悲しい想い
中東情勢がまたもや、いえ、ここ数年の中では恐らく最大の危機を迎えていま
す。
イスラエルとパレスチナ、そしてそれを巡る国際的な環境は本当に難しいもので、「ロードマップ」なるものがアメリカから提案されても、果たしてそれが本当に解決の糸口となり得るものかどうは、当初から疑わしいものがありました。
それにしても今回のヤシン師の暗殺は、元々混沌としていたパレスチナ問題をイスラエルはまるで谷底にでも突き落とした、そんな印象を持ちました。軍人出身のタカ派中のタカ派であるシャロン首相には色々と言い分はあるようですが、こればかりは勇み足、あるいはそれを超えるものだったのではないかと思います。
それにしても我々日本人にとっては、なかなか理解しがたい問題ではないでしょうか。それはパレスチナ問題そのものも、歴史的な背景が複雑で非常に理解しにくいものですが、私個人としてはイスラエルの人にしろ、パレスチナの人にしろ彼らの「心情」というものがなかなか理解できないのです。
私たち日本人はとかく「事なかれ主義」などといわれるように、基本的には争い事を好みません。本来であれば議論した方がいいことでも、何かしらの方法を用いては、議論という名の争いを避けて決着を見ようとする一種の悪癖すらあります。しかし、その争いが議論程度で収まっているうちは、「日本っていつまでこんなことを繰り返すの?」と辟易することもしばしばなのですが、何かあるとすぐ武力紛争になってしまう国際情勢を見ると、いつも「日本人でよかった」と思うことも、また事実です。
そしてそんな私が、パレスチナ問題の深さを実感させられた事件がありました。
1995年晩秋、私はフランスのある家庭でホームステイをしていました。普段は夕食後に部屋で過ごす私に全く干渉しないステイ先のマダムが、その夜ばかりは私の部屋のドアをノックしました。入ってくるなり彼女は「大変よ、ラビンが殺されたの!」と言いました。一瞬ラビンという人が誰かわからなかったのですが、すぐに居間に行ってニュースを見ると、それがイスラエルのラビン首相であることがわかりました。
そしてその事件以上に私を驚かせたことがあります。このニュースを聞いた当初、てっきり私は彼を暗殺したのは敵対しているパレスチナの勢力だとばかり思っていました。ところが、暗殺者は同じイスラエルの人だったというのです。それも、当時中東和平を推進するラビン首相に対して、パレスチナとの共存を反対してのことだと知り、私は愕然としました。
日本人である私は、当時世界中の人が皆等しく平和を希求しているものだとばかり思っていました。しかし事実はそうではありませんでした。少なくともイスラエルのタカ派の人たちとパレスチナの(あるいはイスラム)過激派の人たちにとっては、世界の平和や自分の幸福な人生よりも、自分のアイデンティティの方が大切だと思っているということを、この事件は私に教えてくれました。
私は、平和ボケと言われるかもしれないけど、やはりパレスチナ問題にしろ、他の紛争地域にしろ、できることなら全ての争いがなくなればいいという気持ちを捨てることはできません。しかし実のところ、それがかなり難しいということも充分理解はしているつもりです。
ただ、このようなニュースを見聞きする度に思います。世界中に住む人、ひとりひとりは個性や宗教・人種・民族は違っても、皆同じ「人間」なのです。イスラエルに生まれた人もパレスチナに生まれた人も、アラブ人も欧米人も、もちろん私たち日本を含むアジアの人も皆、ひとりにひとつしか命を持たない人間なのです。
この種の事件が起きる度に、悲しい想いが私を捕らえて離しません。無理かもしれない、無駄かもしれない、そうは思っていてもやはりイスラエルとパレスチナが手に手を取り合う日がいつか訪れて欲しい、その一縷の希望は捨てずにいようと思います。
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