。あるいは、まるで仕事が「本当の自分」とは異なる、何か自分を殺してする苦行のように言われることへの違和感でもある。

「やりたいことが見つからない」「自分探しの旅に出る」と人は言う。「この仕事は自分に向いていない」「こんなことがやりたかったんじゃない」と君は言う。だが、そのような「自己実現」的仕事観と、給与を得る対価として責任を負う「働く人」としての矜持とは微妙に(というかかなり)すれ違っているように僕は思う。

まあ、やりたいことを探しているうちに中途半端な大人になるのは本人の自由なので構わない。僕は今年も仕事で腹を減らして帰りの電車に乗ることを約240日やりきりたい。


2016年1月
西上典之 a.k.a.Silverboy



Copyright Reserved
1997-2016 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com