VISITORS このアルバムは僕が大学に入学した年の5月にリリースされた。僕が初めて自分でカネを出して発売時に買った佐野元春のアルバムである。「SOMEDAY」に間に合わず、「No Damage」を友達からのテープ・ダビングですませた僕にとって、親元を離れ、一人暮らしを始めた孤独な環境で手にする真新しいアルバムには特別な感慨があった。 そう、僕たちはみんなこのアルバムを待っていた。「Rock & Roll Night Tour」を成功させながら、そのままニューヨークへ旅立ってしまった佐野、「Motoharu Radio Show」で伝えられるニューヨークでの近況、雑誌「THIS」の創刊、コンピレーション・アルバム「No Damage」のリリース、そして同名の映画の上映会。佐野の情報は決して不足していた訳ではなかった。ただそこにはただ一つ欠けているものがあった。そう、佐野の新しい音源、それだけが僕たちには足りなかったのだ。 だからだれも頼る人のない不安なひとりの部屋で真新しい安物のターンテーブルにこのアルバムを乗せたとき、そこから流れ出した音楽は何であれ僕の孤独や心細さに同期していた。それが今まで聴いたこともないようなヒップホップであったりファンクであったりすることも僕にはどうでもよかった。佐野は僕にとって常に新しい音楽のオーガナイザーであったのだから、彼がどんな音楽を始めたとしてもそれは驚きでも何でもなかった。僕はただ、この新しいアルバムを何度も繰り返し聴いた。カセットにダビングしてはヘッドホンステレオに入れて街中に持ち出した。スーパーマーケットで野菜を買いながら僕は「SUNDAY MORNING BLUE」を聴いていた。 佐野が発表してきた作品の中でもこのアルバムはかなり特殊な位置にある。単身ニューヨークに渡り、そのときストリートに芽吹きつつあったヒップホップ、ラップを大胆に取り入れた本作は、佐野の他のどの作品とも似ていない。それはおそらく佐野自身も意図したことではなく、ニューヨークで毎日クラブを周り、最もコンテンポラリーな熱を持った音楽に染まった結果、自然とできあがったのがこのアルバムだったのではないかと思う。 気をつけなければならないのはこの作品が決して純粋なヒップホップのアルバムではないことだ。渡米後すぐの作品とされる「TONIGHT」は別としても、ラップと呼べそうなのはせいぜい「COMPLICATION SHAKEDOWN」と「COME SHINING」くらいで、それ以外の曲はファンク・ロックとでも呼ぶほかないような独特の質感、スピード感を備えている。このアルバムは佐野がヒップホップを真似た作品ではなく、そうした動きの最も先鋭的な部分に触れることでそれが彼自身の中にある表現衝動と化学反応を起こした結果作り上げられた、ワン・アンド・オンリーの作品であると言えるのではないだろうか。 もともと佐野の音楽はアメリカを起源とするロックンロールの強い影響を受けている。デビュー曲ではアンジェリーナを「ニューヨークから流れてきた寂しげなエンジェル」だとも歌っている。しかし実際に渡米し、住みついて体験したニューヨークという街はそのようにロマンチックでフィクショナルなところではなかったはずだ。佐野はそこで世界中から集まってくる若いクリエイターたちと交流し、新しい表現形態が日々生まれるダイナミックなメルティング・ポッド(坩堝)としてのニューヨークを実感したのだろう。 それはこのアルバムの歌詞にも表れている。前作までを「街」をテーマにした三部作だと話し、その通り都会に住むティーンエイジャーたちのシーンをカットバックすることで僕たちに新しい心象風景を見せた佐野は、ここではもはやシーンをすら描くことはほとんどなく、歌詞の大半は象徴的なフレーズ、イメージの集積を矢継ぎ早にたたきつけてくるものになっている。そうした性急さ、緊張感が、僕たちにニューヨークという街の喧騒やスピード、そこで手に入る夢の大きさと、その裏腹にある闇の深さを感じさせるのだと言っていい。 このアルバムでのエッジの立った硬質なサウンド・プロダクションもまた他のアルバムには見られないものである。オーソドックスなポップ・ミュージックとしてのサウンド・プロダクションがなされていた初期の作品との違いが際立っているだけでなく、それ以後のアルバムも含めた佐野の作品全体の中でもこのソリッドな質感は異色である。あまり指摘されることはないように思うが、このアルバムでのアコースティック・ピアノの「鳴り」の強さ、近さは大きな特徴の一つと言えるのではないかと思う。 「昔のピンナップはみんな壁からはがして捨ててしまった」と歌う通り、当時の佐野は「SOMEDAY」や「No Damege」で達成した成功から逃れる必要があった。これらの作品で佐野はティーンエイジ・マーケットにコンテンポラリー・ロックンロールという新しい市場を切り拓いた訳だが、その達成が瞬く間に商業的にかすめ取られて行くさまを目の当たりにした佐野は、自らの表現を更新し、新しいステージへと進む強い動機を持っていたはずだ。 前作の路線で拡大再生産をすればある程度の成功は約束されていたはずだったが、それをせず敢えてリスクを取り新規巻き直しに挑んだ作品が本作である。上記のような高い緊張感と音楽的冒険を含んだ本作はもちろん高く評価されるべきものであるが、佐野の作品の中でも特異なアルバムとなっており、佐野もそのファンも、このアルバムを消化し、前後の作品との関係の中にきちんと位置づけができるまでには、帰国後1年以上にも渡る長いツアーが必要だったのだ。 2006 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |