logo A Story About You / case 4 呉エイジ


アルバム「VISITORS」がリリースされた1984年5月、あなたは何歳で、どこで何をしていましたか。

――14歳で中学生でした。

「VISITORS」はいつ頃、どのような形で買いましたか。

――発売当時は友人から借りて、18歳くらいの時、バイトしたお金でアルバム、シングル、12インチシングルを買い漁りました。

あなたは「VISITORS」をどのように聴きましたか。

――元春との出会いが友人から借りた「ノーダメージ」だったので、単純にビックリした。というのが第一印象ですね。

「VISITORS」というアルバムは何だったのだと思いますか。

――ここ、長くなります。このアルバムで元春は「真のアーティスト」になったんだと思う。一つ上の世代であるアニキ分達がこのアルバムを貸してくれた時、そのアニキ分の部屋にはキャロルのポスターとか貼られていたわけなのだが「VISITORS」よりも「ノーダメージ」の方が優れている。こっちを聴け。みたいな雰囲気だった。
しかし我々の世代は違っていた。それこそハンマーで頭を殴られたような衝撃だった。だいたい見た目からしてカッコよかった。黒の軍手をハサミで切り落としてマネしてみたり、駅前で1000円のサングラスを買ってみたりバイト代で黒のコートを買ってみたり、その影響力は絶大であった。仮面ライダーが外国から帰ってきたら銀のストライプが入っていてパワーアップしていた。みたいな単純なインパクトがあった。もちろん見た目だけではない。その全編を貫く高い緊張感。最後まで持続する音象。ここまでの統一感は残念ながら後にも先にもない。どこかにムラが出るものだが、このアルバムにはそういうモノが微塵もない。
そしてこれが「SOME DAY」の次のアルバムという事実。ビデオクリップから溢れ出る「納得し、スゴイものを作ったんだ」という当時の日本のマーケットなど二の次、といった風の陶酔感。「狙って」作りに行った訳ではないから凄まじいのである。ここは当然、成功を収めた「SOME DAY」の続編だろう。それをせず、正直にN.Yでの成果を音にして帰ってきたから誠実さが伝わるのである。「まずいいモノを作る。採算度外視。」みたいな。
前作から変わり果てたサウンドに日本のジャーナリズムはどう対応したのだろうか。こんな感じであろうか?
大阪から来た記者「いやぁ、その、なんですか? ニューヨークですか? そこで作ったアルバム。さすがにニューヨークッって感じしますわなぁ。私になんかはオシャレすぎてサッパリですわ。で、その、あれはつまりその、ニューヨークに旅行した記念? 言いますか、色モノ…、いや、向こうからの要するに絵はがきみたいなモンでっしゃろ? よろしいがな、ニューヨーク。私も行ってみたいですがな。ですから一種の『企画モン』と捉えてエエわけでっしゃろ? そこでまぁ本題なんですが、この前発売された『ビジターズ』。これはもう置いといて、日本で作るサムデイみたいなもんの続編の発売は、一体いつになりますのん」
元春「エエーッ!」
帰国後軽い言語障害になったのも、なんとなくわかるような気がする。
そして何よりも「表現活動」の素晴らしさという種を撒き散らした。私がいい歳こいてアマチュアライターを続けているのもビジターズ体験があったからこそだ。このアルバムがあるからこそ今の元春がある。このアルバムがなかったら「ナポレオンフィッシュ」あたりでアルバムを買わなくなっていたかもしれない。いくら路線が変わっても、いくら声質が変化しようとも、僕は元春を聴き続けるだろう。

「VISITORS 20th Anniversary Edition」は買いましたか。

――当然発売日に買いました。これからも一生聴き続けることでしょう。人生の愛聴盤です。「それが人生の意味」


呉エイジ
ウェブサイト「Kure's Home Page」のオーナーであり、雑誌「マックピープル」に「我が妻との闘争」という人気コーナーを持つライター。この連載はアスキーから単行本化されており、これまでに「我が妻との闘争」、「我が妻との闘争――極寒の食卓編」の2冊が発売されている。この「VISITORS」原稿の依頼に対し謝礼として「パツキンの巨乳画像」を要求されたことは一応秘密にしておく。



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