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WHERE ARE YOU NOW
佐野元春 & The Coyote Band

DaisyMusic
DMA-027 [初回限定盤] (2022.7.6)
DMA-028 [通常盤] (2022.7.6)
DMVY-006 [LP] (2023.3.8)

Producer: Moto 'JET' Sano
Co-Producer: 大井'スパム'洋輔
Recording Engineer: 渡辺省二郎
Mixing Engineer: 渡辺省二郎
Mastering Engineer: Randy Merrill

作詞・作曲・編曲: 佐野元春
OPENING Opening
さよならメランコリア Soul Garden
銀の月 Silver Moon
クロエ Chloé
植民地の夜 Once Upon A Time
斜陽 Don't Waste Your Tears
冬の雑踏 Where Are You Now
エデンの海 White Light
君の宙 Love & Justice
水のように The Water Song
永遠のコメディ The Perfect Comedy
大人のくせに Growing Up Blue
明日の誓い Better Tomorrow
今、何処 Where Are We Now

[ボーナス・トラック]
少女は知っている



「新作アルバム2タイトル連続リリース」の第二弾として、4月の「ENTERTAINMENT!」に続いてリリースされた通算19枚めのオリジナル・アルバム。タイトルに関してはパッケージの帯に「今、何処」との日本語表記があり、公式HPほかのパブリシティでもこの表記が用いられているが、アルバムのパッケージ本体やCDのレーベルには英文の「WHERE ARE YOU NOW」の表記しかなく、当サイトでは英文表記を正規タイトルとして取り扱う。

アルバム本編のみの通常盤の他に、配信のみでリリースされた「ENTERTAINMENT!」のCDとアルバム収録曲のMVなどを収録したDVDを同梱した初回限定盤があり、限定盤にはボーナス・トラック『少女は知っている』(「ENTERTAINMENT!」収録の『少年は知っている』の歌詞を変えたバージョン)のダウンロード・キーが付属している。

2021年に配信のみで先行リリースされたシングル『銀の月』を含む14曲(但し冒頭の『OPENING』とラストの『今、何処』はともに短いオーバーチュアとエンディングであり実質12曲)を収録。『クロエ』がアルバムと同日にシングルとしても配信リリースされている。


世界規模の疫病、大がかりな侵略戦争、政治家の暗殺、それがこのアルバムのリリースされた2022年に起こっていることだ。世界史の教科書でしか見たことのないような、もう起こることもないと思っていたそんな出来事がたて続けに起こる2020年代にあって、僕たちは今いったいどんな場所にいるのか。

このアルバムは『OPENING』と題された20秒ほどのオーバーチュアから始まる。ラジオのチューンを合わせているようなホワイト・ノイズの奥から鐘の音のようなピアノのストロークが響いてくる。混沌とした世界で、僕たちは必死にどこかとつながろうとしている。だれかと周波数を合わせて同期しようとしている。そんなことを思わせるアルバムの導入だ。

そしてアルバムの最後に置かれた『今、何処』では、アンビエントなシンセサイザーとギターの音色に乗せて「ここどこ」「みんな今どこ」という変調された佐野の声が聞こえる。アルバムのタイトルは「Where Are YOU Now」だがこの曲の英文タイトルは「Where Are WE Now」。ここでは「君」を探す営みから僕たち自身の現在地を探る視点への転回が意識されているかのようだ。

『OPENING』がアルバムに入りこむための扉を開くモチーフだとすれば、『今、何処』はそのバック・ドアを開けて再び騒がしい世界へと戻るメタファーのようでもある。しかしそのバック・ドアを抜けて元の世界に戻ったとき、僕たちはもはやそれ以前の僕たちと同じではない。なぜなら僕たちはこの二つのテーマの間で、決定的で不可逆的な変容を経験するからだ。

まずここにあるのは深刻で冷厳な現実認識だ。「少しずつ沈んで行くネイション」は行き着くところまで降りて行こうと歌われる「この下り坂」と同じものだろう。それは経済的にピークを過ぎ、過去の遺産を食いつぶしながら落日を待っている我々の国のことであり、そしてまた事実よりも素敵に見えるフェイクが横行し僕たちの判断を誤らせるためのデマゴーグが空気のように充ちているこの世界のことである。

