BACK TO THE STREET 佐野元春のファースト・アルバムである。佐野自身が「レコーディングとは卓の周りの掃除から始めるんだと言われればたぶんそうしてた」というくらい初々しく、とにかく演奏できる、歌えることが新鮮で楽しくて仕方がないという佐野の当時の夢中さがそのまま伝わってくる作品だ。 発表当時はまったくといっていいほど評価されなかったが、ラジオの深夜放送を聴いているティーンエイジャーの間では「アンジェリーナ」という曲、佐野元春という名前は静かに広がって行ったのではなかったかと思う。音楽を手にするためのメディアが今日ほど多様でなかった80年当時(最初の貸レコード屋が現れたのが80年と言われている)、佐野元春の音楽はラジオによって僕たちの耳に届いたのだ。 デビュー・アルバムには良くも悪くもそのアーティストの初期衝動が表れる。その後の活動の原型がそこには含まれている。 佐野元春のこのデビュー・アルバムにも、その後の長いキャリアで歌い続けることになるさまざまなエレメントが既に萌芽として包みこまれている。まるで生まれたばかりの一つの種子の中に、これから咲く花のすべての情報が予め含まれているように。それはサックスをフィーチャーしたサウンド・プロダクションであり、都市生活のひとこまを切り取ってみせる歌詞であり、日本語をビートに乗せる試みであった。しかし、ここに佐野が封入し、その後の佐野の音楽の最も重要な基礎になって行ったモメントは「ロックンロール」であると言っていいだろう。 佐野が「ロックンロール」概念を再生するまで、日本ではそれはリーゼントに革ジャン、バイクというステロタイプを背景に、スリーコードで演奏される「グッド・オールド・ロックンロール」を意味する符丁に過ぎなかった。いや、それは本来の「グッド・オールド・ロックンロール」からもかけ離れた、不良文化とでもいったようなものの象徴であると考えられていた。そこではエルビス・プレスリーやエディ・コクラン、チェック・ベリーやバディ・ホリーに正当な敬意が払われていたかどうかすら怪しいものだと思う。 このアルバムで佐野は「ロックンロール」という言葉を一度も使ってはいないが、ここで佐野が提示した音楽の本質を一言でいうとすればそれはまさに「ロックンロール」に他ならなかった。都市におけるティーンエイジフッド、そこで僕たちが遭遇するできごと、ボーイズ&ガールズ、アップ&ダウン、ちょっと背伸びして気取ったナイト・ライフ、佐野がそこで描き出して見せた世界こそ本来ロックンロールがすくい取るべきものだった。 「街路に戻ろう」と名づけられたこのアルバムで、佐野はそのようなストリート・ライフを、普通の子供たちの手に取り戻そうとした。ロックンロールを目つきの悪い不良たちの手から奪還し、スマートで少しばかりインテリジェンスもある、しかし決して自分を取り囲む大人たちの世界に丸く収まっている訳ではないシティ・チャイルドのためのゆりかごとして鳴らそうとした。 「ロックンロール」は決してスリーコードの単純な音楽ではない。そこでは僕たちが都市生活の中で経験する喜びと苛立ち、怒りが最もポップなフォーマットで、しかし最も生々しい形で歌われなければならない。逆にいえば、そのような僕たちの生の実感に寄り添った音楽は即ちロックンロールなのだ。佐野はこのアルバムで、「ロックンロール」というのは単なる限定された音楽のフォーマットの名前ではなく、アーティストが、リスナーが音楽に向かい合うアティチュードの問題であることを示した。いや、少しばかり大げさにいうなら、それは僕たちが僕たち自身の生に向かい合う視線のあり方の問題ですらあるのだ、と。 もちろんここに収められた曲の中にはいかにも佐野の若さがそのまま表れたもの、少しばかり情緒過多に流れるものもある。しかし、ここに封印された佐野の音楽の本質は驚くほど現在まで一貫して変わっていない。その本質とは乱暴にいえば音楽においていかに生の実体を鳴らすかということなのだが、結局のところ佐野は初めからその一点だけを歌い続けているのだし、僕たちもまたそれを聴き続けているのだと言っていいのかもしれない。若さ、青さ、甘さも含めてむしろ素直に楽しめるファースト・アルバムだと思う。
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