logo ランザローテ(前編)


■2002年1月19日(土)

●出発は明日なんだけど戦いは今日から始まっているのだ。旅行会社に代金を振り込むのが遅れたせいで航空券が郵送されて来ず、欲しかったら空港のオフィスまで取りに来いという意地悪な手紙だけが届いたのである。何だよ、入れ違いでちゃんと払ったじゃねえかよ、と思いながら口座の出入表と本人確認のためのパスポートまで持って空港へ乗り込んだら、係のおばちゃんは手紙を見せるだけで思いの外あっさりチケットを渡してくれたので拍子抜けした。
●おばちゃんによればチェックインは今夜6時から受け付けてると言う。何しろ明日は朝6時10分の便だから、今夜のうちに搭乗券を手に入れて荷物も預けてしまった方がベターなのは火を見るより明らかだろう。チケットを取りに行ったのは午前中だったので夕方もう一度荷物を持って出向くことにする。日中に荷造りをすませてしまわなければならないのは面倒だが仕方ない。せっかく空港まできたので展望テラスで離着陸する飛行機を眺めて帰った。
●家に帰って荷造りをしたんだけど、難しいのは現地の気候。こっちはまだ1月で日中の気温は5度とかなのに、現地は20度を超える気温なので、どんな服装を用意して行けばいいのか今ひとつピンとこない。仕方なく長袖のTシャツとかも詰め込んでみたがどんなもんだろう。あと数年前に買ったサマー・ジャケットが見当たらない。ずっと前に大阪のノース・マリン・ドライブで買ったジャージ地のビーチ・ジャケットもない。なんなんだ、いったい。
●結局ビーチ・ジャケットを「もう着ない服」の箱から掘り出し荷詰め完了。夕方6時に再び空港へ乗り付け、荷物を預けてチェックインした。これで明日はほとんど手ぶらである。それにしても1日に空港へ2往復もするとはね。まあ、家が空港に近くてよかった。

■2002年1月20日(日)

●昨日チェックインしたときに「明日は何時に来ればいいの?」と訊いてみたら出発の1時間前ですと言われた。ということは5時10分かよ、ということで昨日のうちにタクシーを呼んでおいた。昨日チェックインしてなかったら2時間前に来いってことだったからいったい何時に起きなければならなかったんだろうな。パン屋や豆腐屋じゃあるまいしな。
●さて、この辺でおさらいしておこう。カナリア諸島はモロッコ沖合の大西洋に浮かぶスペイン領の島々だ。ヨーロッパ大陸との時差は1時間。2年半前の夏休みにはグラン・カナリア島へ行ったんだけど、今回は別の島がいいだろうということでランザローテ島にしてみた。まあ深い意味はなくてただカタログをいろいろ見てるうちに決まったって感じである。冬なので地中海沿岸やマジョルカ辺りじゃちょっと暖かさが足りないだろうということもあって。
●飛行機は休暇客を満載して南へ飛ぶ。こういう旅行って、みんなどこかの旅行会社でホテルと飛行機をセットで申し込むフリーツアーである。今回の航空会社はCondorというルフトハンザの子会社で、そんな旅行会社の客をとりまとめてリゾート地専門にチャーター便を飛ばしている。全席エコノミーで座席は恐ろしく狭い。大柄なドイツ人が安い休暇のために身体を縮めて耐えているのは実にほほえましい光景だ。
●で、その飛行機なんだけど、先にグラン・カナリアのラス・パルマスを経由して行くという。そんなの聞いてないよ、って感じだけど、反対してもランザローテに直行してくれる訳ではなさそうなので諦めた。デュッセルドルフからちょうど4時間でラス・パルマスに着き、そこで一部の客を降ろしてデュッセルドルフに帰る客を拾う。もう一度飛んで結局ランザローテに着いたのは現地時間の午前11時過ぎだった。
●雲一つない快晴で、革ジャン着ている僕って何?という気分になるが仕方ない。ドイツは寒かったんだよ、とつぶやきながらターンテーブルからスーツケースを拾い、旅行会社の担当者を見つけてどのバスに乗ればいいか教えてもらう。暑い上に荷物も重くて汗だくである。旅行会社が仕向けたバスに乗ってようやく一息つく。空港とホテルの間の送迎バスがあるだけでも旅行会社を使う価値はあるね。こんなところで一人放り出されても途方に暮れてしまう。
●ホテルに着いたのは12時頃。今回のホテルはプラヤ・ブランカという街にあるホテル・カリメーラ。プラヤ・ブランカはランザローテの南端にある街で、もともとは小さな漁村だったのが、ここ10年ほどで急速にリゾート開発された地域らしい(ちょっと受け売り)。カリメーラはこの街から3km西へ離れたところにあり直接海に面している。普通こういう飛行機+ホテルのパックだと食事は朝夕の2食付なんだけど、ここは朝昼晩3食ビュッフェの上に飲み物はいつでもバーで飲み放題。細かいことを気にせずにいつでも好きなものが食べられる、飲めるというのは嬉しいしありがたい。
●チェックインしたら部屋がまだ用意できてないので先に昼食でもどうぞと言われて、手首に水色のビニールバンドを巻かれた。これが食べ放題飲み放題の手形みたいなものらしいが何だか囚人になったような気分もちょっとする。早速昼メシのビュッフェを試したがビールは美味かった。おじさんがその場で焼いてくれる肉や魚も悪くなかった。その他は推して知るべし。
view from window ●メシを食べたら部屋の用意ができていた。ホテルといってもせいぜい2〜4階建てのアパートメントが何棟も建っている団地みたいな感じで、中庭を通ってフロントやレストランのある管理棟と行き来するようになっている。割り当てられた部屋は管理棟を出て階段を下り、中庭を横切ったところにあるいちばん海側の棟の2階だ。
●予約の時に海側の部屋を特に注文していたのだが、鍵を開けて部屋に入ってみると本当に海が目の前だった。2階で日光浴のできるベランダもついている。海側が南になるので日当たりも最高である。波の音がやかましいくらい聞こえるし、涼しい海風が入ってくる。部屋はスイートで寝室は別。テレビ、電話あり。冷蔵庫がないことを除けば文句のつけようがない環境である。ということで部屋に満足したので荷物を整理してしばらく昼寝。
●でも寝てばかりいる訳にも行かない。初日はいろいろすることがあるんだよな。ホテルのインストラクションを読んでサービスとか施設の概容をつかんでおくとか、日用品の供給源をチェックしておくとか。夕方、海岸やプールバーなどを散歩して、フロントでビーチタオルの引換券とテレビのリモコンをもらい、帰りに中庭のバーでコーヒーを飲んだ。
●フロントで街まではどれくらいかかるのかと訊いたら3kmだと言われた。歩くと45分、タクシーなら5分だが微妙な距離ではある。近かったら行ってみようかと思ってたけどちょっと考えてみることにした。

