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アルバム「VISITORS」とそれに続くツアーで「次のフェーズ」へと大きな一歩を踏み出した佐野が、その達成を80年代後半の日本に接地させようと展開した試みの総括ともいえるアルバムである。先行発売された5枚のシングル、新しいレーベルの立ち上げ、マンスリー・ライブ、雑誌「THIS」の復刊、この時期の佐野は、渡米によって大胆に更新して見せた自らの表現が、日本のリスナーのコンテンポラリーな問題意識やドメスティックなスピード感とどう折り合って行くのかを模索しようとしていたのだと思う。

そのような佐野のトライアルに立ち会うことはスリリングな経験だった。当時僕は京都市内の大学に通い、繁華街にあるショッピングビルの中のレコード屋でアルバイトをしていた。給料は極めて安かったが、音楽業界の端っこに繋がっているという満足感があったし、販促物やサンプル盤がもらえたりするので悪くないバイトだったと思う。そしてそこに届けられる佐野の新しいリリースの情報、佐野が提示する新しい世界観。佐野が開く新しい扉と、僕自身の音楽への興味とが幸福に同期していた時期だった。

ここで佐野が新しく示した付加価値とは、「個」という概念だったと思う。このアルバムと寄り添うように発行された雑誌「THIS」で佐野はボリス・ヴィアンを、パリの五月革命を、20年代のカフェを取り上げ、そこに集う「インディヴィジュアリスト」たちの「個」のあり方をリファーして見せた。初期の佐野の曲のモチーフが多くは「真実」や「自由」、「イノセンス」といったものへのストレートな憧憬であったとすれば、本作で佐野が歌っているのはそうしたモチーフと向き合う自分自身の意識のあり方であると言うことができるだろう。

それは佐野が初期の作品で求めたもの、例えば「本当の真実がつかめるまでキャリー・オン」とか「つまらない大人にはなりたくない」というフレーズが、いつの間にか商業的に剽窃され、情緒的な人生応援歌の洪水の中に飲みこまれていったことへの鋭い異議申立でもあった。佐野が僕たちと交わしたのは、寄る辺のない都市生活の中で自分の立つべき場所を探し続けるという約束であるはずだったが、そのスタイルは恐ろしい勢いで消費され、佐野が注意深く選び取りほこりを払って輝きを取り戻させた言葉は簡単に力を失って行った。駄々っ子のように弱さを媒介にしたもたれかかりを求める演歌的なヒーローがサングラスをかけてスプリングスティーンを気取るとき、僕たちは佐野が「この街のノイズに乾杯」、「街に出ようぜ」と歌った「街」の風景が急速に色あせて行くのを見たのだ。

そこにおいて佐野は、重要なのは「真実」や「自由」そのものであるよりは、それを追い求める僕たちの「個」のあり方だと感じたのではないだろうか。本質的なコミュニケーションの不完全性に対する絶望に打ちのめされながらも、そこにある自分自身の孤独を引き受ける力、そしてその上でなお、だれかに何かを語りかけようとする意志、それこそが都市生活における「個」というものの核心に他ならないのだし、そのような「個」だけが自己責任と自己決定を不可分の両輪とする「自由」の主体になり得るのだと佐野は看破したのだろう。

しかし、問題の本質をそのように「個」のあり方に還元したとき、僕たちの目に映る世界は一層困難なものになる。「悲しいけれど俺にはわからない」と佐野は歌う。「言葉が闇をすり抜ける」と佐野は嘆く。僕たちは瞳を閉じて偽りを許し、清らかに歩くためには口を閉じるしかない。すべてはそのような世界とどう向かい合うかという僕たち自身の決定に委ねられたのだから。だからこのアルバムは僕たちに救いを提示しない。救いがあるとすれば、それは僕たちの意志、僕たち自身の強さと弱さの中にしかあり得ない。その意味でこのアルバムは僕たち自身の現実認識を厳しく問うているのだ。

この時期の佐野元春は当時スタイル・カウンシルを率いていたポール・ウェラーに非常に強く影響を受けている。初期のストレートなロックンロールから、アルバム「VISITORS」でのファンクを経て、この作品ではソウル、それもクールでコンテンポラリーなブルー・アイド・ソウルが全体を貫く基調となっているが、これはポール・ウェラーがスタイル・カウンシルで試みた方法論を借用したものだと言っていい。

それを支えているのがハートランドの演奏だ。ツアーを経て成熟したソウルフルなアンサンブルはこのアルバムの一つの聴きどころになっている。特に東京BE-BOPのクールなブラス・アンサンブルはこのアルバムを特徴づける大きなアクセントだと思う。佐野がこのメンバーとアルバムをレコーディングしたのは本作が初めてであり、アルバムにはザ・ハートランドの名前が、「ヤング・ソウル・アンサンブル」というニックネームとともにアーティスト名義としてクレジットされている。

シングル曲を集めた成り立ちからしても、本作はトータルに構成されたアルバムというよりは「VISITORS」から「ナポレオンフィッシュ」へ至る間のインターミディエイトな作品としての印象を免れ難い部分があるが、この時期に佐野が獲得した都市生活における「個」という視座、考え方が現在でも佐野の活動の基礎をなしていることは疑いようのない事実であり、また、代表作として頻繁にライブでも演奏される曲が多く収録されていることも指摘されなければならない。リマスターでは立ち上がりのいい中域で聴く「月と専制君主」が印象的だ。



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