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99年6月19日(土)

●さて今回は南イタリアのソレント。「帰れソレントへ」のソレントだ。ここからはナポリ、カプリ島、アマルフィ海岸、ポンペイ遺跡など足をのばすことのできる見どころも目白押しだし、何よりこのソレント自体が古い歴史のあるリゾート地である。南イタリアの明るい太陽を求めて繰り出した。
●目覚ましが鳴ったのは夜中の3時。だって飛行機が6時05分発なんだもん。飛行機、空港からホテルの送迎、宿泊と朝夕食がセットのツアーで、ふだんは直行便なんてないデュッセルドルフからナポリへ旅行会社が飛ばしているチャーター便なので、こんな時間にしかフライトがない訳だ。眠い目をこすりながらツアー客専用のDターミナルに到着してみると、そこには既にイビザだのマジョルカだのギリシャだのキプロスだのに出かける家族連れがいっぱい。こいつら本当にパック旅行好きだよな(他人のことは言えないけどさ)。
●ナポリ空港に着いたのはまだ8時前。ナポリは快晴である。旅行会社の送迎バスを探す。空港からホテルまでの足のことを考えたらやっぱりパック旅行はありがたい。こんな勝手の分からないところで(しかもナポリだぜ)大荷物抱えてタクシーやら空港バスやら探すのは勘弁して欲しいもんね。
●で、バスを見つけて乗り込むと、流暢なドイツ語を話す案内係のおばさんが帰りの飛行機のチケットをよこせと言う。帰りの便を事前にチェック・インして搭乗券とクレーム・タグをホテルに届けてやるということらしい。チケットを預けるのは不安な気もするがみんな唯々諾々と従っているので僕たちも右にならう。これはたぶん親切でやってるんじゃなくて、ナポリ空港の狭いロビーをチェック・イン待ちのドイツ人ツアー客であふれ返らせないための対策だろう。ちなみにナポリ空港は軍民共用なので写真・ビデオ撮影禁止です。
●バスがソレントに着くと、客は小型のバンに乗り換えてそれぞれの宿泊ホテルに配達されて行く。僕たちのホテルはインペリアル・ホテル・トラモンターノという由緒正しいところで、もとは貴族の屋敷だったところである。詩人のタッソーがここで生まれただの(ところでタッソーってだれ?)、イプセンがここで「人形の家」を書いただの、「帰れソレントへ」はここのテラスで作詞作曲されただのという由緒書きがロビーに掲げられている。確かに建物は立派だしダーク・スーツを着た従業員がうやうやしく接客しているし客層も年配のカップルが多い。アジア人なんて僕たちだけだ。
●着いたときにまだ部屋が空いてなくて炎天下で1時間の散歩を余儀なくされたのと(別にロビーでゆっくりしててもよかったんだけどさ)、早起きのせいもあって疲れたので午後は昼寝、夕方散歩して流れるボールペンを2本ゲット。

99年6月20日(日)

●今日は取りあえず海だ、と思っていたら朝から雨。ソレントって雨降るの?とちょっとだまされたような気分だが、傘もないし仕方なく晴れ間を見て港まで散歩。雨宿りに入ったトラットリアで昼メシに食べたスパゲティは麺がちょっと太めでもちもちしたコシがあって美味しかった。麺の種類が違うのかもしれない。
●晩メシはツアーにセットなのでホテルのレストランで食べる訳だが、これがまた恐ろしく高級感漂ってるんだよね。レストランは崖の上からソレント湾を一望するガラス張りの超一等の立地だし、ソムリエとカメリエーレが白い制服を着てきびきび動き回ってるし、滞在客用のメニューもプリモ、セコンドそれぞれ5種類から選べてデザート付き。ビールなんか飲んでるヤツはだれもいないし、そもそもジーンズをはいてる人間がいないんだから。僕も襟つきのシャツとチノパン1本持って行っててよかったよなあと心から思いました。
●ワインはグラスではお出しできませんということなのでイスキア・ビアンコを頼んで飲み残しはキープしてもらった。

99年6月21日(月)

●快晴。今日はアマルフィ海岸のバス・ツアーだ。到着した日にバス・ツアーのパンフレットをもらい昨日申し込んでおいたのだが、コンシェルジュのじじいは名詞みたいなカードの裏にツアーの明細を書き込んでホテルのスタンプを押しただけのインチキ臭いチケットを僕に渡し、おまけに僕が渡したカネはポケットから出した財布に入れちゃうんだもんなあ(釣りもその財布から出た)。なんか大丈夫かよって感じ。
●不安な思いで集合時間の8時前に広場に行くと、同じようなツアー待ちの客が既にたくさんウロウロしている。8時頃からデカい観光バスが続々と到着するが、いろんなツアー会社のいろんなコースのバスが混在しているので現場は混乱している。自分が何という会社のどのコースに申し込んだのか自覚のない者には厳しい情況だ。僕たちの乗るべきバスがなかなか来ないので気をもんだが、定刻の8時10分には無事やって来た。じじいの走り書きのチケットもちゃんとアクセプトしてもらえた。
●ガイドのブリギッタおばちゃんの英語のガイドを聞きながらバスはポジターノ、アマルフィ、ラベッロとまわって行く。深い考えもなく通路の左側に座ったが、考えてみれば海岸は進行方向の右手であった。バスはほぼいっぱいでもう席の移動はできない。残念である。
●崖に刻まれた道から見下ろすエメラルド・グリーンの海がきらきらと太陽に輝く。レモンの果樹園、斜面に貼り付くように建ち並ぶ白やピンクの家々、雲一つない空、これはやっぱり自分で行って見てきてくれと言うしかない。
●アマルフィでバスを降り、オプショナルのボート・ツアーに参加する。15,000リラ(1,000リラが65円くらいかな)のエクストラ・チャージだけど、どうせみんな参加するんだから初めから費用に込みにすればいいのに。ツアー料金を見かけだけ安くしといて、バスが走り出してから「ところでアマルフィではオプショナルのボート・ツアーがあって…」なんて言い出すのは反則でしょ、やっぱり。でも、このボート・ツアー、海から見るアマルフィの街や変化に富んだ海岸の様子は良かった。15,000リラの価値はある。
●陸に戻って昼メシを食べ、流れるボールペンを買って再びバスに乗りラベッロの街へ。さっきまでの道もいい加減狭かったが、ここへ登る道はさらに狭く、バスはクラクションを鳴らしっぱなしで行き違いのできない対向車を待避所まで容赦なくバックさせる。ラベッロではバスを駐車できるスペースがないので、客が観光している間バスはどこかよそに行っていて集合時間にまた戻ってくるのだが、このバス乗り場から街の中心までが結構遠くて歩くだけでぐったり。僕たちはバールのテラスでレモン・ソーダ飲んでくたばってました。
●ここではワーグナーが「パルシファル」の着想を得たというビラ・ルフォロの庭園を見学したが、ここでそのオペラを上演するための鉄骨の舞台が庭園に組まれており興ざめ。でもさすがにこの庭園からの眺めは絶景だ。
●帰りは左側が海かと思いきや、バスは山を越え、近道してソレントに帰ってしまってがっくり。どっちみち寝てたけどさ。ホテルに帰り着いたのは4時頃。38,000リラのツアーでした、と。

99年6月22日(火)

●快晴だ。海だ。ソレントの街は切り立った崖の上に成り立っているが、入り江の部分にはささやかな砂浜があってパラソルが立ち並んでいる。まあ、海水浴場というよりどちらかといえば日光浴場だな、こりゃ。で、人々は坂道や階段を下ったり、公衆用のエレベータを使って街からこのささやかなビーチに降りる訳だが、崖の上に建ち並ぶ高級ホテルの宿泊客は専用のエレベータで直接ビーチに出られる訳なんだな。
●我がトラモンターノももちろんプライベート・リフトを持っていて、ダーク・スーツの従業員がエレベータをロビーの片隅から降ろしてくれる。エレベータを降りてトンネルを抜けるとそこはもうビーチである。
●海の家で寝椅子を借り、サンオイルを塗って日向で寝そべってみたが、風が強くちょっと涼しすぎ。結局足を濡らした程度で水には入らなかった。元気のいい高校生がザバザバ海に入ってボール遊びに興じている他は人影も少ない。ちょっと水遊びには向かない日だったみたい。でもトップレスで肌を焼くお姉さんはもちろんチェックした。
●海の家で昼メシを食べてホテルのリフトを呼ぼうとしたら、エレベータは南京錠でがっちりロックされている。「エレベータ・オープン 9:30 14:00」と書いてあるのは「9時半から14時」じゃなくて「9時半からしばらくと14時からしばらく」ってことなの? 仕方なく階段を登りました。
●ホテルに帰ったら、初日に預けた航空券がちゃんとチェック・インされて戻ってきていた。よかった。
●夕方散歩したときに、前から気になっていたレモンチェッロを試飲。レモンチェッロというのはこの地方の特産で、アルコール度数の高い(30%以上)レモン・リキュールである。以前に一度試したことがあって僕にはとても飲めないアルコール臭さだということは知ってはいたが、レモン色の涼しげな外見に惹かれて懲りずにまた試してみたのだ。だが結果はやっぱりキツ過ぎ。これは女の子をだますときの酒でしょう。

99年6月23日(水)

●またしても快晴。今日はポンペイだ。これもバス・ツアーに申し込んだ。やはり8時過ぎに集合して出発。今日のガイドはジャネットおばさんである。おばさんの説明を聞いているうちに1時間もかからずにバスはポンペイに到着。入場料を各自払って(12,000リラ)遺跡に入る。野良犬が多い。おばさんに引率されて炎天下を歩く。遺跡はかなりの広さ(だって街が丸ごと埋まってるんだもんね)で、裏門から入って説明を聞きながら表門までたどり着くのに2時間以上かかった。タフである。
●この遺跡はさすがにすごいもんだが、オリジナルの部分と復元した部分がよく分からないのが難点。重要な出土品はここの博物館やナポリの国立博物館に収蔵されており、遺跡そのものは結構観光化されているとも言える。でもまあこの遺構自体も貴重なものなんだから、こんなにみんなが踏み荒らしたりさわったりしてたらすぐに荒れちゃうんじゃないのかなあ。
●それにしてもえらい人出。僕たちは行軍を終え、カフェテリアで休憩したらそのままバスに乗ってソレントに帰る半日コースである。これでツアー料金は38,000リラ。う〜ん、これならソレントから電車で来て「歩き方」片手に自分でまわった方がよかったかも。秘儀荘も見られなかったし、土産物屋で流れるボールペンもゆっくり探せなかったし。ま、いいか。

99年6月24日(木)

●またまた快晴。今日はカプリ島だ。坂道を降りて港でキップを買い、カプリ行きの水中翼船に乗った。料金は片道13,000リラ、船は1時間に1本以上の割合で出ており、出発してしまえばカプリ島までは半時間もかからずに到着する。
●カプリ島の港、マリナ・グランデに着いたら次は「青の洞窟」行きの船だ。幸い今日は凪いでいる。桟橋のプレハブ小屋のようなキップ売り場でまず青の洞窟までのキップを買う。これが8,000リラ。でもこれには青の洞窟の入場料、乗り換えの小型ボート料は含まれていませんと書かれている(ようだ、だってイタリア語読めないんだもん)。で、オヤジの誘導で15人乗りくらいのモーター・ボートに乗り込む。人数が定員に達したところで出発である。
●島の西の端近くにある青の洞窟へは半時間ほどだろうか、ボートは結構揺れる。船に弱い人ならこれだけでゲロゲロは確実である。波に乗り上げたりするとかなり来るぞ。青の洞窟前でモーター・ボートを止め、洞窟の中に入るための手漕ぎボートに数人ずつ乗り移る。ここが順番待ちの状態になっているので、停泊したボートの上で波に揺られながら待つことになるが、これまで何とか景色を見ながら我慢してきた人もここでゲロゲロ来るだろう。
●おじさんの手漕ぎボートに乗り移ると料金の説明がある。入場料と手数料で一人15,500リラ。料金所ボートが浮いててそこに払うのだが漕ぎ手のおじさんがやってくれる。これがすむといよいよ洞窟入りである。洞窟の入口は幅1メートル足らず、高さが海面から50センチ程度で、波が来たら天井の岩で頭蓋骨をカチ割られるのは想像に難くない。おじさんは波のタイミングを計りながらここぞというところで一気に洞窟の中に滑り込む。もちろん僕たちも姿勢を低くしていなければならない。
●洞窟の中は広い。広いが暗くて同じようなボートが10隻以上入り込んでいるので混雑している。おじさんがカンツォーネを歌ってくれるがそれぞれのボートの漕ぎ手が口々に歌うのでよく分からない。なんだかなあと思っていたら、海面が。海面が本当に嘘みたいな青色に染まっているのだ。ちょっと奥まで行って入口の方を振り返ると暗さにも少し慣れてきた目に本当にこれ染料でも流してるんじゃないのと思うほど鮮やかな青色の水面が見える。すごい。これが青の洞窟なんだと思っている間に見学は終わりでまたあの入口から外に滑り出た。
●おじさんは一人10,000リラのボート料を要求。あの入口の滑り込みはやっぱり特殊技能だしキツい肉体労働だからそれくらいは仕方ないのか。もとのモーター・ボートに乗ってマリナ・グランデに帰る。波の高い日は見学できないというのももっともな話である。これは何をおいても見る価値がある。
●この島の中心であるカプリの街は山の上。港からはケーブルカーかバスで登る。どちらも1,700リラ。歩くとかなり大変だと思う。もう一つの街アナカプリへも港とカプリからそれぞれバスが出ているがこれが結構ぎゅうぎゅう詰め状態だ。行く人は覚悟した方がいい。ケーブルカーでカプリの街に登り、景色を見ながら美味しいスパゲティを食べてビールを飲んだ。下りはバスにしたが、ここの道が細くて行き違いは大変。大きなトラックとは本当に5センチ間隔くらいですれ違って行く。プロの技である。
●ソレントでは夕方街を散歩して青の洞窟の彩色銅版画を買った。別の店ではちょうどトラモンターノが描かれたソレント湾の風景の銅版画もあったが150,000リラだという。こっちは保留。

