logo 日本滞在日記


2000年12月2日(土)

●デュッセルドルフからロンドン・ヒースロー空港経由で関空行きのJALに乗ることになっていたのだが、ヒースローの乗り継ぎがあんなに分かりにくいとは知らなかった。何かの手違いでファミリー・サービスがついてくれて、乗り継ぎのターミナルまで誘導してくれたからよかったようなものの、分からんぜ、あれは。パリのシャルル・ド・ゴール空港も相当分かりにくいが、ヒースローはその上を行くね。これまで乗降では何度も使ってるけど、乗り継いだことがなかったから分からなかった。
●暇にまかせて機内の個人用ゲーム「ログ・ジャム」をやってたら、最高難度までクリアしてしまった。機中泊。

2000年12月3日(日)

●やってしまった、バゲージ・ロスト。今回は関空経由羽田行きなので、関空で入国手続きを終え、ロビーを通って国内線にチェック・インしようとしたら、JALのお姉さんが、お預け荷物はございませんか、と言う。デュッセルドルフからスルーで羽田まで行くと思うんだけど、と答えると、お姉さんは困ったような顔になり、お客様、国際線から国内線のお乗り継ぎではお荷物はいったんお受け取りいただくことになっております、あちらからもう一度お戻りになって、お荷物をお持ち下さい、と、のみこみの悪い幼稚園児に諭すように言うのである。仕方なく税関で事情を説明し、もう一度ターンテーブルまで戻ってみたが、僕のスーツケースはどこにもない。係のお姉さんにまた事情を説明し、紛失の手続きをとった。
●イヤな予感はあったのだ。デュッセルドルフでチェック・インするとき、「デュッセルドルフ→ロンドン→関空→羽田」というタグがどうしても機械から出てこず(何回やっても最終目的地が「成田」になってしまうのだ)、しかたなくルフトハンザのおばちゃんが手書きのタグをつけてくれたんだけど、これが断末魔のサナダムシみたいな流麗な草書体なのである。一抹の不安は感じたが、まあ一応手続きとして完了しているのでそのまま搭乗したのが間違いの始まりだったのだ。
●スーツケースが直接羽田に行ってるんじゃないかという淡い期待を胸に羽田のターンテーブルも最後まで見守ったけど、結局出てこなくて、そのまま手荷物だけを持って新宿まで行き、ホテルにチェック・インした。まあ、身軽でよかったという負け惜しみ的言い方も可能ではある。宿泊先は新宿の小田急センチュリー・サザンタワーホテル。フロントの応対は悪くないし、24階の部屋からの夜景もなかなか美しい。晩メシは同じ建物の中の中華で点心を食べました。久しぶりの日本のビール。

2000年12月4日(月)

●朝一番でJALから電話。お荷物が出て参りました、ロンドンで積み替えがうまくいかなかったようです、誠に申し訳ございません、明日中にお泊まりのホテルにお届けします、と、感じのいい女性がごくごくすまなそうに教えてくれた。明日中ってことになると、着替えの下着だとか何だとか、取りあえずの身の回り品を買わなきゃならないんだけど、それは補償してくれますか、と試しに訊いてみたら、5000円をお支払いします、と言う。訊いてみるものである。シャワーの後、脱いだパンツをもう一度はいたのはいうまでもないことだが。
●ところで、この日は会社に出る日だったのだが、スーツは預け荷物に入れるなというビジネスマンの鉄則を守り、革ジャンの下にはスーツの上着、靴は革靴、靴下は黒、Yシャツとネクタイとスラックスとベルト(これが忘れがち)は手荷物の中という自己防衛策を講じていたため、「スーツが届かないので出社は明日にします」というカッコ悪い事態は避けることができた。備えあれば憂いなしというか、必要は発明の母というか、何というかそういう感じである。
●晩は会社の人が歓迎会を開いてくれた。かつてデュッセルドルフに勤務していた人たちの集まりで、銀座のワイン・レストランが会場である。ヨーロッパから帰ってきて東京でなぜボルドー・ワインという感じもしないではないが、まあ、その辺は、要はみんな僕をダシにしてワインが飲みたいということなので仕方がない。高価なワインが次々と開栓されてしまうので幹事はビビっていたが、結局いちばんエラい人がドーンと気前よく払ってくれて残りの人は居酒屋程度の出費となったのであった。最後にムートンを開けようという暴論はさすがに無視された。僕は歓迎される立場なのでもちろん無料である。メシは美味かった。その後、歌舞伎町にタクシーを回し、爆弾投げ込み事件で騒然とする街を(ちょうどその日だったのだ。翌日新聞を見て知った)見て歩いた。歩いた後どうしたかはこのサイトのイメージに差し障るので割愛します。いやあ、日本はいいよね、女の子が可愛くて。