■2002年1月21日(月)

●昨日フロントでもらったビーチタオルの引換券を売店に持って行ってタオルと交換してもらった。売店は2つあってビーチ用品や土産物を売るブティックと、水やスナックを売るショップ、どちらも宿泊客専用のこぢんまりしたものだ。タオルはブティックで貸してくれて汚れたら交換もしてくれる。ショップの方では水を買った。いくらバーでドリンク飲み放題とはいえ夜中に部屋で水くらい飲みたい時もあるだろう。
●それからビーチに出かけてみたが海風が強くかなり涼しい。太陽はギラギラ輝いて気温は20度以上あると思うんだけど水温は低く泳ぐという感じではない。というか泳いでるヤツなんかだれもいない。仕方なくビーチで寝ころんでカセットを聴きながらリチャード・バックマンの「レギュレイターズ」を読んだ。前半はかなりダルかったが下巻に入って少し面白くなってきた。そういえばトマス・ピンチョンの「ヴァインランド」を持ってこようと思ったんだけど、本が大きくて重いので今回は見送りになった。実に残念だった。あの本は3年くらい前から読んでいるんだけどいったいいつ読み終われるのだろう、というより読み終わる日は来るのか。
●カセットはカナリア諸島といえばやっぱり大滝詠一しかないだろうということで編集したテープをウォークマンに詰めて持参したのだがA面の途中まで聴いたところで充電池が切れてしまった。単三電池用の電池ボックスも充電器も家に置いてきたのでもうどうしようもない。完全に放電していない上から充電すると充電池の寿命が縮むという日本橋の電気屋のオヤジの言葉が頭に残ってたのと、インジケータではまだ残量があるように見えたのが間違いのもとだった。きちんと充電してくればよかった。救いは「カナリア諸島にて」が3曲目に入っていたことか。でも「ペパーミント・ブルー」聴きたかった。
●強い海風で砂が舞って目が痛いので午前中でビーチを撤退。夕方、海沿いの道を街の方へ向かって少し歩いてみたが同じようなホテルが続いているだけで街とか港らしいものは見えなかった。もっと先の方なのだろうか。フロントでプラヤ・ブランカの地図をもらったが、我々のホテルはその地図の外側だということだったが、とにかく海沿いの道をどんどん行けば街につながっているらしいということは分かった。明日行ってみることにした。