99年6月25日(金)

●やはり快晴。今日はナポリだ。ベスビオ周遊鉄道のソレント駅へ行く。ベスビオ周遊鉄道はナポリとソレント他を結ぶ私鉄である。ソレントからナポリまでは片道4,700リラ、1時間ほどの旅だ。観光客と地元の人が半々くらいかな。周遊鉄道の終点は専用のターミナルだが、そのひとつ手前が国鉄のナポリ中央駅との連絡駅である。観光案内所やバス・ターミナルに行きたかったらこの「ナポリFS」の方で降りた方がいい。
●観光の中心はまずムニシピオ広場だろう。ここへはバスのR2系統。地下鉄は役に立たない。バスのチケットは「T」のマークのタバコ屋かバールで買うべし。市内は1,500リラ。しかしこの街の交通事情はすごい。一応信号はあるが、みんなてんでにクラクションを鳴らしながら好きに走っている(ように見える)。ここの交通ルールというのはたぶん「ここではなるべく時速60キロくらいで走って下さい」とか「どちらかというと対向車線を走って追い越しをするのはやめた方がいいですよ」とかいったようなものなんだろう。
●昼メシのピッツァを求めてビア・トレドをウンベルト1世・ガレリアからダンテ広場まで歩いた。暑いしやかましいが、こうして表通りを歩いている分には他のイタリアの街と比べても取り立てて危険という感じはしない(もちろん相応の注意は払った上での話だが)。ダンテ広場からちょっとスパッカ・ナポリに入り込んでピッツェリアで昼メシ。ハムとマッシュルームのピッツァを頼んだんだけど美味かったなあ。これでナポリに来た甲斐もあったというものだ。
●なんてやってるうちに最後の夜である。散歩して昨日のアンティーク屋に行く。やっぱり例の銅版画が欲しくなって、ディスプレイしてあった額縁をはずしてもらい中身だけ買う。額縁は100,000リラだけど、うちにある他の額と合わないので遠慮した。

99年6月26日(土)

●最終日。ホテルをチェック・アウトして旅行会社のピック・アップを待つ。ここのホテルはクレジット・カードが使えないので注意。僕は精算の金額を聞いてから、ホテル近くの銀行でカネを下ろしたが、日本からだとそうも行かないだろう。
●ナポリ空港の出発ロビーは恐ろしく狭い。そこに帰りの便を待つドイツ人の観光客がごった返している。とても最後に土産物を買うとかそんな雰囲気ではない。台湾の高雄空港の国内線ロビーに似てる。一応免税もあって余ったカネでレモンチェッロを買ったが。
●デュッセルドルフに帰り着いて銅版画をチェックしてみると、それは銅版画ではなく古い本のページを破って挿し絵の部分だけを巧みに装幀したものであった。やられたか。まあ、この絵が気に入ったんだからいいか。来週額縁屋に持っていって額装してもらおう。


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