2000年12月5日(火)

●朝、フロントから電話。荷物が到着したというので部屋に届けてもらう。さすがにこの日外出するまでに届かないと新しいパンツを買いに行くしかないと思っていたけど、シャワーを浴びる前に着いてくれて助かった。それにしても新宿はパンツを買うには適さない街のような気がする。
●新宿の街を歩いてプリペイドの携帯を手に入れた。身分証明を、と言われて期限の切れた運転免許証を提示したのだがあっさり売ってくれた。それにしても携帯ってどうしてああいうパールっぽい色しかないのか。スーツに合わねえよ。
●午後から東京見物。日の出桟橋から水上バスで浅草へというコース。浜松町で山手線を降りて日の出桟橋までは歩くこと10分以上、それにしても平日の午後に水上バスで浅草に行くのは、まあ、はとバスの団体か佐野元春ファンくらいのものである。この日ははとバスの団体すらいなかったので水上バスは本当にガラガラだった。
●僕としてはもうちょっとシンプルというか無骨なものを想像していたのだが、船は結構立派だった。少なくともヴェネツィアのヴァポレットよりはきちんとしているが、まあ、ある種の「場末感」みたいなものはもちろん拭い難くまとわりついている。話の種に一度乗ればそれで十分というのが正直なところだ。船は隅田川を上って行くのだが、見える景色は特にこれといって感興を誘うようなものでもない。船内ではテープのアナウンスが川に架かる橋の名前や由来を解説してくれるのだが、まあ、「誰も気にしちゃいない」とかそういう感じである。30分ほどで浅草に着き、おやつ代わりにやぶそばでもりを食べて浅草寺に詣でた。
●浅草は以前に一度だけ来たことがあるはずなんだがよく覚えていない。だれと来たのかも定かでないので怖くてだれにも訊けないのである。だって、「あんた、それ、いったいだれと行ったのよ、私じゃないわよ」なんてことになると無用のトラブルを生みますからね。扉の閉まった花やしきを外から見て、地下鉄で四谷に牛タンを食べに行ったのであった。牛タンの後どうしたかはプライバシーに触れる問題なので割愛します。ふふふ。

2000年12月6日(水)

●アンナ・ミラーズのウェイトレスのユニフォームってエッチだよね。気になってしかたなかった。考えすぎか。

2000年12月7日(木)

