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月と専制君主 月と専制君主

2011.1.26発売 DaisyMusic
POCE-3808 [通常盤] (2011.1.26)
POCE-9385 [DVD付] (2011.1.26)
POCE-9386 [LP] (2011.1.26)

DMA-40 [CD] (2022.12.21)

PRODUCER:
佐野元春
RECORDING ENGINEER:
伊藤隆文
MIXING ENGINEER:
渡辺省二郎
MASTERING ENGINEER:
Gavin Lurssen

作詞・作曲:
佐野元春
●ジュジュ
●夏草の誘い
●ヤングブラッズ
●クエスチョンズ
●彼女が自由に踊るとき

●月と専制君主
●C'mon
●日曜の朝の憂鬱
●君がいなければ
●レインガール

●すべてうまくはいかなくても



デビュー30周年を記念してリリースされたセルフ・カバー・アルバム。アルバム「VISITORS」から「Stones and Eggs」までの10曲が、すべてリアレンジされ新たにレコーディングし直された。

このアルバムからは『月と専制君主』がiTunes Storeで先行シングルとして、Coccoのバック・ボーカルを加えたバージョンでリリースされた。CDのみパッケージの通常盤に加え、DVDを加えた初回限定盤、アナログ盤(CD付)の3つのフォーマットで発売。DVDについては別稿

初回限定盤とアナログ盤にはボーナス・トラックのダウンロード・キーが付属している。所定のサイトにアクセスしてカードに記載されたキーを入力すると『すべてうまくはいかなくても』のMP3ファイルがダウンロードできる仕組み。

デビュー30周年記念のセルフ・カバーという企画自体は決して斬新な発想という訳ではなく、代表曲の適当な新録でお茶を濁すことも十分考えられたが、できあがった作品はオリジナル・アルバムにも比肩され得る内容を備えたものになった。

まず特徴的なのはその選曲である。代表曲と言えそうなのは『ヤングブラッズ』くらいで、他は『夏草の誘い』を除いてシングルにもなっていない曲ばかり。初期の3枚のアルバムからは1曲も選ばれず、すべて80年代後半から90年代に発表された曲だ。先にリリースされたベスト・アルバム「ソウルボーイへの伝言」との重複も『ヤングブラッズ』のみであり、まるで代表曲を中心とした佐野元春観を補完するかのようにオルタナティヴな選曲になっている。

ここで佐野がやったことは、それらを単にもう一度歌い直すだけでなく、ひとつひとつの曲をもう一度生まれたままの姿にいったん巻き戻し、その表現の核にあるものを現在の目で洗い替えること、そしてそれを佐野にとって最もリアルなサウンドで演奏することだ。言い換えれば、それぞれ10年から20年以上も前に書かれた曲が、どのようにして現在の世界、現在の佐野自身と響き合うのかを自ら批判的に検証するということだ。それは単なるリテイクではなくリヴァリュエーションなのだ。

その結果、これらの曲に新たに施されたアレンジは、どれもギター、ピアノ、オルガンといった楽器のアコースティックな響きを丹念に拾ったものになった。ベースにもウッド・ベースを多用し、シールドを通した電気信号より実際の空気の震えを丁寧に集めた深み、奥行きのあるサウンド・プロダクションは、この忙しい2010年代において、音楽というものがどのようであり得るかという問いに対する佐野元春のひとつの答えに他ならない。

安価なマス・プロダクツのあてがい扶持でようやく維持されている現在の世界でも、いや、そのような世界だからこそ、当たり前の手間をかけた作品が、そのこと自体を価値の中心として流通し得ることを佐野は示そうとした。きちんと手順を踏んで試行錯誤することが現代において有効なオルタナティヴであり得ることを佐野は表現しようとした。そのような丁寧な洗い替えのプロセスを通じて、このセルフ・カバーは単なるノスタルジーやレトロスペクトではなく、この21世紀に呼吸し、慌ただしく駆け回る我々自身の日常のコンパニオンとして結実したのだと言っていいだろう。

モータウン・マナーの軽快なビートに乗せて始まる『ジュジュ』、初夏の風を感じさせるようなフォークに仕上がった『夏草の誘い』、そしてなぜかラテン調にリアレンジされた『ヤングブラッズ』、どの曲も「今の佐野はこの曲をどう歌うのか」という問題意識をくぐり抜けた強靱さを感じさせる。

特に素晴らしいのは『君がいなければ』だ。この曲は決してハッピーなラブソングではない。むしろ「悲しみ」や「さよなら」の意味を問う、痛みと悔恨に満ちたつぶやきのようなバラッドである。最初に佐野がアルバム「THE CIRCLE」でこの曲を発表したとき、僕は一人のパートナーとの愛情とその終焉を歌った作品だと思った。

しかし、長い歳月を経た今、ここで歌われる痛みや悔恨は、佐野が、そして僕たち自身が身をもって経験したひとつひとつの悲しみや別れ、消えた夢についてのものだということが分かる。この曲は僕たちが知らない間に、僕たちに寄り添うように成長し、成熟し、そして20年近い時間の後に改めて僕たちの胸を打つことになった。ストリングスを導入しながらも、ことさら劇的に盛り上げるようなモメントを周到に避け、淡々とドライブして行くアレンジも聴かせる。このアルバムを象徴する曲だと思う。

もう一つ、特筆すべきはここでの佐野のボーカルである。アルバム「THE BARN」の前後から、佐野のボーカルには深刻な問題が指摘されてきた。高音がもはや以前のように伸びず、声の張りや声量が失われていることはライブでは明らかだったし、佐野自身もおそらくそれを意識して何とかカバーするべく様々な試行錯誤を重ねてきたと思う。そしてそれは必ずしもすべてがうまく行った訳ではなかった。

しかし、ここでは、ボブ・ディランやルー・リードのボーカル・スタイルを連想させる、低域でのニュアンスの表現に重点を置き、敢えて声を張り上げないトーキング・ブルースに近い歌い方をトライしている。結果として佐野の声が近く感じられ、メッセージがよりダイレクトに、リアルに届くようになって、佐野の今の声の魅力を生かすことに成功していると思う。佐野は新しい声、新しいパロールを手に入れたと言っていい。

唯一残念だったのは『ヤングブラッズ』においてアウトロのセッション部分が長すぎること。これはシングル『君の魂 大事な魂』のカップリング『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』や、同じく『月夜を往け』のカップリング『99ブルース』などのHKBによるリアレンジの際にも感じたことだが、ジャム・バンド的な長いセッションをスタジオ音源で聴かされるのは辛い。せっかくの曲の印象が長い演奏で曖昧になり「ダレる」。多くのファンが求めているのはあくまで佐野の「歌」であって、バンドの巧みな演奏それ自体ではないのではないか。

いずれにしても、かつてのアルバム「No Damage」と同様に、オリジナル・アルバムに準じる作品として高く評価するべきアルバムだと思う。



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