logo 異議あり!世界遺産


文化庁はかねてより「平泉の文化遺産」を、『浄土の世界を具現化した空間造形の傑作』として世界遺産への登録に推薦していた。しかしユネスコが歴史的建造物や遺跡を世界遺産として登録する際の諮問機関であるイコモスは、「世界遺産としての顕著な普遍的価値の証明が不足している」として、提案内容の根本的見直しを求めて登録延期を勧告するという厳しい結果を提示した。文化庁は「非常に厳しい指摘で、理解できない部分もある」と困惑を隠せないようだ。私もこのニュースを聞いた時「なんで?」と思ったが、その後詳細を読んでもやはりイコモスの指摘には納得がいかない。

以前から思っていたのだが、そもそも「世界遺産」というものの普遍的価値に疑問がある。

ユネスコの事業とはいえ、登録されている遺産の数はヨーロッパが突出していて、世界遺産の選定基準や理念そのものが”欧米的なニオイ”がプンプンするのである。平泉推薦の目玉はどうやら中尊寺や庭園などの歴史的建造物と浄土思想の融合らしいのだが、今回はその浄土思想との関係が曖昧だとつっぱねられている。

しかし曖昧なのは平泉の方ではなく、それを評価する側の理解ではないだろうか。仏教という世界宗教を根源としながらも、日本流の浄土思想を具現化した平泉の存在意義を、欧米を初めとする外国人がなかなか理解できないのは仕方がないのかもしれない。しかし、それならば世界遺産にこそ普遍的価値があるかと言いたくなる。

また歴史ファンとしては、日本側のアピールや推薦の内容にも少し疑問がある。どうも浄土思想との関連性に重きを置き過ぎていて、平泉の歴史的意義というものを説明し切れていない印象があるからだ。中尊寺金色堂の様子を伝え聞いたマルコ・ポーロが、日本は黄金の国だと誤解したという説もあり、それが事実なら世界史的にも注目点はあるはずだ。

それにあくまで個人的見解だが、大げさに言えば平泉は日本史に於けるマチュピチュだという見方ができると思っている。

平安時代、朝廷が全国を支配していたとは言え、都から一番遠く離れた奥州は蝦夷(えみし)が住む異郷の地も同然。蝦夷の指導的立場にあった豪族安倍氏とその血を受け継いだ奥州藤原氏は、一説には朝鮮や中国と独自に交易を結んでいたとも言われ、金の産地を抱えていたこともあって半独立状態を長く保っていた。遠く都から奥州を支配しようとした朝廷や、直接支配を目論む武家勢力との戦乱を乗り越え、あるいはそれらを懐柔して、多くの苦難の末に辿り着いた「極楽浄土」こそが平泉だったのだ。

最盛期には京の都にも匹敵するほどの賑わいを見せていたという平泉は、その歴史的意義はもちろんのこと、21世紀の現代にも共通する「地方の自立」という命題をも包含していて、日本史と今日の日本社会の双方に於いて貴重な存在ではないだろうか。

昨年、世界遺産への登録延期勧告がなされた後、逆転登録された石見銀山の例もあるので「絶望的」というわけではないようで、地元と文化庁は望みをつないでいる。ただそうした例は稀で、その他の事情も考慮すると登録はかなり難しいと聞く。

しかし例え世界遺産に登録されなくても、平泉の価値が下がるわけではない。むしろこれを機に、平泉の歴史的・文化的意義というものを全国に認識させるよう、地元の努力に期待したい。



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