●横浜の中華街で昼メシ。それからクルマで東京湾横断道路へ。都心を通らずに川崎から木更津まで直接東京湾を横断したいというニーズが実際のところどれくらいあるのか僕には何とも判断できないが、少なくとも木曜日であるこの日、東京湾横断道路は全線にわたって、ごく控えめに言ってガラガラだった。観光道路ではなく産業道路としてこの東京湾横断道路を考える限り、僕はその未来に暗い展望を抱かざるを得ない。
●この道路は知っての通り川崎側半分がトンネル、木更津側半分が橋というダイナミックな構造になっているのだが(運輸省と建設省の縄張り争いの結果なんだろうか)、そのつなぎ目の部分が人工島になっていて、「海ほたる」というサービスエリアが設けられている。ここにも立ち寄ってみたのだが、何というか、おしゃれなデートスポットとして売り出すのか、団体観光客のための土産物売場に徹するのか、どうも中途半端な割り切りのなさが「海ほたる」に宿命的な「滅びの予感」のようなものを与えていた。でも、僕はここで、日本で初めて流れるボールペンを発見した。もちろん「海ほたる」のオリジナルである。値段は500円。
●東京湾横断道路をわたりきってすぐの木更津側に健康ランドがある。一時帰国の一日を健康ランドで過ごすというのは悪くないアイデアだということで(他に木更津側には何もないし)、ここに立ち寄った。僕の場合、熱い湯にゆっくりつかりたいという願望はそれほど強くはないが(ふだんはシャワーで十分)、それでも日本に帰ってきたら温泉というのは海外在住者の定番みたいなものだ。特に嬉しかったのは水着着用の温水プールが併設されていたことで、ほとんど他に客のいないこのプールで僕は心ゆくまで泳ぐことができた。これはなかなか貴重な経験である。人を気にせずまっすぐ泳ぐことのできるプールというのはそれほど多くはないのだ。
●それにしても、この健康ランドの従業員の多さは驚くべきものがある。あるいは客より従業員の方が多いくらいだったかもしれない。もちろん平日の午後にのこのこと健康ランドに出かける物好きは多くはないだろうが、そうであれば従業員もそれなりにシフトして調整するべきだというのは千葉県では非常識な考えなんだろうか。ガラガラの駐車場の案内におじさんが3人もいたり、玄関の下足番のお姉さんが5人もいたり、どうも人員過剰感の否めない施設ではあった。ある種の「滅びの予感」のようなものはここにも漂っていたが、「健康ランド」という商売に徹している分、こちらの方が海ほたるよりはずっと潔い感じは受ける。
●健康ランドを出てからまた東京湾横断道路を通って横浜に戻ったのだが、その後どうしたかはまたしても割愛します。ふふふふ。

2000年12月8日(金)

●ホテルをチェック・アウトし、スーツケースをコンビニから実家に発送して、目黒のカイロプラクティクに行った。まず丁寧にマッサージしてくれた後、例の「ゴキッ」、「グキッ」という整体もやってくれた。僕は肩こりを症状として訴えたのだが、先生によると僕の背骨は首の辺りで左にずれているというか湾曲している部分があり、このためにかなり頑固な肩こりが発生しているらしい。本当は通って欲しいんですが、と先生は言ってくれたがそういう訳にも行かないのでいろいろと注意事項を教えてもらった。
●先生は僕と同年輩の感じのいい男性である。無理にアポをお願いしてすみません、と言ったら、いやいや全然ヒマなんですよと言っていたがどうもそれは謙遜ではないようだった。脱サラして始めたらしいが、このままで経営は大丈夫なのかとこっちが心配になってしまう。その上、僕の場合は紹介があるからと初診料を無料にしてくれた。診察料は4000円。1時間半を僕1人に付き合ってくれてこの値段は安いと思う。相当ヒマだったのかもしれない。という訳で、このカイロに行ってみたい人は個別にメールを下さい。詳しい連絡先等をお教えします。
●六本木のイタリアンで昼メシを食い、東京駅から新幹線に乗った。面倒くさいので自由席にしたのだが、気がつくとそこは喫煙車であった。そういえば僕もタバコをやめて4年になるんだな、うん。週刊文春を読みながら大阪に向かった。3年ぶりの実家。

2000年12月9日(土)

●午後から街に出たのだがえらい人出で酔いそうになる。梅田の紀伊国屋書店で何冊か文庫本を買う。本屋やCD屋は東京でも何軒か立ち寄ったのだが、ドイツで広告を見てこれは面白そうだ、読んでみたい、聴いてみたいと思っていた本やCDも、いざ店頭にずらりと並んでいるとそれだけでおなかいっぱいになっちゃって、何だか「また今度でいいや」みたいな感じになってしまうのである。この日は心を鬼にしてというか、不退転の決意でようやくキングの「デスペレーション」上下とリチャード・バックマンの「レギュレイターズ」上下他を買った。
●大阪一の待ち合わせのメッカ、ビッグマン前は完全なダンゴ状態でもはや待ち合わせ場所の機能を果たしていない。メシ食うところもいっぱい。まあ、忘年会シーズン+ボーナス後だからしかたないか。東通りのアジアン・キッチンにもぐりこむ。外食続きで胃薬片手のジェット・マシーンな状態が続いていたが、ここの辛い料理は不思議と食えた。

2000年12月10日(日)

