logo 2004.12.11 牛久市中央生涯学習センター


ツアー中盤のライブも見ておきたくて牛久まで足を運んだ。上野から常磐線でほぼ1時間、駅からはさらに徒歩20分、本当は自動車で行くべきところだったのかもしれない。

本編のセット・リストは渋谷公会堂と同じだったが、この日の佐野はどういう訳だかテンションが高く上機嫌だった。「今日は天気が良かった。天気のいい日にこの街で演奏できるのはとても嬉しい」と本人もMCしていたほどだ。天気だけのせいだったのかどうかは分からないが、ともかく、前向きな気持ちが流れこむようにして伝わってくるライブだった。

それには客席の影響もあったのかもしれない。腕組みして見ている人も少なからずいるような東京でのライブとは異なり、客席全体が非常に親密な雰囲気に包まれていた。ライブそのものを楽しもうという楽観的でポジティブな空気が会場にあふれていたように思う。佐野もそのプラスのバイブレーションに感応したはずだ。互いに向かう素直な感情のやりとりが幸福に成立していたと言っていい。

アンコールでは「Bye Bye Handy Love」に代わって「彼女はデリケート」が演奏され、「アンジェリーナ」と合わせて2曲で1回目を終了。2回目のアンコールでは「もうこんな季節だ」と前置きして「Christmas time in blue」を演奏した。この曲をライブで聴くのは久しぶりだった。その後は瑞穂、渋谷と同じ「悲しきRADIO〜メドレー〜Welcom To The Heartland」。これで演目は終了するかのように思われたが、拍手が鳴りやまず、例によって佐野がメンバーに何ごとか耳打ちをした。

僕はこのとき、「Back To The Street」をもう一度やるのか、あるいはこの日演奏しなかった「Bye Bye Handy Love」をやるのかと思っていた。でも佐野のMCは違っていた。「20代には20代の、30代には30代の『いつかきっと』がある…」。驚いた。正直言ってこの曲をやるとは思っていなかった。もうこの曲はやらない、やらなくていいとこのツアーでは考えているのだと思っていた。

「SOMEDAY」だった。この曲を今日、ここで聴くということが僕を打った。この日の率直で誠実な雰囲気が、僕にもこの曲を素直に受け入れさせたのかもしれない。僕の中ではすっかり「解決した」はずだったこの曲が、39歳の僕の心にそのままの強さで響いてきた。佐野は「一緒に歌おう」と言ったけれど、僕には歌えなかった。歌う余裕なんかなかった。通り過ぎたもの、大事にしていたもの、愛おしいもの、恋しいもの、手の届くもの、そして手の届かないもの。僕の「いつかきっと」。だれかがパンパパンと手拍子をしてももう僕には関係がなかった。そこには僕と佐野だけがいて、ずっと昔に交わした古い約束があった。なくしたと思っていたものも、全部僕の胸の中にあった。

ライブが終わって二日がたった今でも、その時の心の動きを僕はうまく整理できない。あれはこうだったんだと理屈をつけることができない。構わない。整理しようとも、説明しようとも思わない。僕はこれを抱えて行く。それでいいと思う。

とても幸せなライブだったと思う。見に来た人の多くは満足して帰ったことだと思う。もちろん僕もそうだ。だけど、一つだけ気になることがあるとすれば、この日のライブがあまりに円満だったことだ。みんな自分のやんちゃな子供を見守る父親や母親のようだった。そこには笑顔があり、肯定があり、受容があった。力があり、光があり、熱があった。しかし、そこにはギリギリの渡り合いや切り結びはなかった。何が起こるか分からない、それが素晴らしいものかただのクソかも分からないというやみくもな緊張感はなかった。それがロックをロックたらしめている大きなモメントの一つだとすれば、この日のライブでそれを感じさせたのはかろうじて「観覧車の夜」だけだった。

それでいいのかもしれない。だれも切れるように張りつめたクールなライブなんか求めてないのかもしれない。にこりとも笑わない佐野なんか見たくないのかもしれない。6500円も払っているのだから単純に楽しみたいのかもしれない。だけど、この日のライブが幸福であればあるほど、あまのじゃくな僕はそろそろオーディエンスに挑むような無理筋のライブも見てみたいなと思ったのも確かだ。特に後半の、「THE SUN」からの曲は、ガラガラの小さなライブハウスや、いっそ渋谷の駅前ででも聴いてみたいと思った。

次は2月のNHKホール。その時までにこのアルバムが僕の中でどう熟するのか楽しみだ。



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