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風が冷たくなるこの季節、時折思い出すのは8年前にフランスで過ごした初冬のこと、ある意味で「カルチャーショック」を受けた近年まれに見る大ストライキのことです。11月中旬から約3週間続いたそのストライキは、フランス国鉄や航空会社の国内線、各都市の交通網から全国の郵便局に至るまで、ありとあらゆる公共交通・流通機関がものによって完全に、あるいは一部麻痺しました。それと同時に各地でデモ行進が頻繁に行われていました。そして「このままだと革命になるかもしれない」という噂まで飛び、そのパワーに恐怖を感じもしましたが、「さすがフランス革命の国」と妙な感心もしたものです。
日本でストライキというと、どこかの会社、もしくはある業界で賃金交渉のために行うのが一般的ですが、フランスではむしろ政治的な不満をぶつけるために行うことの方が多く、またその方が大規模になることが多いようです。1995年の場合も、社会保障制度の「改悪」といえる法案に対して、多くの人がストやデモで反対し、大きな社会問題となりました。
ただ何よりも私が驚いたのは、交通網などが麻痺することで被害を被っている一般市民がことの他冷静で、むしろストライキを応援するようなことがしばしばだったことです。日本では「沈黙は金」などと言われますが、さすが「話をしないのは自分の意見がないから」というお国柄。政治に対しても文句があったら黙っている訳がないということなのでしょう。

さて先日の衆院選の前、マスコミ各社は選挙を色々な角度で取り上げていましたが、私が特に関心を持ったのはテレビ各局が取り上げた「投票に行かない理由」でした。多くは街頭インタビューなどを交え、ある局では実際に30人前後の20代の若者とスタジオで論じるなどして、特に若い人の投票率がなぜ低いかという話を展開していました。
投票を棄権する理由としては大別すると、「わからない、関心がない」というものと「誰に入れても変わらない、自分が投票しても変わらない」というものでした。私個人としては関心がないというのも情けないと思ったのですが、「どうせ変わらないから」というのは、「わからないと言うのはなんだかカッコ悪いけど、選挙に行くのもかったるいし、どうせ変わんないって言っときゃいいか」みたいな言い訳に思えました。

参政権とは17世紀以降、欧米で起きた幾多の革命や政治活動などを経て一般庶民が手にすることができた貴重な権利です。それを関心がないといとも簡単に捨ててしまう今の日本人。
選挙を棄権するのは何も若者だけではなく、30代以上でも決して少なくありません。私が特に信じられないのは、子供を持つ親が選挙を棄権することです。子供の将来、あるいは更にその子が産む子供の行く末が心配ではないのでしょうか。
正直に言って、何かにつけストやデモをするフランスが決して日本より素晴らしい国だとは思っていません。でも何もしないよりいいと思います。何千万分の1だと思うと、自分ひとりが投票に行かなくても何も変わらないのではと思う気持ちもわかります。でもそれでは本当に何も変わらない、あるいはむしろ悪い方に変わってしまうのではないでしょうか。

前途ある若者や子供のいる親が国の将来に対してなぜ傍観者でいられるのか、私にはその理由が理解できません。日本という国は誰のものでもない、この日本に住む私達のものです。
傍観者であることをやめ、自分も当事者なんだということを思い出して、選挙に限らす自分なりに考えて、どんな小さなことでもいいから何かをやってみる。皆がそうすればいずれもっといい国になるのではないかと、私は信じたいと思います。



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