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これはオリジナル・アルバムではない。しかし、ある時期に佐野元春を熱心に聴いたことのある者にとっては、オリジナル以上に重要で愛着のあるコンピレーションに違いない。もちろん、僕にとってもそうである。

このアルバムは1983年にリリースされた。佐野が前年から続いた「Rock & Roll Night Tour」を中野サンプラザで打ち上げ、そのまま渡米してしまった年である。このとき、佐野はそのキャリアで最初の頂点にあった。シングル・ヒットこそなかったものの、ツアーには多くの多くの熱狂的なファンが詰めかけ、ティーンエイジャー向けの音楽雑誌はこぞって佐野を取り上げた。ブームと呼んでも差し支えのない狂騒があった。

3枚目のアルバム「SOMEDAY」が1982年5月のリリースだったことを考えると、佐野がツアーを終えた後、この年の春から夏に新しいオリジナル・アルバムを発売するのはごく当たり前のことのように思われた。しかし、佐野はそれをせず、単身ニューヨークへ旅立ってしまう。そして残されたのがこのコンピレーション・アルバムだったのだ。

このアルバムには、「アンジェリーナ」や「ガラスのジェネレーション」、「SOMEDAY」といったこの時点での「代表曲」が収録された。しかし、ファンの間で強く支持された「Heart Beat」や「Rock & Roll Night」といった「大作」は含まれず、一方でシングルのカップリングとして発表された「こんな素敵な日には」、「So Young」、「モリスンは朝、空港で」、「Bye Bye Handy Love」といった曲が収められた。

これら以外にもシングルでのみ発表された「スターダスト・キッズ」や「グッドバイからはじめよう」が収録されていることを考えると、このアルバムの基本的なコンセプトは、ヒット・パレードよりもオリジナル・アルバムに収録されていない曲のアルバム化であることが分かる。実際、このアルバムのリリースにより、この時点でアルバム化されていない曲は「Wonderland」だけになっている。

だが、佐野は、これらの曲をただ並べるのではなく、いくつかの曲には追加でレコーディングを行い、ミックスをいじり、編集を行ってサイズを変えた。比較的サイズの短い曲を当時のアナログ・アルバムには珍しく14曲も詰め込み、パーティ・アルバムとして楽しむために曲間を短くして音楽が途切れないように工夫した。佐野はこのアルバムをただの「ベスト・アルバム」や「グレーテスト・ヒッツ」に終わらせず、それ自体明確な主張を持った一つの有機的な「作品」に仕上げようとしたのだ。

その過程で佐野はこれらの曲に通底するひとつのコンセプトを発見する。「ノー・ダメージ」。世界には僕たちをダウンさせるブルーがあふれているけれど、「ダメージなんかないさ」と笑ってみせる都市生活の中でのタフネス。ジャケットの中央には食卓についた佐野の頭上に今にも落ちてきそうな大きな岩。これは「ダメージを受ける直前」の図だ。がけっぷちのユーモア。強がり。少しシニカルで、シリアスで、でも「基本的にはいつもハッピー」なぎりぎりのオプティミズム。あるいは、絶望を知る者のかすかな希望。

だから、僕たちにとって、これはただのコンピレーションではなく、「No Damage」という固有のタイトルを持つひとつの「アルバム」だった。ここには確かにキャラクターがあった。自分の書いた曲のひとつひとつを丁寧に拾い集め、積み木で遊ぶ子供のようにひとつの新しいアルバムを組み上げようとする佐野自身の強いこだわり、コミットメントを感じることができた。このアルバムがこうしてオリジナル・リリースから20年以上経った21世紀の今日でも輝きを失っていないとすれば、それはまさに、このアルバムの背景にきちんとその当時の佐野の顔が、表情が見えるからに他ならない。

僕たちはこのアルバムを聴きながら佐野がニューヨークで制作する新しいロックンロールを待ち続けた。1983年から84年にかけて、僕は高校3年生で、受験勉強をする僕の安物のラジカセからはこのアルバムのカセットがいつも流れていた。僕の中に最も鮮明に焼きついているアルバムのひとつだ。



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