●またしても午後から外出。難波から心斎橋まで歩こうと思ったが、心斎橋筋がぎゅうぎゅうの人混みで推定時速1km程度でしか流れていないので、これでは予定の時間に心斎橋までたどり着けないと考えて地下鉄で行くことにした。それにしても地下鉄を難波から心斎橋まで乗って200円というのは何かの冗談か。200円。
●で、心斎橋そごうをのぞいたんだけど、閉店セールでこれまたえらい人混み。つぶれる前にこれくらい人がきてりゃね。
●アメリカ村界隈を散策し、ボ・ガンボスのライブ、キリンジ、ノーナ・リーヴスなんかのCDを買う。それからOPAの上の方の階で晩メシ。帰りに心斎橋筋にあるスターバックス・コーヒーに立ち寄る。東京では一度持ち帰りをやったが、今回は店内で座ってエスプレッソを飲んでみた。別に悪くはないが、これが大流行する理由がよく分からない。何ていうか、まあ、ドトール・コーヒーの上級版ってとこですか。

2000年12月11日(月)

●「ファイブ」の前についている「HEP」って何なのよ、「ヘップ」って。いいけどさ。観覧車が乗っかってるし、クジラはぶら下がってるし。ここで昼メシ食って、阪急で京都へ。存在意義が今ひとつよく分からない地下鉄東西線に乗って蹴上で降りた。インクラインを見てから疎水の支流をたどって南禅寺、アーチを見てさらに哲学の道を歩き、銀閣寺、さらには京都大学方面に向かって農学部横の喫茶店「進進堂」でようやく休息。ここは学生時代よく朝から昼までねばって、友達と怪しげな「勉強会」をしたところだ。
●出町柳から京阪で大阪に戻り、阪急32番街のワイン・バーで晩メシ。

2000年12月12日(火)

●朝から神戸。久しぶりに妻子と再会し、嫁さんの実家に泊まる。食べたかったカツオのたたきが出て嬉しい。

2000年12月13日(水)

●義父に僕の実家まで妻子ともども送ってもらう。助かる。

2000年12月14日(木)

●弁天町の交通科学博物館へ。途中で車窓から大阪ドームを見る。来年には近所にユニバーサル・スタジオもできるそうじゃないですか。昔は弁天町といえばこの交通科学博物館しかなかったのに。ここは子供の頃、よく祖父に連れられてきた。基本的なコンセプトはそのころからほとんど変わっていない様子。中庭の、食堂車を模したレストランでミートスパを食べる。午後1時からのジオラマの実演を見て帰った。15分の実演だがなかなか楽しめる。そういえばドイツ人って鉄道模型好きなんだよな。切手集めるのも好きだしな。

2000年12月15日(金)

●人間ドック。検便を携えて新大阪の検診センターへ。ここは完全な流れ作業になっており、言われるがままに順路に沿って進むと自然と検診が終わる。不愉快なのは採血とレントゲン。だから注射は嫌いなんだってば。レントゲンは発泡剤とバリウムを飲まされ、ゲップを我慢したまま機械でぐるぐる回されるのがかなりつらい。弱った老人には耐えられないんじゃないかと思うくらい。身長は公称170センチの僕だが、実際のところは168.7センチでした。いいじゃん、別に。
●帰り際にバリウムを下すための下剤と、昼メシのための商品券3000円を手渡された。下剤を飲んでから同じ建物の中のホテルのラウンジで昼メシを食べ、下剤の恐怖におびえながらも街に出て歩き回った。梅田のキディランドでゲームボーイ・カラー、ポケモンの赤と金を買う。ゲームボーイは既に1台あり、ポケモンも緑があるのだが、2台ないと通信できないし、ポケモンも全部集まらないし。それにひとつのソフトではひとつのストーリーしか進行できないのが痛い。ポケモンスタジアムも買いたかったがNINTENDO64を持っていないことを思い出し自粛。
●さらにエスト1の突き当たりにあるポケモン・センターでポケモン・グッズを買いこむ。250種類のポケモンそれぞれのフィギュアがあり、マイ・フェイバリットのソーナンスを買う。ソーナンスは先週の売れ行きが1位だったらしい。2位はウソッキー。渋すぎる。他にもいろいろ買う。嬉しい。
●難波へ流れてアトリエ・サブでスーツを買う。ドイツではなかなかサイズが合わないこともあって衣料品は必要最低限しか買わないことにしているのだ。買ったのはチャコール・グレーの三つ揃い、上着は3つ釦のサイドベンツ、45000円は悪くないと思ったんですがどうでしょう。裾直しができたら配送してもらうことにした。僕もかつては不動産屋やアパレルみたいな薄い色(でダブダブ)のDCスーツを好んで着用し上司の不興を買ったりもしたが、今回はチャコール・グレーもしくは濃紺と決めていた。ロンドンのシティでまともな銀行員が例外なくそういう色のスーツを着ているのを目にして美意識が変わったからである。とはいえ黒に近いチャコール・グレー、細身の3つ釦サイドベンツでは、シティの銀行員というよりミッシェル・ガン・エレファントという感じですか。ついでに隣のリーガルで革靴も買ったら、おまけにテディ・ベアをくれた。荷物になるので断ろうかと思ったが、気が弱いので断れずそのままもらってきた。
●結局下剤が外出先で致命的な事態を引き起こす前に家にたどり着くことができた。

