logo live on 2006.1.14 at 江戸川総合文化センター


冷たい雨の降る1月の土曜日、僕は新小岩の駅にいた。ツアー2日目、僕にとって今年初めてのライブとなる「星の下 路の上」ツアーの江戸川総合文化センター公演、新小岩の駅前で長い列に並んでタクシーを待ち、会場にすべりこんだのは開演間際だった。

気のせいかいつもにも増して客席の高齢化が進んでいるようだ。彼らはみんないつから佐野を聴いているのだろう、どんなふうに佐野の音楽とつきあい、寄り添ってきたのだろう、そして今夜何が起こることを期待しているのだろう、と彼らのあまり垢抜けたとはいえない背中を見ながら思う。そう、僕だって40歳になった。明日は厄年のお祓いに行くことになっている。

それはつまり、僕はいつから佐野を聴いていて、どんなふうに佐野の音楽とつきあい、寄り添ってきて、今夜何が起こることを期待しているのかということなのだ。僕は今日のライブに何を期待しているのだろう。何を聴き、何を見るために、何を思いながら新小岩の駅前で冷たい雨に濡れながらタクシーを待っていたのだっただろう。

ライブは「アンジェリーナ」で幕を開け、「ぼくは大人になった」「COMPLICATION SHAKEDOWN」とほとんどMCもないまま進行して行く。アレンジはヘヴィでソウルフル。ノリよりはグルーヴでグイグイと流れをドライブして行く感じと言っていい。途中、本格的なレゲエにリアレンジされた「Heart Beat」、ほとんどアンプラグドでシャウトなく歌われた「Rock & Roll Night」をなど経て、中盤でアルバム「THE SUN」からの曲を3曲披露する。

ここからライブは後半に入り、メドレーのない「悲しきRADIO」、レコードに忠実なアレンジに戻された「Young Bloods」、そして最後は「SOMEDAY」、「約束の橋」、「NEW AGE」でエンディングを迎えた。本編は全部で23曲、「THE SUN」からの3曲と「ぼくは大人になった」と「レインボー・イン・マイ・ソウル」を除けば、すべてアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」までの曲で構成され、「星の下 路の上」からのトラックは披露されなかった。

アンコールは一度のみで、「国のための準備」と「Welcome to the Heartland」。客電がついて2時間半以上に及んで25曲を演奏したライブは終わった。

ここに挙げた曲目からも分かるように、セットリストは初期の所謂代表曲、定番曲が中心だったが、僕が帰国後ライブの度に感じていた違和感、身内だけの思い出話に自閉して行くような後ろ向きな感じは不思議となかった。それはおそらく、佐野やバンドが、これらの曲を手慣れたルーティンとして演奏するのではなく、アレンジを工夫し息を合わせて、まるで新曲のような緊張感でひとつひとつのビートをたたき出したからに他ならないだろう。

また、この夜演奏された曲それぞれのアレンジも、大胆に変えるところと、オリジナルや長年ライブで積み上げてきたアレンジのニュアンスを正確に再現するところのメリハリが非常に明確で、そのことがこのライブのテンションを高く保つ上で寄与した部分は大きいと思う。特に、大サビともいえるシャウトを敢えて外してリアレンジされた「Rock & Roll Night」と、間奏のサックスのフレージングまでオリジナルを忠実になぞった「SOMEDAY」との対比は鮮やかだった。

ライブ・マスターとしての佐野のアティチュードも素晴らしかったと思う。「VISITORS TOUR」を思わせる黒い人民帽を目深にかぶり、帽子のつばに手をやって声援に答える佐野の姿、MCも少なく次々と曲を連ねて行く進行は、フレンドリーでアット・ホームな雰囲気をベースにしていた最近のライブとは明らかに異質なものだった。

もちろんそれは佐野がファンとの濃密な関係を放棄したということを意味しない。むしろ、佐野はその関係を更新するために再びロックンロールの演劇性を援用したのだ。過剰なサービスを排し、敢えて「カッコつけて」見せることで、佐野はライブを再び非日常化した。ある時期から進行した佐野の「いい人」化、「俗人」化という傾向に、今回のライブは一定の歯止めをかけた。僕はそれを評価したい。

僕は別に佐野を神格化せよとか絶対化せよとか言っている訳ではない。ロックンロールという音楽は一種の演劇性、大仰さ、バカバカしさをそもそもその本質として備えているものであり、むしろそういう非日常的なモメント、過剰がこの上ない「カッコよさ」に転化する瞬間にこそそのダイナミズムが結晶しているのだ。アーティストが「普通の人」、「隣のお兄さん」に堕してしまえばそのようなロック的「カッコよさ」もまた成り立ち得ない。その意味で、敢えて「ロックスター」を演じて見せたかのような今回のライブの演出は正しかったと僕は思う。

佐野の声の衰えは隠すべくもないが、定番曲を中心に演奏しながらも「次」への開かれた意志を明らかにした今回のライブは久しぶりに納得感、満足感のあるものだったと思う。ライブが終わったとき、僕はいったいここに何を見に来たのだろうという漠然とした疑問は消えていた。ツアーはまだ始まったばかりである。このライブ・パフォーマンスが3ヵ月に渡るロードでどのように成長して行くのか、再び目にする機会があればいいと思った。


