1998.3.24 渋谷公会堂 SCRATCHより親愛なるSilverboyへ 昨日の続きだ。 実は昨日のメールには、ひとつ書ききれなかったことがある。昨日のステージ、佐橋佳幸がアクセル全開で飛ばしていたことはメールに書いたとおりなんだが、1曲めの佐橋のギターソロを聴いたとき、僕は頭の中で正直なところこんなことを考えていたんだ。 「きょうの佐橋はめちゃくちゃかっこいいな。小田原も凄いけど。」 これは名古屋公演の頃から気づいたことなんだけど、佐橋が会心の出来ともいえるギターをひいてみせる時、その直後には決まって小田原が、それに匹敵するような真に迫ったドラミングをやってのけるんだ。まるで、佐橋の方に向いたみんなの視線を力づくで奪い取ろうとするかのようにね。これはあくまでも僕の推測だけど、もしかすると小田原は、相性として佐橋に触発されやすいものがあるんじゃないかな。HKBは凄腕ミュージシャンの集合体なわけだから、互いのプレイに触発されるということは日常茶飯事的に起こっていることであり基本的には誰かれ構わないんだろうと思うけど、もしその中にも特に影響しやすい、されやすいという関係があるだとしたらそれは非常に興味深いことかもしれない。 僕が感じている限り、特に名古屋あたりからのHKBは、ステージ上でお互いを引きあっている傾向がとても強まっているような気がする。触発が触発を生むとでも言えばいいのかな。ステージ上で誰かが凄いことを始めると、他の5人がいもづる式にどんどん加速していく−演奏がはしるという意味じゃなくて、壮絶さが増すという意味で−みたいなんだ。そしてその現象は、やはり「THE BARN」の曲においてとても顕著であるように僕には感じられる。 特に、初盤から中盤へと移行するきっかけをつくる役を担うこの曲はいつも、その日特にノッている奴に他のメンバーがぐいぐい引っ張られて、演奏が終わる頃には「みんなかっこいいなあ」と思わず口をついて出てしまうような凄い仕上がりをみせているんだ。そしてこの日、ステージをのたうちまわる音の大波の先頭に立っていたのは小田原だった、と僕は思っている。 「ヘイ・ラ・ラ」 この曲の間奏はエクステンドされていて、アルバムと同じ佐橋のギターソロのあとに西本のウ−リッツア・ピアノをフィーチャーした24小節が加えられている。この部分の小田原がきょうは凄かった。ここは全体的にやや静かめのトーンに抑えられている箇所なんだが、小田原はトーンを抑えながらも非常に複雑で強いドラムワークをしていて、それがみんなのエネルギーを静かに、静かに増幅させていくように僕には感じられた。 そしてステージ全体を5色に染めあげていた照明が消え、演奏のトーンが更に抑え込まれると、オレンジとグリーンの光がぱっと中央の佐野を照らしだす。上からのスポットを使わず、左右から全く対照的な色をあてられた佐野の姿は、見る角度によって全く違った表情となり、2階席から観た時には真っ黒なシルエットになってステージ中央に浮かび上がるんだ。 街の中できょう 虹をみた いいことだけを何か 考えてみた 最もトーンを抑え込まれたところから、佐野が「考えてみた」と唄いながらアッパーのカッティングで突如激しくギターをかき鳴らす。するとそれを合図にバンドは右肩上がりの加速をつけてリフレインに入っていく。 今夜のように月がきれいな日には (きれいな日には) 佐橋と井上とKYONのコーラス、僕は決して上手いとは思わないけれど、とっても等身大というか、今のHKBに最もぴったりきてる感じがして僕は大好きだ。ただちょっぴりKYONの声が大きすぎて井上の声がかき消されそうになることがあるので井上には頑張って欲しいところだけれどね。 「シャララ…」と声を張り上げる佐野とコーラス。唱和していくうちに、唄っている僕らも自然とバンドの加速の中にずんずん引き込まれていく。そしてアルバムヴァージョンにはないアウトロ。