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「観覧車の夜」、このアルバムで唯一HKBが参加しない曲だ。フュージョン、ラテンを得意とするベーシスト高橋ゲタ夫によるサルサ調のアレンジで、佐野のレパートリーの中では異例の雰囲気を持っている。

ラテン、サルサといえば、情熱的で明るいダンス・ミュージックをイメージする人が多いかもしれない。僕も実際そうだ。だけどこの曲は決して明るい南の国のビーチをバックにしたテレビCMでかかるような曲調ではない。むしろ内向するような陰鬱なグルーヴが繰り返され、歌詞もクレイジーで禍々しい夜の印象を紡いで行く。うねるように続くベースラインは、夜の闇の中で息を殺している呪術的で悪魔的な力の存在を示唆しているかのようだ。

そしてサビでようやく僕たちは解放される。

夜空は澄み渡り 晴れやかな心に
いつも回る 回る
光の導くままに

曲調はメジャーになり、歌詞は晴れやかな心を歌う。だがそれは決して楽観的で明るい太陽の下でのできごとではない。それは夜空にそびえ立つ観覧車のように、暗闇で回り続け、踊り続けるダンシング・ハイだ。呪術的で悪魔的な夜をくぐり抜け、狂おしい月の光の下で踊り続けるうちに、すべての日常的なものが流れ出し、すべての論理や意味が溶け出して、本能に近い何かがむき出しになる瞬間、そんな官能的で宗教的な瞬間のことをこの曲は歌っている。

それは意識の変容だ。僕たちが時に泥酔状態で疑似体験するような意味性のドラスティックな転換だ。それは原初的な闇の中で息づく荒ぶる神々の物語であり、邪悪なものと神聖なものが表裏であり、あるいは一体であることの啓示なのだ。そうした二面性、多義性、重層性こそこの曲の成り立ちを豊かにしているモメントであり、そこで歌われる光は、明るい太陽の光であるよりは、抑圧と解放のせめぎ合いの中で閉じた目の奥に見える「内なる光」だと僕は思う。

だから、この曲を聴くときには僕はまず闇のことを思う。そこに棲むもののことを思う。そのようなものの力をジェネレイターにしてこの曲は回り続ける。聖と俗、善と悪、そして、悦びと怖れ。矛盾するものが溶け合う場所で僕たちはひそやかに解放される。



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