logo 神様を信じる強さを僕に


神様はいると思う。僕はどんな宗教にも興味はないけれど、神の存在を信じる。万物の背後にあってそれらを統べる絶対の摂理の存在を信じる。冷酷で、無慈悲で、寡黙な、そんな神の存在を信じる。

「太陽」で佐野は何度も「God」と呼びかける。佐野はこれまで歌詞の中で神に言及したことはほとんどない。その佐野が、この曲では神に祈りを捧げているのだ。「ここにいる力をもっと」、「風に舞う力をもっと」、そして「夢を見る力をもっと」と。

佐野はどうしてしまったのだろう。佐野はもはや自分の力で何かをつかもうという意志を失って、神にただ祈ることしかしなくなってしまったのだろうか。

この曲は間違いなくアルバム全体を統合し、ひとつの作品としての意味を与えるカギだ。この曲がなければ、「THE SUN」というアルバムはもっと散漫なものになっていただろう。音楽的に非常に意欲的で水準の高い試みを行い、歌詞にも深化を見せて、ロックと一人の人間の成熟というテーマにひとつの答えを出そうとしたこのアルバムは、しかし個々の楽曲の完成度が高ければ高いほど、それらをひとつにまとめる強いモメントを必要としていた。

「太陽」はアルバムの中で最後にできた曲だという。そして、それがそのままアルバムのタイトルになった。だが、この曲の中に「太陽」という言葉は一度も出てこない。佐野はそこでただ、神に祈り続ける。「ここにいる力をもっと」、「風に舞う力をもっと」、そして「夢を見る力をもっと」と。

生かされている、という感覚。自由を、真実を、そして生き延びる知恵と力を希求しながら、それを決して円満には手にできない人間という存在の本質的な不完全さを思うとき、いずれ死に行くべき僕たちの運命を考えるとき、僕たちは僕たちの有限な生がどこから来てどこへ行くのかと自問しない訳に行かない。そしてその僕たちの生を根拠づける摂理の存在を求めずにはいられないのだ。僕たちがここで生きようと誠実に願えば願うほど、僕たちは普遍に憧れる。

神の存在を思うとき、それは自分の頼りなげな二本の足がこの地面にしっかりと立っていることを確かめるときだ。そこにあって自分が生きることへの意志を抱きしめるときだ。残酷な現実に打ちのめされず、それでも夢を見続ける強さを切実に求めるとき、僕たちはその背後にあるはずの神の姿を一瞬だけ垣間見るのかもしれない。太陽が僕たちのまぶたの裏に焼きつける残像のように。



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