logo 1998.3.23 渋谷公会堂


SCRATCHより親愛なるSilverboyへ 元気にしているかい?

3月23日、佐野元春 and The Hobo King Bandは、遂に東京へ帰ってきた。

首都に暮らすあまたのHKBファンにとってこの日は"待ちに待った"いや、"待たされに待たされた"日だ。ツアー開始から実に2か月半もの間、HKBは東京を留守にしていたんだ。1月に近郊の都市で数回のライブがあったものの、東京そのもののライブはおあずけのまま。唯一2/4に行われるはずだった渋谷のライブも、アンラッキーなことに佐野自身の体調不良によって延期となってしまった。それから数えても早1か月半が過ぎている。

僕が感じている限り、HKBは名古屋でまた1段階、自分たちのレベルを上げてきている。ということはSilverboy、今日からはまた、新しい核分裂が始まるはずなんだ。

東京のステージの1曲めは「ぼくは大人になった」で始まった。3/14のラインナップはあの日だけの特別バージョンかと思っていたが、どうもそうではないようだ。もしかするときょうも特別な日なのかも知れないけどね。

それはそうとこの日、HKBの中にはアクセルべったりで飛ばしまくってる奴が2人いた。

1人は佐橋佳幸。彼は1曲めから絶好調だった。名古屋で聴いたソロも凄かったけど、きょうのソロは確実にその上を行っていた。そして、好調な時の佐橋というのは、カッティングがすごいんだ。例えば「約束の橋」。僕はこの曲が大好きだから、この曲をやってる時のメンバーの好不調はよく判るつもりだが、好調な時の佐橋のギターは、この曲で"ジャッ、ジャッ"とも"ガッ、ガッ"ともつかないような音を出す。そして、朗々と響く西本のピアノやKYONのアコーディオン、それら全てを抑えて、ひときわ目立って耳に突き通ってくるんだ。きょうの佐橋のギターはまさにそれだった。

そして、ステージの上にはもう1人、まさに"アクセルべったり"という表現そのままに疾走している男がいた。佐野元春だ。この日の佐野は本当にご機嫌で、まるでエンジンをブイブイふかしながら走っている車のようだった。唄もさることながら、この日は非常に饒舌で、おしゃべりも冴えまくっていた。

例えば「ドクター」を紹介する時には、こんな話をしている。
「時には医者が必要だ。そうだろ。例えば今の日本のように…ロックンロール・コンサートに持ち込む話題じゃないかな?いや、そうでもないだろ?」
そんな2人が、実におもしろい展開をみせた曲がひとつある。

「そうそう、僕は東京の下町で生まれたんだ。下町に行くと、僕みたいなしゃべり方をするやつがいっぱい歩いてる。昔は嫌いだったけど、今は大好きだ。」
今回のツアーでは、佐野はライブの終盤で必ず下町の話をしている。地方に行くと「ここに下町はあるのか」とオーディエンスに問いかけたりもする。そして最後には自分の生まれた東京の下町を自慢して曲に入っていくんだが…。

「今でも僕は時々、自分の生まれたところに帰る。ある乗り物に乗ってね。」

佐野がこう切り出した瞬間、佐橋がぎょっとした顔をして凄い勢いで佐野の方を振り返った。それもそのはず、このひと言は佐野が「水上バスに乗って」を紹介するときの常套句なんだ。しかし、メンバーの配置はどう見てもそうじゃない。「水上バス」ならKYONはギターを持って下に降りていなければいけないのに、彼はピアノの真ん前に座っているんだ。

直立不動で固まったまま、決して大きいとはいえない目の瞳孔を全開にして、上機嫌で話す佐野をじっと凝視する佐橋。きっと彼の背筋にはこの時、冷や汗がひと筋、ツツーッと流れていたに違いない。「佐野!」固唾をのんで見守る僕の手にもつい力が入る。そして佐野が次の句を告げた。