■2002年1月22日(火)

●午前中は昨日と同じくビーチで過ごす。昼メシを食べて休憩したところで街へ向かって出発。海から涼しい風が吹いて来るので体力的にはまだしのげるが、いくら歩いてもなかなか向こうの景色が近づいてこない。岬を二つまわり、大きなリゾートホテルを2軒と造成中の別荘地の前を過ぎてようやく少しにぎやかなビーチにたどり着いたが、地図によるとここはまだ街ではないようだ。もう少しだけ歩いてみることにしてもう一つ岬をまわる。まったくオレは山本コータローじゃねえんだという感じである。
●坂を上りきるとようやく桟橋が見えた。街の西の端っこにたどり着いた訳である。ちょっとしたカフェやさびれたスーパーがある。中華料理屋もある。すごいなあ、中国人ってどこにでもいるんだなあ。ともかくスーパーでアイスティーと新聞を買う。ここまでたっぷり40分は歩いている。この海沿いの道は3kmどころじゃなかったぞ。街の中心はもうちょっと向こうの方みたいだったけど、帰りも同じ道のりを歩くことを考えて戻ることにする。
●帰りに途中の土産物屋に立ち寄ってタイルを買った。風車が描かれた15cm四方くらいの可愛らしいタイルだ。少しバテてきたので水も買って飲みながら帰った。太陽は容赦なく照りつけるしさすがに消耗する。4時頃ホテルに帰り着いたが鏡を見てみると顔が随分日焼けしていた。疲れたのでちょっと昼寝。
●晩メシのあとブティックに寄って土産物を見ていたら流れるボールペンを発見、平静を装って購入した。昼間の遠征では発見できなかったのだが灯台もと暗しとはこのことか。砂丘をバックにラクダの隊列が流れるデザイン。なかなか可愛い。
●毎日ホテルにいても退屈なので何かオプションツアーに参加することにして掲示板コーナーのパンフレットやファイルを見てみるが、なかなかこれというのがない。最終的に潜水艦ツアーとランザローテ一周ツアーに絞るが諸般の事情から潜水艦ツアーに参加することにした。明日、旅行会社のツアコンがこのホテルに巡回してくるのでつかまえて申し込まなければ。

■2002年1月23日(水)

●9時半にやって来るはずのツアコンが見当たらない。掲示板コーナーで待っていたが来ないのでロビーへ見に行ったら別の客につかまっていた。この客がまた話が長いんだ。いったい何を相談しているのか。ドイツ人って辛抱強く行列する代わりに自分の番がきたら後ろが混んでても絶対に遠慮なんかしないもんな。他にも1組順番を待っている客がいて、僕の順番が回ってきたのは10時だった。土曜日の潜水艦ツアーを申し込んだ。ツアコンのサンドラはなかなか美人だが気の強そうなドイツ人だった。
●そういえばこのホテルはまったくドイツだ。客はほぼ100%ドイツ語を話している。従業員も100%ドイツ語を話す。おそらくドイツの旅行会社とまるごと契約してて一般の客は取らないんだろう。館内の掲示もまずドイツ語、次に英語、最後にスペイン語。以前に行ったグラン・カナリアもポルトガルのアルガーヴもクレタ島のホテルもそんな感じだった。昨日海岸を歩いてたら英語の聞こえてくるエリアもあったので、同じようにイギリスからのツアーを中心にブックしているホテルというのもあるんだろうな。
●そういえば従業員と客を合わせても有色人種は僕たちとスポーツ担当の黒人スタッフだけ、東洋人は僕たちだけだ。きっと目立ってるんだろうな。あの日本人、昨日と同じ服着てるぜ、とか、魚ばっかり食ってるぜ、とか。いや、毎日ちゃんと着替えてるけどさ、肉も食ってるし。客は老夫婦が中心で、後は学齢未満の子供を連れた家族連れが少し。学校の冬休みは終わっているので小学生や中学生は見かけない。若者はもっとチープで夜遊びのできそうなところに泊まってるんだろう。
●ブティックの商品はチェックし尽くしたがいいTシャツがないのでやはりどこかへ土産物を買い出しに出かけなければならないという結論に達した。明日レンタカーを申し込んで金曜日にランザローテいちばんの街、アレシフェ(でいいのか、Arrecife)へ出かけることにする。
●サッカーのDFBポカール(日本の天皇杯みたいなもの)をテレビで見る。ドイツの主要チャンネルはちゃんと受信できる。バイエルン×ヴォルフスブルグだったがバイエルンが順当に勝った。実に面白くなかった。


後編に続く



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