スネアの4つ打ちで突っ走る小田原を先頭に6人全員がどんどんスピードをあげ、「ラララ…」と佐野が高い声をいっぱいに張り上げて唄うと、それをきっかけに小田原のドラムはツービートになる。KYONが立ち上がってまるでハードロックのオルガンソロのような激しいフレーズを繰り出し、その激しく振られる頭の振りはいつのまにか、全身でカッティングしているかのような佐橋の頭の振りとぴったり重なっていく。それは更に井上の、そして佐野の身体の揺れに同調し、最後にはわずかに動く西本の顎とぴったり合わさって見事にひとつのバイブレーションになる。全員が全員、全く違う方向を向いていながらおんなじ呼吸で、ぴったり同じ加速をしながらエンディングへなだれこんでいくその様は本当に凄い。月並みな言葉しか出ないけれど許してほしい。凄いという以外、他に適当な言葉が見つからないんだ。 実をいうと、僕は今までこの曲のことを何度も書こうとしたんだ。だけど、あまりにかっこよくて上手く表現できずにいるうちに曲がどんどん進化してしまって遂に今日に至ってしまった。この曲は僕の大好きな曲だし、一度は話題にしたいと思って何とか書いてみたけれど、これでこの曲のことを書き切れたとは僕はこれっぽっちも思っていない。なぜならこの曲は日を増すごとに、まだまだ凄くなり続けているから−そう、おそらく今、こうしている間も。そしてこの曲が凄くなり続けるということは、とりも直さずバンド全体が凄くなり続けてるということなんだ。 だからもし許されるなら、ツアーが全て終わったあとにでも、もういちどゆっくりこの曲のことを書けるチャンスがあったらいいと思ってる。もし、君が僕のおしゃべりにつきあってくれるならね。 これは全くの余談だけれども、この日のライブはいつもに比べて男の比率が高かったような気がする。僕はこのツアー、実に12回めの参加だった訳だけど、前後左右全ての隣りが男だったのは今回が初めてだ。しかもその風貌は、いかにも実直なサラリーマン風の男からまるでヘビーメタルのライブと間違えて来たんじゃないかと思うような皮ジャンをまとった男まで実にさまざまだった。佐野の男性ファン層って意外と幅広いんだな、と感心してしまったよ。 それじゃ。また今度。 親愛なるSCRATCHへ メールどうもありがとう。 サマータイムが始まってドイツと日本の時差は7時間になった。来週の週末はイースターで4連休だ。僕はイギリスのブライトンへ行ってくる。ブライトンと言えばかつてモッズとロッカーズが衝突した事件の舞台だ。この辺のことは「さらば青春の光」という映画に詳しい。この映画は是非一度見ておくべきだと思うね。もしザ・フーやザ・ジャムが好きならなおさらね。 さて、「ヘイ・ラ・ラ」については以前にこのホームページのどこかにも書いたと思うけど、僕はこの曲を聴いて、佐野元春の「シャララの系譜」が受け継がれていることにいたく感激したものだった。かつて佐野は「雨の日のバタフライ」という曲のことを説明するときに、「シャララの楽天性」ということを言っていたことがあって、僕の頭の中にはそれが強く残っていたんだ。それは例えば「No Damage」というのと同じ、たとえ土壇場にあってもきっと大丈夫だと笑って見せられるようなぎりぎりのオプティミズムであり、絶望を知るからこそ逆に見えてくるある種の光だと思う。 僕たちが否応なくつきあっている毎日の日常の中にも、そうした光は必ず射しこんでいる。僕は、おそらくはその光を見ようとして、ともかくもこの現実と折り合いをつけているのだろうと思う。キミの3カ月に及ぶ旅もいよいよ終わりに近づいてきた訳だが、そこに何か、これからも大切にしたくなるようなものを見つけることができただろうか。僕はきっとそうだと信じている。今日はいい天気だ。 Silverboy 1998-2021 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |