logo とどまること


昨年は震災があり、原子力発電所の事故があった。放射性物質が広範に撒き散らかされ、長い間人間が居住できそうにもない地域もある。現に一定の地域は警戒区域に指定され実質的に立入禁止になっている。

こうした事態の中で、直接の危険を指摘されている訳ではない都内などでも、放射性物質が人体に及ぼす悪影響を懸念して自主的に避難したり子供を避難させたりしている人たちが、少なからずいるらしい。

僕は別にそのことを非難するつもりはない。そうしたいと思い、そしてそうするだけの経済的な余裕がある人は関西でも九州でもハワイでもヨーロッパでも移住すればいい。僕が言いたいのは、多くの人は「放射線は危険だし不気味だからできればどこかに避難したい」と思ってもそんなことは簡単にできないということである。

これまで普通に働く人たちの味方だったはずの人たちが「あれは危ない」「これも危険だ」と言い立てる。しかし、学校や仕事、住居や資金など、すべてをなげうって今すぐどこかに移住できる人は多くない。多くの人たちは簡単に「ここ」から逃げ出す訳に行かないのだ。不安を感じながらも毎日電車に乗って通勤し、スーパーで買った野菜や肉を食べる。震災の前と変わりのない生活をする以外の選択肢は容易には見当たらない。

そして何より、日本中の人たちが避難と称して右往左往すれば、日本の経済や国家機能は簡単に麻痺してしまう。僕は別に社会に対する高尚な使命感で仕事をしている訳ではないが、それでも「簡単に『持ち場』を抛棄する訳には行かない」と強く思う。それは勇気とはまた違ったものかもしれない。単なる惰性とか判断停止かもしれない。だが、少なくとも、多くの人のそのような当たり前の営為、毎日の繰り返しによってこそ我が国の基礎が維持されていることは間違いない。

僕にとって今年は、そのような世界に踏ん張ってとどまる年になるのではないかと思っている。当たり前の生活が当たり前にできることの意味を震災は再認識させた。僕は今年も「震災後」の世界で生きて行かなければならない。


2012年1月
西上典之 a.k.a.Silverboy



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