logo ランザローテ(後編)


前編から続く


■2002年1月24日(木)

●朝いちばんでレンタカー・カウンターの濃いめのお姉さんに明日のクルマを予約する。お姉さんは毎朝出勤してきてロビーの片隅にテーブルを構えている。明日借りたいんだけどと言うと実に鷹揚に受付をすませてくれた。保証金は30ユーロだったが50ユーロ札か20ユーロ札しかないと言うと釣りがないから20ユーロでいいと言う。この辺のフレキシブルさが素晴らしい。さすがスペインである。ドイツ人なら間違いなく両替してこいと言うね。
●1週間も同じホテルにいると顔ぶれもだいたい見慣れてくる。ビュッフェでも座るテーブルが固定してきて隣のテーブルにはいつも同じ人が座ってたりする。ビーチで会うと挨拶くらいはするようになる。しかし彼らには僕たちは分かりやすいだろうがこちらにすればみんな同じようなドイツ人の老夫婦でなかなか見分けがつかない。まあ曖昧に微笑むのは日本人の得意技なので構わないんだが。
●ビュッフェの食事やバーの飲み物は部屋に持って帰っちゃいけないことになっているんだけど、結構みんな大胆に持ち出している。特に飲み物。中にはペットボトルを持参して水を詰めて帰る強者もいる。まあ黙認みたいなもの。僕もコーヒーを部屋に持って帰ってゆっくり飲んだ。部屋に冷蔵庫欲しい。
●ロビーの片隅にコイン式のインターネット端末があって、1ユーロで7分使えるので試してみたがボールマウスが重くて動かない。自分のサイトの掲示板をチェックしようとしたが、日本語が表示できず何が何だか分からなかった。まあ、こんなとこまで来て別にネットしなくてもいいかと思った。最初からそのつもりでノートブックだって持ってこなかったんだし。
●明日のドライブに備えてガイドブックを研究した。といっても日本語のガイドブックなんてある訳もないのでドイツ語のガイドブックである。迷うほど複雑な道もないし、まあ何とかなりそうだということが分かったので安心して寝られる。

■2002年1月25日(金)