「乗り物は水上バスだ。それで、"水上バスに乗って"なんていう曲を書いたこともあった。」

佐橋が肩で大きく息をしながら後ろを振り返る。顔を向けた先にはKYONが、やれやれと言わんばかりに穏やかに笑っている。そんなメンバーの思惑に気づいているのかいないのか、佐野はどんどん話を進める。

「でもきょうやるのはその"水上バスに乗って"ではなく、もうひとつの下町の唄だ。。下町に暮らしている男の子の唄だ。でも、これが男の子のためだけの曲かというと、それは違う。この曲の主人公の男の子には大好きな女の子がいる。だから、女の子たちにも関係がある曲なんだ。」

会場中からわっと歓声があがる。オーディエンスはもう、次の演奏曲目が判ってるんだ。
佐野はギターのネックを立ててジャラジャラと弾くと目を閉じ、
「この曲は、僕の曲でもあるかも」
そして佐野が勢いよくカウントを入れ、KYONがその上にパーンと景気のいいピアノのグリッサンドをのせる。イントロが始まると、佐野は客席に向かってゴキゲンなシャウトを聴かせた。

「DOWN TOWN BOY!!!」

何の小細工もない、ビートを刻むことを最優先にした小田原のドラムと井上のベース。佐橋のボトルネックギターが、その上を気持ちよさそうに滑っていく。

何の技巧も凝らさずにストレートに出てくる音が、この曲にはもっとも似つかわしいのかもしれない。こういう時にはこちらもストレートにノッてしまうに限る。僕は唄った。周りもみんな唄っていた。その歌声は数曲前に演奏された「SOMEDAY」をはるか凌いだのではないかと思うほど、力強くエネルギーに満ちていた。

強がってばかりのRunaway
夜を抱きしめて
ここにもひとり あそこにもひとり
But it's alright
Yes, he's a Down Town Boy

佐野はこの「ここにもひとり あそこにもひとり」のところで客席を指差すポーズをしてみせる。本当は別に誰を差しているということもないんだと思う。だけど、佐野が「あそこにもひとり」と僕のいる方向を指差して唄った時、僕はふっと考えてしまったんだ。
「これは今の僕の唄かもしれない。」

僕は今まで、この曲にそれほど深いシンパシーを抱いていた訳ではなかった。昔はコピーもしたし、いい曲だと思っていたし好きだったけど、自分に投影できるほど近く感じていたわけではない。だから君が以前「これは僕のことを唄っている」というような話をしてくれた時も、正直なところあまりピンとくる感じではなかったんだ。だけど今は−今の僕の心理状態があまりいいものではないせいかもしれないけど−はっきりと解る。この曲は僕のことを唄っている。そして少年の心−おそらく少女の心も−を少しでも持っている人にとってきっとこの曲は"僕のことを唄っている"曲になるんだと思う。違うかな。

演奏そのもののことをうまく書くことができなくて申し訳ない。でもこの曲の演奏は何だか、言葉で表現できるものではない気がする。僕の耳に残っているのは、まるでティーンエイジャーのバンドのように真っすぐでガムシャラな小田原のドラムと井上のベース、叩きつけるようなKYONのピアノ、表情と裏腹なイキのいい西本のオルガン、その上を心底気持ちよさそうに滑っていく佐橋のギター、そして佐野の「シャララ」という唄声、それだけなんだ。あとは申し訳ないけどうまく書けないよ。本当に申し訳ないけど。

最後に、あまりにもアクセル全開な佐野の話をもうひとつ、紹介しておくよ。

こんなことを言うと当の本人には怒られてしまうかもしれないんだが、僕は時折「佐野元春という人はもしかすると、前頭葉だけで生きているんじゃないか」と感じることがある。特にライブの最中に多いことなんだが、彼自身が張り切っていればいるほど、ノリにノッていればいるほど、とんでもないところで見る者を思わず微笑ませずにはいられないような大ポカをやらかすんだ。名古屋のライブで「SOMEDAY」を1拍早く唄い出してしまったことなどもその好例といえるが、この日のステージではこんな可愛らしいヘマをしでかしている。

アンコールのメドレーで、佐野がHKBのメンバー紹介をしていることは以前のメールにも書いたと思う。佐野は今日もいつもと同じように、いや、いつもよりややハイテンション気味にメンバーを順に紹介していった。佐橋、KYON、そして3番目に井上富雄の順番がやってきた。「Bass!」いつになく口が滑らかになっている佐野は、井上を前面に押し出そうと張り切って話を始めた。
「彼はこのツアー中に新しい子供ができたんだ。」
場内に歓声があがるのを確認して、佐野は得意満面で話を進めていく。
「名前はもう決まった。もう決まったんだ。」
この発言はおそらく、3/7の仙台公演で初めて子供の誕生をステージで報告した時に「トミー、名前は決めてるの?まだ?…名前はまだ決まってない!」という話があったことに呼応しているのだと思う。ここで高らかに名前を公表してまた会場を沸かせようという訳だ。そして佐野の話は続く。

「名前は…名前は…トミー、名前、何だっけ?」

次の瞬間、ステージ上も含めて会場中が吉本新喜劇のごとくひっくり返ったことはいうまでもない。

どうだい、ふるってるだろ。だが、話はこれでは終わらないんだ。佐野の真価が発揮されるのはこれから、これからなんだよ。

ゆで鮹のように真っ赤になった井上が、近寄ってきた佐野に耳打ちをする。佐野は深〜くうなづくと照れ笑いをしながらマイクに向かい、
「ここだけの秘密にしとこう。」
名前はついに公表されなかったが、とにもかくにも話は一応の決着をみて、バンドも観客も合唱の準備に入り、井上はソロに向けて体制を整える。

そして佐野はコールした。

「Drums,小田原豊!ワン・ツー・スリー・フォー!」

次の瞬間僕の視界には、慌ててマイクの前に戻る井上の姿と自信たっぷりの表情で小田原を指差す佐野の姿が同時に入ってきた。僕は笑いが止まらなくなってしまったよ。佐野は自分の間違いに全く気づいていないらしく、小田原の後は西本をいつもどおりのめちゃくちゃなキャラクター設定つきで紹介し、そのまま満足そうな笑顔でメンバー紹介を終了させてしまったんだ。

その直後に佐野を紹介する役を負っているKYONは、オルガンブースから立ち上がったものの、どうするべきか判断がつきかねた様子で井上としばし顔を見合わせていた。きっと終演後の楽屋では、佐野はこのことでみんなから袋叩きにされたに違いない。

Silverboy、僕は佐野に一生ついていくよ。彼の脳みそに後頭葉が皆無であったとしても、僕は一生ついていく。こんなに愛すべきキャラクターはそうそういるもんじゃないからね。そう思わないかい?これからのライブがまた、とても楽しみになった。

それじゃ。また明日。


親愛なるSCRATCHへ メールどうもありがとう。

「ダウンタウン・ボーイ」、僕には思い入れの深い曲だ。ライブでも何度となくアレンジを変えて演奏されるのを聴いた。そしてそのたびに、この曲が、その時の僕がこの曲を初めて聴いた頃の自分からどんなふうに変わってきたのか、そしてどんなふうに変わらずにいるのかを考えるマイル・ストーンのように感じてきた。

おそらく今回のツアーで演奏されているこの曲は、「フルーツ」のライブ・ビデオにも収録されている身も蓋もないロック・バージョンなんだろう。僕には佐野元春が今この曲を、何の変哲もないロックン・ロールとして歌うことがとても大事なことのように感じられる。佐野にとっても、そして僕自身にとってもだ。

キミの今回のレポートからは、楽しげなパーティーみたいなライブの様子が伝わってきて僕はとても嬉しい。ロックン・ロールはマジックなんだ。時にはシリアスであっても、最終的にそこには何かこっけいな、ユーモアがなければならない。嘆いてばかりはいられないんだ。僕たちはスリ傷だらけの都会育ちなんだからね。

Silverboy



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