2000年12月16日(土)

●南紀方面に旅行。クルマで高速道路をたどって行くと、あっけないほど簡単に着いてしまった。場所は梅で有名な紀伊南部。温泉に入って豪華な晩メシを食べる。温泉は露天もあり楽しい。熱い風呂は苦手なんだけど、外の空気に顔だけ冷やされながら入る露天風呂は気分いい。土産(自分用)には梅干しと那智黒を買った。

2000年12月17日(日)

●天気は悪かったが、せっかくここまで来たんだからと白浜まで足をのばし、アドベンチャー・ワールドでサファリを見ることにする。大人3500円という入場料に一瞬ムッとするが、なかなか場内がきれいに保たれているのでちょっと感心した。こういう施設って、作りっぱなしで後は寂れる一方っていうのがよくあるパターン(海ほたる的「滅びの予感」)だけど、ここは開業してそれなりの年月が経っているにも関わらず、きちんとメンテが行き届いている印象を受けた。作りっぱなしで後はカネをかけないというのは簡単なことだけど、そうすると確実に客は減って行くし、逆に本気でメンテすればいくらカネがあっても足りない。そういう意味ではここは良心的な方ではないでしょうか。
●サファリでは、もうちょっと自由に動物さんたちが走り回っているかと思っていたが、結構仕切りも多く(そりゃまあ草食と肉食を混ぜる訳には行かないんでしょうけど)、気温のせいか天気のせいか動きも鈍く、まあ、広めの動物園をクルマから見学しているという感じ。あと、パンダ館でパンダも見たけど、あっちの方を向いて寝転がっていたので顔はよく確認できなかった。
●晩メシは家の近所のうどん屋。カレー南蛮とミニネギトロ丼のセット。食い合わせが悪いような気もしたが、どちらも食べたかったのだからしかたない。アトリエ・サブからスーツが届いていた。早い。ていうか、日本では日曜日でも宅配便の配達があるんですね。ドイツでは考えられない。

2000年12月18日(月)