●10時に昨日のお姉さんからクルマのキーを受け取る。クルマはルノーのクリオ。まだ1万kmしか走っていない。当然マニュアルだ。いや、それは別に構わないんだけどガソリンがほとんど空っぽなんだよな。要は自分で必要なだけ入れなさいということか。距離はフリーの固定料金というのはそういうことだったのだ。という訳でいきなりガソリンスタンドを探さなければならないことになった。
●走り出して3分ほどで最初に目についたスタンドに入った。セルフじゃなくてお兄さんが給油してくれる。ガイドブックのドイツ語−スペイン語対照表で「無鉛ガソリン」という単語を探して兄さんに「無鉛、満タンで」と頼んでからしまったと思ったが遅かった。別に使う分だけ入れればいいんだからせいぜい10リットルも入れれば十分だったのだ。まあいい、ガソリンの残りを気にしながら走るより余らせた方が精神衛生上もいいだろう、特に勝手の分からない外国では。
●アレシフェ(でいいのかな、ほんとに。Arrecife)へは35kmほど。荒野に伸びる一本道だ。ところどころに小さな街へ伸びる枝道との三叉路があるが、こっちは島でいちばん大きな街を目指して行くのだから間違えようがない。それにしても信号というもののない島だ。少し大きな交差点はロータリーになっている。これくらいの交通量だとその方が合理的なんだろう。半時間ほどでアレシフェの街に着いた。
●ガイドブックの勧めにしたがって町はずれの駐車スペースにクルマを停める。街なかに乗り入れてしまうと停める場所がない上道が狭くて困ったことになると書いてあったのだ。クルマを降りると暑い。涼しい海風のあったプラヤ・ブランカと違ってここは熱帯って感じ。海沿いのプロムナードを歩くがクルマも結構走ってるし、致命的なことにはプロムナードの海側の歩道や広場、公園が何かの工事で完全にブロックされているのだ。ほこりっぽく狭い陸側の歩道を歩いてみたが大したものは何もなかった。
●ここの街のランドマークはプロムナードの入口に建つグラン・ホテルという高層ビルなんだけど、このホテルはもう何年も前から閉鎖されて廃墟と化しており、街の厄介者になっているらしい。この島にはこの建物の他に高層建築物はなく、僕もこのホテルのおかげで迷わずに街の中心までたどり着けた訳だが、近くで見ると確かにホテル・ニュージャパンとかかつて琵琶湖畔に建っていたお化けビルとかそんな感じである。迷惑な工事もこのホテルの取り壊しか改装を兼ねた一帯の再開発なのかもしれない。
●プロムナードから街随一のショッピング・ストリートを歩いてみたが、どうも普通の街の普通のストリートで、電気屋とか服屋、スーパーはあっても、土産物屋とかカフェとかは見当たらない。どうも想像していたのとは少し違うようだ。まあニースやカンヌと比べるのは可哀想な気もするが、一般のショッピング・エリアはあってもリゾートっぽいファシリティは見当たらない。裏道に入ったりして歩き回ってみたが、「LANZAROTE」のロゴ入りTシャツみたいなものは見つからず、消耗する一方なのでスーパーで水だけ買って退却することにした。
●また半時間かけてホテルに戻り、終わりかけた昼食ビュッフェにすべりこんで考えたが、ここで諦めてはクルマを借りた甲斐がない、ということで午後はプラヤ・ブランカの街に出かけることにした。歩けば40分だけどクルマで行けばほんの5分。ここでも町はずれの駐車スペースにクルマを停め、街の中心とおぼしき通りに入ると、あるわあるわ土産物屋、Tシャツ屋、ビーチ・ショップ、そしてカフェ。かなりの長さの歩行者天国の両側に並んでるじゃありませんか。こっちの方がよっぽどビーチ・リゾートのイメージに近い。
●散歩を兼ねてゆっくりと通りを歩きながら土産物屋を冷やかし、何枚かTシャツを買った。あとこの島のシンボルらしきトカゲ印のキャップ、それから冷蔵庫にくっつけるマグネット式のミニタイルなど。通りの端は小高い丘になっており港が一望できた。火曜日に歩いてきた道も港の向こう側に見えた。そこから海沿いのプロムナードへ折り返し。軒を並べるカフェのテラスを通り過ぎる。これですがな、これ、と理由もなく関西弁になってしまう見事な出来映えというか何というか、アレシフェでの徒労感を補ってあまりあるリカバーだ。流れるボールペンはなかったが。
●お姉さんにクルマを返して「ガソリンまだほとんど満タンなんだよね」と言ってみたが「あら、入れすぎたのねえ、ホッホッホッ」と笑われただけだった。やっぱり…。
●ビュッフェではスペイン・ナイトということで大鍋でパエリアが作られていた。日本人の僕としては当然おかわりして食べたんだけど、あまり減ってないようだった。こんなに美味しいのに、いったいドイツ人は何を考えているんだ? エビもイカもムールも入ってるのに。もったいない。やっぱりこういうのは大鍋でたくさん一度に作ると美味しいね。

■2002年1月26日(土)