世界は少しずつ進歩し、問題は順番に解決し、真実は次第に明らかになるものだと僕たちは考えてきた。しかし技術が発達し、情報がおそろしいスピードで流通するようになった結果、むしろ世界は分断され、事実は曖昧になり、陰謀論が幅を利かすようになった。

僕たちは、父や母が馬車馬のように働いてこしらえたたくわえを少しずつ取り崩しながら、日に日にもやに覆われ遠くを見通しにくくなって行くような世界で、だれかを憎んだり、妬んだり、陥れたり、貶めたりすることに時間を費やすようになっている。そして静かにどこかから入りこんでくる「残酷な分裂」や「巧妙な略奪」や「静かな検閲」に無防備で柔らかい腹をさらしている。まるでコメディのように。

佐野はまずそのことを指摘する。それは魂の危機だ。このアルバムでは「魂」という言葉が頻出する。「ぶち上げろ魂」と歌う『さよならメランコリア』をはじめとして、『銀の月』『斜陽』『冬の雑踏』『永遠のコメディ』なども魂に言及している。「君の魂 決して無駄にしないでくれ」と歌う『斜陽』について佐野はこう語っている。

「僕は全体主義に個が埋もれてしまう景色を最も忌み嫌っている。個が持つ豊かさや複雑さ、個の固有の人生を誰も否定はできないし、ましてや力を与えて捻じ曲げてはならない」「歴史上、多くの人々にとって良くない事象や思想に一定の傾向があるとしたら、それはやはり“個を覆い隠してしまう行為”だと思うし、それに対してアーティストは徹底的に抗い警鐘を鳴らすべきだ」(「SWITCH」 Vol.40 No.8)

このアルバムで再三持ち出される「魂」が、佐野が一貫して表現の核としてきた「個」と等価なのだとすれば、佐野はその魂がなにかひとつの大きなシステムに回収され、塗りつぶされる危機を告発している。坑道に持ちこまれた鳥かごのカナリアが真っ先に窒息の危険を知らせるように、詩人は社会の内圧が高まっていることをだれよりも早く知る。繰り返し魂に言及することで、佐野は僕たちが今、抗うべきなにかに直面していることを伝えようとしている。

しかし、では僕たちはなにを手に、だれに抗えばいいのか。それは僕たちがこの複雑に入り組んだ世界で直面する最大のアポリアである。そこに自分とは無関係な「悪の親玉」みたいなものを措定した瞬間、僕たちは道に迷う。なぜなら、そこにおいて僕たちの個を貶め、損ない、浪費させようとしているのは、結局のところ僕たち自身のなかにある無思慮や傲慢、偏狭、あるいは無関心やあきらめ、怠惰にほかならないからである。

アルバムの事実上のラストに、佐野は『明日の誓い』を置いた。先に書いたような厳しい現実認識を前提にしたとき、アルバムの「総括」であるべきラスト・ナンバーとしてのこの曲のメッセージはあまりにも身もふたもなく、あっけらかんとして明快であるように見える。

 明日がなければ意味がない
 怖がるばかりじゃきりがない
 今日と一緒に歩いてゆく
 よりよい明日へと紛れてゆく

かつて佐野元春は「まごころがつかめるその時まで」と歌った。今から40年以上前、1981年においてすらそれはもはや手垢にまみれ、ありきたりで、それゆえもはや記号に堕した古くさいことば遣いにも思えた。しかしこの曲が多くの人の心のなかにしっかりとした像を結び、鮮やかな感情を呼び起こしたのはだれもが知っている。それは佐野が、あたりまえに見える言葉を拾いあげ、丁寧にホコリを払ってその本来の意味を再定義したからだ。

