logo 2007.04.26 世界ロック選抜 / サンボマスター vs 佐野元春


新宿コマに着いたのは8時過ぎだっただろうか。ちょうど佐野のメドレーの演奏が終わるところで、係員に案内してもらって席についたら、佐野がバンドのメンバーを紹介していた。だから結局僕は、アンコールでサンボマスターと共演した「ヤング・フォーエバー」を除いて佐野の演奏を見ていない訳だ。

僕はサンボマスターをきちんと聴いたことはなかった。今回のライブに行くことにしたときに借りたCD3枚分の曲がiPodに入っているだけだ。それもライブまでに全部聴くことはできなかった。何というか、曲に詰めこまれた熱量が多すぎ、暑苦しすぎて41歳のサラリーマンが通勤電車で聴くにはしんどかったのだ。

この日、結果として僕はほとんどサンボマスターの曲を聴くためにコマにいたことになる。そして、10時をまわった頃、ホストだらけの歌舞伎町に解放された僕は笑っていた。ほとんど泣きそうになりながら笑っていた。あのMC、あの挙動、もう笑うしかない不格好さ、不細工さの中でこそリアルな言葉の力。新しき日本語ロックの道と光。背後に何もないスリーピースという最小の構成から繰り出される音の洪水。そこにあるそれがすべてという孤立無援の絶叫。

山下達郎を聴いているような、流麗なコード感と美しいメロディ。だがそれをそのまま美しく演奏し、歌う訳にはもはや行かないのだという激しい切迫感、焦燥感の中で、ライブは最初から最後まで悪夢のようなテンションで突っ走る。そうやって、真実は美しいメロディそれ自体の中にあるのではなく、それをムチャクチャなテンションで求める僕らの切迫感、焦燥感の中にこそあるのだということを彼らは暴く。

この21世紀に、ありふれた古い言葉を新しい人たちに届けるにはこれくらいの速度とこれくらいの熱量がなければならないのか。佐野元春はこの速度とこの熱量をどう受け止めるのか。山口はなぜ佐野を「対戦相手」に選んだのか。そして、佐野はこの切迫感、焦燥感に果たして太刀打ちできていたのか。

残念ながら佐野のステージを見損ねた僕にはその答えは分からない。もちろん、十代、二十代の切迫感、焦燥感と、四十代、五十代のそれとは自ずから異なっているだろう。しかし、佐野元春にも彼を支持する僕にも今の自分としての切迫、焦燥はある。僕たちは、山口が山口のそれと向かい合うようなやり方で僕たちのそれと向かい合っているのか。そのことが問われるライブだったと僕は思う。



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