●まだ買い足りないものがあったので街へ。恵美須町へ出てJ&Pテクノランドに入ったが、ここでもまた「おなかいっぱい」状態になりかける。自らを鼓舞しながらまずソフトをチェック、ウィンドウズMe、MSオフィス2000、アドビ・アクロバットを買う。それにしてもMSオフィスのビジネス・パックにアクセスが入っていないのはどういうことか。ホーム・パックに入っていないのはともかく、アクセスは一般人の「ビジネス」には不要ということなのか。おかげで僕はいらないもののいっぱい入った「プロフェッショナル・パック」を買う羽目になりましたよ。あと、ソフトのパッケージってどうしてあんなにバカでかいのか。所詮実体はCD-ROM1枚でしょ。かさばるし重いし、もうちょっと何とかしてください。
●で、ハードを眺めていたところ、むくむくと物欲が頭をもたげてきて、ノートブックを買ってしまった。かなりの高性能ノートでも10万円ちょっとで買えるんですな、最近は。メモリの増設と配送をお願いして、さっき買ったソフト類も一緒に配送してくれないかと頼んだらそれはダメだと言われた。ムカつく。携帯端末も欲しかったが、ザウルスすら使いこなせないで紙の手帳を愛用していることを思い出し自粛。
●昼メシは吉野家の牛丼。特盛り+タマゴ。これも帰国したら食べたかったもののひとつなんだよね。美味しかった。
●そのまま難波へ流れてポール・スミスでもう一着スーツを買う。こちらも予定通り濃紺。裾直し+配送をお願いする。
●そこから梅田経由、阪急で十三の淀川区役所へ。住民票の除票を出してもらおうとするが、転出して5年以上経過していると除票は出ませんと言われ、しかたなく戸籍の附票を出してもらう。戸籍地が同じところでよかった。
●梅田の紀伊国屋書店でPC関係の本を買いこむ。エクセルのVBAやアクセス、HTMLやスタイルシートの教則本など。ドイツから注文することもできるのだが、この手の本はやはり中身を確認して買いたいからね。「おなかいっぱい」状態にも関わらずよくがんばった。自分をほめてあげたい。

2000年12月19日(火)

●朝から免許センターに向かう。僕の日本の運転免許証は前回一時帰国時に更新したのだが、それがちょうど3年前で、有効期限は今年の誕生日(10月1日)で切れてしまっている。免許センターに訊いたら、失効した免許証と戸籍の記載のある住民票の写しを持ってこいと言われたが、海外居住者なんで住民票がないんですよねと言うと、住民票の除票と居住証明でいいですとの答え。で、しかたなく昨日はもはや何の関わりもない淀川区役所まで足を運んだ訳である。居住証明の方は近所の民生委員さんに頼んで発行してもらった。
●平日だというのに免許センターは結構なにぎわい。受付が朝9時までなのはつらいが、まあ、役所というのはどこの国もそんなものだろう。ドイツの役所の官僚主義に慣れると、日本の免許センターの応対ですらレベルが高いように感じるのが怖いところである。日本だと少なくとも担当者によって言うことが違うということはそれほどないもんね。あと、「担当者は休暇中なので再来週もう一度来てください」とかさ。ドイツだと「いや、来週また出国するから今日でないとマズいんですけど」なんて言ってみても、「私は担当じゃないから」とか言って肩をすくめるだけである。官僚主義というか杓子定規もあそこまで行くと文化の域に達していると思う。
●免許証の更新手続きは無事に終了。住民票の除票の代わりに持参した戸籍の附票もあっさりアクセプトされてしまった。この免許証が切れるまでにはきっと本帰国しているでしょう。
●昼から近所のショッピングセンターへ。僕の実家は奈良県の香芝市というところにあるのだが、25年前に大阪市内から引っ越してきたときにはまだ「奈良県北葛城郡香芝町」だったのであり、本当に何もない田舎で都会っ子の僕としては激しいカルチャーショックを味わったものだ。なにしろ町内に本屋が一軒もないし、郵便ポストの投入口はひとつだし(商店の郵便受けかと思った)、田んぼはあるし、電車に乗るには事前に時刻表を確認しなければならないし(1時間に3本しか街に出る電車がない。電車というのは駅に行って待ってればすぐに来るものだと思ってた)。それがいつの間にか宅地開発が進んで市制が施行され、国道沿いには本屋どころかディスカウント屋やマクドのドライブスルー、ショッピングセンターまでできているのである。
●という訳で、ショッピングセンター内の本屋で浦沢直樹の「MONSTER」1、2巻を買う。舞台がデュッセルドルフだということで読んでみることにした。そういえば最近マンガを読まなくなった。ドイツに住んでいるからかと思っていたけど、一時帰国して本屋に山積みされているマンガ本を見てもあまり読みたいと思わなかった。やっぱり「おなかいっぱい」状態だな。

2000年12月20日(水)

