結果論
地震免責条項が定められている火災保険の申し込みを受けた損害保険会社が、後に阪神大震災で延焼被害を受けた神戸市の住民らに、地震保険について十分説明したかどうかが争われた訴訟の上告審判決が九日、最高裁で言い渡された。住民らは地震保険に加入しておらず、説明不足で精神的損害を受けたとして、慰謝料を請求したが、「情報提供や説明に不十分、不適切な点があったとしても特段の事情がない限り、慰謝料請求はできない」との初の判断を示した。
(北海道新聞・夕刊 2003年12月9日、一部抜粋)
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この裁判は当初、住民側が地震保険の説明が不十分だったとして保険金そのものを請求して起こされた民事裁判です。しかし一審では、説明が不十分だったとしても、保険契約をしていないものに対して保険金を支払われないのは当然として、原告側の敗訴。逆に控訴審では保険金そのものの支払いはできないが、「説明が不十分だったために契約しなかったのであれば」ということで、慰謝料という形で損害保険会社数社に支払いを命じていました。
説明するまでもないかもしれませんが、保険というものは「いつか起きるかもしれないリスク」に対して事前にお金(保険料)を払うことで、そのリスクが現実となった時に経費や損害を補填できるお金(保険金)を受け取れるというものです。そしてどんな保険でも「免責(保険会社が保険金の支払いを免れる)条項」があるのが一般的で、例えば地震や戦争などで被害を被った場合に保険金が下りないという免責は、火災保険に限ったものではありません。
更にこの裁判で問題になった地震保険ですが、実は地震保険は他の保険に比べて特殊なものだと言えるのです。
まず、地震保険は単独では契約できない保険であり、あくまで火災保険に「付帯」するものだということです。また契約者の最低限の生活を守るという観点から、住宅物件のみが対象となり、商業や工業施設などは、例え住宅と併用の小さな物件でも対象からはずされます。
それから「最低限の生活を保障する」ということで保険金額の上限も低く抑えられていて、例えば億単位の豪邸などを所有していたとしても、それを再建するほどの保険金額を設定することはできません。そして何よりも特殊なのは、保険金の支払いを政府が一部負担するという点でしょう。
これらは火災保険の支払いの対象となる他の災害と比べて、地震が予測不可能であることと、大きな地震が起きた時の損害の額が多大になりすぎて保険会社の支払能力を超える危険性があるからだと聞きました。
こういった地震保険の特殊性と、免責条項という一般にはなじみが薄い制度がこの訴訟の原因でもあり、問題をわかりにくくしていると私は思います。そして地震による損害と火災保険の問題というのは、古くは関東大震災にまで遡ると知り、少々驚きました。
いずれにしろ保険というものは、契約者と保険会社があくまで「事前に」「一定の」リスクに対して保険金額を設定して、それに対して契約者が規定通り保険料を支払ったという前提がなければ、保険金が支払われることはありません。
ところが、バブル期までの有利な資金運用のお陰で保険商品の貯蓄性が高かった記憶の影響なのか、どうも日本では保険に対して見返りを期待しすぎる傾向があるように感じます。つまり保険を掛けても何らかのリターンがないのは損、という感覚です。
例えば私達は火災保険や自動車保険などの保険料を毎年払いますが、それらは事故がなくても返金されることはありません。ところが一旦何かあれば、個人の預貯金などでは到底まかないきれない金額が支払われます。では保険金を受け取れた方がラッキーだということでしょうか。もちろんそうではないと思います。入院にしろ事故や火事にしろ、保険金などを受け取る機会がない方がよほどいいはずです。
本来相互扶助という観点から生まれた保険制度は、「幸い」リスクが現実にならずに済む多くの人から少しずつお金を集めて、「不幸にも」リスクが現実になってしまう人を助けるために生まれたもので、あくまで掛け捨てが基本だと思います。
そういうことを踏まえると、この裁判の二審での「慰謝料」が、あまりにも保険というものにそぐわないばかりか、保険制度の根幹を揺るがしかねないものだと思いました。
さて、よく考えてみれば今私達が生きている日本の社会は、政治・経済・教育、その他多くの制度が元々はヨーロッパで発生し発展したものです。そしてそのヨーロッパで昔から社会の根幹にあった感覚のひとつに「契約」があり、契約には常に「自己責任」が伴うと思います。
契約というものは、二者以上の他人同士がひとつの事項について、対等な立場で決め事をするというのが本来です(もちろん、それで割り切れるものではありませんが)。
つまり今回の裁判の元になった話も、契約者であった被災者の方には確かに「説明を受ける権利」もあったわけですが、相手にそれを求めることと免責条項の内容や地震保険というものを理解することは自己責任ということになり、この場合は権利自体を留保していたといえるのが契約社会の見方だと思います。
そして何よりも強く思ったことがあります。もし保険会社の担当者がしつこく地震保険の説明をし、加入を勧誘したとしても、果たしてあの大震災より以前に被災地となった地方の人たちが地震保険に加入したでしょうか。答えは否です。
それまで地震らしい地震を経験していなかった神戸であんな大きな地震が起きるなんて、「まさか」と思ったのは遠く北海道に住む私だけではなかったはずです。まして地震保険となると、地震の多い北海道でさえ加入率は決して高くはありません。
そう考えると、判決後の「勧誘段階での問題性について掘り下げていない、形式的な判断」と述べた原告側の弁護団の発言には、かなり無理があるという印象を持ちました。まして二審の「原告は火災保険と同時に加入できる地震保険の十分な説明を受けておらず、自己決定権を侵害された」という判断は、あまりにも結果論に過ぎるのではないでしょうか。
震災の被災者である原告の方々には気の毒なことだとは思いますが、今回の「損保側が地震保険を意図的に隠したのではない以上、特段の責任はない」という最高裁の決定は至極当然だと私は思いました。
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