このアルバムでも佐野は、『OPENING』から『大人のくせに』までの12曲で、さまざまな視点から、さまざまな口調で、僕たちの魂の危機について繰り返し言及し、その痛みに思いを寄せ、そのこっけいさを笑い飛ばした。そうした丁寧な表現の積み上げがあって初めて、『明日の誓い』の明快さは理解されるだろう。

「理想がなければ人は落ちて行く」「希望がなければ人は死んで行く」。そりゃまあそうなんだけど、という表現が、聴き手の胸にすっと落ちて行くのは、結局のところ僕たちが最後に寄る辺とするのは、そこにまだなんらかのポジティブな可能性が残されているはずだという認識、つまりは「希望」でしかあり得ないからであり、現実認識が深刻であればあるほど、そのことは際立って理解されるからだ。崖っぷちに立ったとき、それでもまだ希望を口にできる強さを僕たちは求めている。

ここで見逃してはならないのは、「よりよい明日へと紛れてゆく」という表現だ。ここには、だれかに与えられるレディメイドの「よりよい明日」を簡単には信じない佐野の視線がある。自動的にやってくる明日が本当に「よりよい」ものなのかはわからない。いや、それをよりよいものにする戦いは個の領域でひとりひとり孤独に戦われるしかないのだ。

だからこそ佐野は、それぞれの数だけある明日のなかに息をひそめて紛れ、そこでひとりひとりが自分自身の力で自分自身のための「よりよい明日」を手にするべきことを、「よりよい明日へと紛れてゆく」という言いまわしで伝えようとしたのだと僕は思う。「紛れてゆく」というこの表現によって、『明日の誓い』は希望を動因とした闘争宣言としての本質を獲得したのだ。佐野はこの曲を終盤に置き、そして最後に『今、何処』でアルバムを僕たちの手に委ねた。我々は今どこにいるのか、と。

こうした構成を指して、佐野はこの作品を「コンセプト・アルバム」と呼んだ。一貫した視座からひとつの世界観を提示し、それを聴き手に問う、ひとつひとつの曲は明確に独立し完成しているけれども、それらを特定の連なりで聴いたときに、そこに個々の曲だけでは表現され得なかった大きなひとつの絵が見えてくる、それがコンセプト・アルバムでありこのアルバムは正しくその要件を充たしている。それは魂の危機と希望の物語だ。

だが、最後に強調しておきたいのは、このアルバムがむやみに難解で晦渋な、理屈っぽく頭でっかちな作品ではないということだ。そこにあるのは高いレベルで完成されたコンパクトで聴きやすいポップ・ソングであり、シンプルだが奥の深いバンド・アンサンブルであり、高い記名性を具えた佐野のボーカルだ。

『銀の月』や『クロエ』のように効果的にシンセサイザーが使われている曲もあるが、アレンジの骨格となるのはツイン・ギターを核とし渡辺のピアノとハモンドが自在に彩るコヨーテ・バンドの演奏。さまざまな曲調に合わせてハードにも、メロウにも、ロマンチックにも聴かせる。『冬の雑踏』のようなタメの利いたソウル・ナンバーから『明日の誓い』のようにバーズをリファーしたフォーク・ロックまで、バンドの表現力はこのアルバムで明らかに新しい段階に進んでいる。

多くの曲はシンプルな曲構成で3分台にまとめられており、5分をこえる曲はない。アルバム全体でも48分という聴きやすい長さに仕上がっているうえ、特筆すべきはフェイド・アウトする曲がないこと。佐野がこのアルバムをきっぱりとしたポップ・アルバムとして市場に流通させる意志を持っていることは明らかだと思う。ポップであることにこそ価値があるのだ。

魂のありかを問う作品だからこそ、そのインターフェイスは平易でなければならないし、また音楽としての完成度も高くなければならない。佐野はそのいずれもを追求し、それが「Where Are You Now」という作品に結実した。本作は「Blood Moon」「Maniju」を経て佐野元春とコヨーテ・バンドがたどり着いたひとつの達成であり、そのことはStormStudiosがデザインしたジャケットに、「Blood Moon」の積み木と「Maniju」の花束がさりげなくあしらわれていることからもはっきりしている。



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