●昼から近所のマッサージへ。純然たるマッサージというよりはスポーツ整体+カイロという感じで、結局、目黒のカイロと同じことをもう一度やってもらったような。これも悪くはなかったけど、どちらかというと「ああ、気持ちいい」というマッサージを受けたかったな。足裏とか。次回帰国時の課題にしよう。帰りに本屋で「MONSTER」3、4巻を買って帰った。
●晩メシは近くに住む新婚のいとこの家に招かれた。こないだ新婚旅行でドイツに来たのでメシをおごってやったお返し。いとこの新居は僕が通った高校のすぐそばだった。

2000年12月21日(木)

●近所のユニクロへ。下着用の白いTシャツ、靴下、トランクス等25000円分を買いこむ。悪くない。外出着に使う気はあんまりしないけど、そこそこのものが統一感のある品揃えで安く揃う。カラフルな無印良品衣料版というところでしょうか。定番のアイテムを揃えるのにはちょうどいい。あとはビジネス用のワイシャツを開発して欲しいと思った。
●近所に新しくできたイタメシ屋へ晩メシを食べに行く。前菜、パスタ、子牛料理のメインにデザート、コーヒーで3200円はなかなかいいのではないでしょうか。味も悪くない。店は4人掛けのテーブルが2つと、7人掛けのカウンター。シェフ兼店長の愛想もいい。あとは生ハムをもう少し薄くスライスすることでしょう。ガヴィ・デ・ガヴィも美味しかった。
●ところで日本ではパスタというのはスパゲティのことなんですか。

2000年12月22日(金)

●最後の買い物に街へ出た。心斎橋ホテル日航地下の竹葉亭でウナギ。美味しかった。そごうの閉店セールで革のハーフコートを買う。他はドイツへのお土産など。おやつにユーハイムのフランクフルタークランツを買って帰る。このケーキ好きなんです。難波の旭屋書店で「MONSTER」5、6巻購入。あとはドイツで注文して読もう。

2000年12月23日(土)

●家族でクリスマス会。持参したフランケン・ワインを開ける。大人にはプレゼントはないのか…。
●明日の出発に備えて荷物を詰める。僕のスーツケースはサムソナイトのオイスターというモデルだが、この初期のモデルは持ち運びが最悪。買い換えたい。これにぎゅうぎゅうに荷物を詰めて体重計で測ると30kgちょうどになった。重い。マンションの3階まで一人でこれを運ぶことを考えると気分が沈むがしかたない。まあ、おもに本のせいでしょう。早く寝る。

2000年12月24日(日)

●クリスマスだというのにどうして朝5時過ぎに起きなきゃならんのか。まだ暗い中、クルマで伊丹空港に向けて出発。伊丹→成田→フランクフルトという乗り継ぎなんだけど、成田での乗り継ぎが最悪で、4時間弱の待ち合わせだ。伊丹8時40分発は勘弁してくれ。ていうかどうして関空→フランクフルトの直通がないのか。
●成田では週刊誌か何か買おうと思ったが、例によってやる気が萎えてしまい何も買わずにそのまま出国手続きをしてJALのラウンジへ。ここでノートパソコンを取り出してこの「日本滞在日記」を3時間ほど執筆した。結局それがいちばん有意義な時間の使い方だったかもしれない。
●飛行機は2階席。初めてだ。ビジネスはガラガラだった。ゲームボーイでポケモンして遊ぶ。オツキミ山を突破してハナダシティに到着した。ノートパソコンも出して「日記」の続きを書いたりもするが、いかんせん12時間は長い。後は寝たりメシ食ったり、リチャード・バックマンの「レギュレイターズ」を読んだり。
●フランクフルトからはJALのバスでデュッセルドルフへ。これもガラガラ。バスを降りてタクシーで自宅に着いたのは午後8時半。疲れた。
●何だかドイツに着くと「帰ってきた」という感じがするようになった。日本にいるとごく自然に日本の生活になじんでいるが、ドイツにいて周りが外人ばかりでも異和感がない。どっかでモードがパチンと切り替わっているような感じかな。タクシーの運転手が品のよさそうなおばちゃんで、いろいろと話しかけてくれたのでドイツのリハビリになった。さっきまで実家にいたのに、今はドイツにいてドイツ語をしゃべっている。どっちも僕の当たり前の日常なんだな。
●という訳で、次の帰国はいつになるんでしょう。そんな遠い先のことじゃないような気もするが。


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