お初書き込みです。 (きょーこ)  2006.1.15

<このライブ・パフォーマンスが3ヵ月に渡るロードで
どのように成長して行くのか

ああ、なるほどね…。でも悪い意味ではないんですけど、
わたしは[THE SUN TUOR]のときには
これからもっとよくなってく余地がある、そう思ったんですけども、今回はあまりそういう気が
しないんですね。
ショウとしてもうかなり出来あがっているし、
HKBの演奏もある程度出来上がってると思えてしまって。

…ってそう思っていたけれど、、、
もしもっと成長していくことがあるならば
それは観たいですよねえ…。

でもいつのときにもそのときの佐野くんと自分を
確かめに行くっていうのがわたしのスタンスみたいです。

はじめまして (まこざえもん)  2006.2.6

はじめまして。
「Welcome to the Silverboy Club」とともに時々お邪魔しています。とても興味深い文章ばかりで、唸らされるばかりです。

今回のツアーは昨日大宮で体験しました。自分のblogにも書いたのですが、時間が経って冷静に考えてみると御馴染みの曲ばかりではありましたが、そこに何か元春なりの意志とか意味が潜んでいたように感じます。それを今はまだうまく表現できないのですが・・・なぜ80年代の曲にこだわったのか、なぜツアータイトルの曲をやらなかったのか。それはファイナルで明確になるのかもしれません。

これからもちょくちょく読ませていただきます。
ではでは。

大宮でも (Silverboy)  2006.2.7

新譜の曲はやりませんでした。

>きょーこさん
「そのときの佐野くんと自分を確かめに行く」というのが何となく分かるような気がします。佐野の音楽、そしてそれに向かい合う自分。ある種の写し絵のような、そんな体験かもしれませんね。

>まこざえもんさん
はじめまして。オリジナルを忠実になぞった曲もあれば大胆にリアレンジした曲もあり。受け継がれるべきものと更新されるべきもの。もう少し考えてみたいテーマです。また遊びに来てください。

自分の中で、一気にしらけてしまったんです (りゅう)  2006.4.3

国際フォーラムで、やっとツアータイトルである「星の下路の上」が演奏されました。
ずっと新曲のないツアーだったので、今回この曲を聴けたのはすごくHappyな事でした。

(これは、ホントに個人としての感想ですが)
「Visitors」が「Someday」のファンを2分したり、「The Sun」でStyleを変えたようような変革を、
「星の下路の上」がリリースされ、曲を聴いた時に求めていたのかもしれないのですが、
Liveの3曲目あたりから急に気持ちがしらけてしまって・・・

MCでも多く出てきた「希望」という言葉、
まあ元々真面目な性格だから仕方がないのだけれど、優等生的な歌詞の多いセットリストに嫌気が指してしまった感じがし、
曲に合せて拍手や手を振る観客のアクション、当然自分もそれを楽しんでいたはずのに、それが違うように思えました。

以前Silverboyさんが、THE SUN TOUR at NHK Hall でコメントされてたように
「約束の橋」、「Someday」と続いた時に、「これらの曲は、もういらない」と感じ、
聴く気にもなれず、周りがヒートアップしてる中、ひとり腕組をして座ってしまいました。

元春やH・K・Bのパフォーマンスは、間違いなく素晴らしかったとは思います。

会場に入るまでは、一人の熱いファンだったのに、
いったい何が違ったんでしょうか?

これでいいんだ、と私は思いますね。 (田中靖久)  2006.4.5

国際フォーラムのライブ行ってきました。

「アンジェリーナ」「僕は大人になった」・・・と続いた冒頭の曲を聴いたときは、私も「あ、またか」という印象を正直持ちましたけどね。でもその後は、「ヤングブラッズ」のように前半はオリジナルに忠実ながらも後半にアレンジを加えたり、「バルセロナの夜」のようにボサノヴァにしたり、安心感と少しの驚きを一緒に味わえるような、そんな楽しさを覚えました。

今、佐野さんに対して、例えば「Visitors」のような革新性を聴き手が求めているのかどうか、私は疑問に思います。

佐野さんの聴き手の多くは、現在30歳台から40歳台で、生活が変化に満ちているということはないですよね。ありふれた平凡な日々の中に、時折アクセントとなるような出来事があって、そんな生活を送っている人が大半だと思います。これからの佐野さんには、そうした聴き手の生活感にフィットした曲を作って、演奏してほしいと思います。

国際フォーラム (Silverboy)  2006.4.9

>りゅうさん
気持ちは何となく分かるような気もします。僕は「約束の橋」や「SOMEDAY」もむしろ「赦せる」ようになりました。多くのファンがこれらの曲を求めるのであれば、それは佐野にとっても曲にとっても幸福なことなのではないかと。もちろん僕自身は「SOMEDAY」の「パンパパン」は死んでもやりませんけど。
確かに佐野の「ラジカル・サイド」をそろそろまた見てみたいです。

>田中靖久さん
聴き手の生活感にフィットした曲、そして、ふだんの生活からは思いもよらないビジョンを見せてくれる曲、僕はそんな佐野の両面を見たい気がします。



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