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トーキョー・シック トーキョー・シック TOKYO CHIC

Victor/DaisyMusic
VIZL-619 [CD+DVD] (2014.2.12)

PRODUCER:
佐野元春
ARRANGEMENT & CONDUCT:
前田憲男
ENGINEER:
行方洋一
作詞・作曲:
佐野元春
●トーキョー・シック
●もう憎しみはない
●こんな素敵な日には
●Bye Bye Handy Love
●トーキョー・シック(MONO)
●トーキョー・シック(LIVE)



2012年5月にiTunes Storeでのダウンロードでリリースされた雪村いづみとのデュエット「トーキョー・シック」を中心に、同じセッションでレコーディングされた同じく雪村とのデュエットで未発表の「もう憎しみはない」と、ソロの「こんな素敵な日には」「Bye Bye Handy Love」の新録をまとめたミニ・アルバム。

アーティスト・クレジットは「佐野元春&雪村いづみ」。レコーディング・ドキュメント、ミュージック・クリップ、ライブ・シーンなどを収録した約30分のDVDが付属(DVDについては別稿)。企画盤であり「トーキョー・シック」のスタジオ音源は既発表の音源であるが、それ以外は未発表の曲、テイクでありここでしか聴けない貴重なものだ。

セッションは、ジャズ・ピアニストの大御所・前田憲男を編曲・指揮に、行方洋一をエンジニアに迎え、ベテラン・ミュージシャンを中心にしたビッグ・バンド編成で行われた(セッション・チームは「前田憲男with The Old Playboy All-stars」とクレジットされている)。

「トーキョー・シック」のモノ・バージョンはステレオ・バージョンと同様2012年5月にシングルとして発表済み。ライブ・バージョンは2012年5月10日にビルボード東京で行われたライブでの演奏を収録したもの。

デュエットの2曲では雪村の声の存在感が際立つ。失礼ながらレコーディング時75歳の年齢でのこの声の張り、確かな音程と豊かな表現力は驚嘆に値する。天性のものなのか、それとも厳しい鍛錬の賜物なのか。いずれにしてもプロフェッショナルとしての矜持を目の当たりにするようで身の引き締まる思い。歌うたいを生業にするとはこういうことかと居住まいを正したくなる。

佐野のソングライティングは曲想の異なる二つの作品で雪村のヴォーカルの魅力をしっかり引き出しながら、作品自体としてもよくまとまっており悪くない。往年の雪村を意識したようなバタ臭さを残しながらも佐野の色をにじませ、佐野のポップ・ミュージックの歴史への愛情と年長のアーティストである雪村への敬意が率直に表現されている。「もう憎しみはない」は佐野自身のレパートリーとしてはなかなか聴けないバラードであり、思わず歌い上げたくなる名曲だ。

惜しまれるのは雪村と佐野のボーカルの相性があまりよくないこと。雪村のボーカルの迫力に佐野の声が埋もれてしまい一緒に歌っていることすら気がつかなくらい。音域の違いもあってか声質が合わず、音程的にはおかしくないはずなのに二人の声がひとつのメロディを奏でているとは言い難い。特に「トーキョー・シック」では正直言って佐野のボーカルはなくてもよかった。

一方、佐野のソロ・レパートリーをビッグ・バンドでリテイクした2曲では、20代前半の佐野が作曲したこれらの曲が30年を経て本格的なビッグ・バンドの演奏と火花を散らすくらいがっちり渡り合っているのが分かる。

僕が高校生だった頃、佐野の音楽を熱心に聴くようになったのは、「こんな素敵な日には」や「Bye Bye Handy Love」といった、直線的なロック・チューンとは一線を画する「洒落た」ナンバーの力も大きかった。

それまで僕が聴いていた当時の日本のポップ・ソング、「ニュー・ミュージック」は、形の上でこそビートルズ以降の洋楽のスタイルを模倣していたものの、それは所詮表面的なものに過ぎず、そこにはそうした洋楽の背景となっているそれ以前のモダン・ミュージックを含む音楽文化そのものを素養として継受しようという態度はなかった。

それゆえそれらの音楽は奥行きを欠いた平板な書き割りのようなもの以上にはなり得なかった。先行者としての歌謡曲の作曲者らが洋楽から受容しようとした豊かなポップスの系譜に正当な注意を払う者はなかったのだ。

そこに出現したのが佐野元春だった。佐野の音楽は僕にとって、もちろんそれ自体欠くことのできないアイテムであると同時に、その背景に広がるさまざまな音楽、さまざまなポップ・カルチャーの存在を示唆するオーガナイザーであった。ここに収められた2曲はまさにそんな佐野の側面を示すものであり、佐野のバックボーンとなっている音楽の奥深さ、幅広さを垣間見せた作品だった。僕が佐野にのめり込んで行く大きな契機になった曲である。

そうした作品が瑞々しく迫力に満ちたビッグ・バンドの演奏に乗って「解放」されるのはスリリングな体験だ。若き佐野の張りのある声で聴きたかった感はあるが、佐野の表現の根底にあるもののひとつを確かめるかのような意欲的な試みであり、大きな意義のあるセッションであると評価していいだろう。

最後になるが前田の編曲、バンドの演奏も素晴らしい。ネット配信のシングルでは「トーキョー・シック」のインストルメンタルがリリースされているが、CDには収録されなかったのが残念だ。オケだけ聴いてもそれ自体十分楽しめる。シュアでありながら躍動感のある演奏、どの楽器の音を追っても楽しめるアレンジはさすがだと思う。傾聴に値する音楽そのものの力を感じる。

佐野のメイン・ストリームの作品群からはやや傍流に位置し、リリース形態もイレギュラーだが聴き逃すことのできないアルバムだ。



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