●あっという間に最終日になってしまった。今日の潜水艦ツアーは朝8時50分に玄関前集合ということだったのでいつもより1時間早起きしたのだが、起きてみるとドアの下にメッセージの入った封筒が。開けてみると「今日の集合時間は午前10時50分に変更になりました」。おい、サンドラ、そんなことはもっと早よ言わんかい、この1時間の早起きをどうしてくれるんじゃい、と思ったが起きてしまったものは仕方ない。
●それにしても11時前ピックアップで所要3時間だとホテルに戻ってくるのが2時になっちゃうなあ、最終日にプールサイドで焼こうと思ってたのに調子狂うなあ、と思いつつ朝メシ、10時50分にホテルの玄関で待ったが迎えのバスがなかなか来ない。うちのホテルからの参加者は僕たちだけだし、何か間違えたかなと不安になり始めた頃、ようやくでかい観光バスが迎えに来てくれた。
●バスは各ホテルで参加者を拾ってから、潜水艦の待つ港へ。参加者は見たところ20人くらい。係のお兄さんは英語とドイツ語で段取りを説明する。イギリス人の参加者は英語の理解度100%だけどドイツ語はほぼ0%だろうし、ドイツ人の老夫婦はドイツ語100%・英語50%だとすれば、どっちも80%の僕がいちばん理解してんじゃねえか、などと思いながらバスに揺られること半時間弱。
●事務所で安全ビデオを鑑賞し、12時に潜水艦に乗り込む。ビートルズのアルバムのジャケットみたいな黄色い潜水艦である。おもちゃみたいだが水深30m近くまでちゃんと潜るのだという。ガイドのおばちゃんがやはり英語とドイツ語で説明してくれる。本当にカネを払う価値があるのかと半信半疑だったものの、実際に潜航してみるとこれはなかなかの見ものだった。水深30mの世界をダイビングも習わずに見られるというのはそれなりの経験ではある。1時間ほどの航海だった。
●陸に上がるとお決まりの記念写真販売(乗船時に撮ったもの)。最近はこういうものもきちんと買うようにしている。バスに乗ってホテルに戻ったらやっぱり2時を過ぎていて、昨日以上にギリギリで昼食のビュッフェにすべりこんだ。
●日中の最も暑い時間帯を過ぎていたが最終日なのでプールサイドへ。傾きかけた太陽の光を惜しむように寝そべっていると、スポーツ担当のスタッフが水球に参加しないかと言う。水が冷たいからいいよ、と断ったのだが、彼は諦めず他の客に声をかけ、ついに6人のメンバーを集めてしまった。まあ足が底につくんだからお遊びの水球なんだけど、結構マジである。
●しばらくやっていると女性が一人「私も」と言って参加。子連れの若奥さんだったんだけど、セパレーツのトップが邪魔になると思ったらしく、プールサイドの連れに「Tシャツ取って」と言うが早いかトップをパアッと取り去って連れに放り投げた。すぐにTシャツが投げこまれたのでトップレス状態はほんの数秒だったがあの思い切りのよさはすごい。感動的ですらあった。
●その後プールバーで午後のお茶をして部屋に帰った。ビーチタオルとテレビのリモコンを返し、荷物を詰める。土産のTシャツの分、荷詰めがきつくなってるかと思ったが大した苦労もなくパッキングできた。明日は朝早いので早く寝よう。

■2002年1月27日(日)

●出発の時間は数日前に掲示板に貼り出される。これをきちんとチェックしてないとバスに置いて行かれてアウトである。金曜日の夜にチェックしたら飛行機が午前10時30分発でホテルからのピックアップは7時45分。朝メシのビュッフェは7時半からなんだよどうしてくれるんだよと思ってはみたものの長いものには巻かれる主義なので仕方なく朝6時に起きて最終荷物チェック、金庫のアクティベイターをフロントに返して精算してもらう。まあ電話を使っていないので精算するものは何もないのだが。
●で、7時過ぎに食堂へ行ってみると同じような境遇の人たちが片隅でひっそりとメシを食べているので同じように簡単な朝メシをすませた。旅行会社が仕向けた送迎バスに乗り空港へ。飛行機は例によってラス・パルマスを経由しますということで、まずはデュッセルドルフからランザローテにやってきた人たちを降ろして我々ランザローテから帰る客を乗せる訳だが、機内にはラス・パルマスまで行く人たちがまだ乗っている。つまりランザローテからラス・パルマスの間はこれから帰る人と今から休暇に行く人が混在する訳である。
●乗りこんだら係員が「ここからラス・パルマスの間は空いた席に順次お座りください」と告げている。いやあ、僕も海外に住むようになってたくさん飛行機に乗ったけど、自由席の飛行機というのは初めてだよ。台北と高雄の間のいい加減な飛行機でも席は決まってたぞ、確か…。
●ラス・パルマスではすべての乗客がいったん機外に出される。ここで便名が変わって機内清掃が行われ正式に「帰りの便」になる訳だ。空港のロビーで何かいい土産物(例えば流れるボールペンとか)はないかと売店をうろついてみたが大したものもなく、30分ほどの待ち時間の後さっきの飛行機にもう一度乗りこんだ。4時間のフライトでデュッセルドルフ空港に着いたのは午後5時半。
●実質のフライトが4時間で朝6時に起きてるのになんで1日がかりなのと疑問がわくが仕方ない。荷物がターンテーブルから無事に出てきたのでそれでよしとしてタクシーで家に帰った。デュッセルドルフはいきなり雨。晩メシはインドカレーの出前にした。
●冬休みに南の島に行ったのは初めてだったが、なかなかのんびりしていい感じだった。今度ランザローテにゆくならすごく豪勢だった隣のホテルを取ってみよう。そうそう、ウォークマンの電池には気をつけよう。家でテープの残りを聴いたのは言うまでもない。



Copyright Reserved
2002 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com