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SCRATCHより親愛なるSilverboyへ 元気にしているかい?

ツアーもいよいよ後半戦だ。半月のインターバルを経て、HKBはロードへと帰ってきた。そして僕もきょうからロードに帰る。思いがけない公演延期によって2月のライブを全て見送ることになってしまった僕にとって、彼らとの再会は実に40日ぶりのことになる。

僕は仕事の都合により観ることが出来なかったけれど、HKBは病み上がりの佐野元春を擁して2月にも3か所の公演を行っている。漏れ聞くところによれば、そのたった3か所の公演ですでに彼らは、TVゲームでいうなら1面クリアぐらいの前進を遂げているらしい。1月の彼らとどこがどのくらい違っているんだろう。僕はそれを心から楽しみに仙台に向かった。

仙台はかなり暖かくなっている…という前情報を仕入れて出かけていったら、降り立った駅前にはなんと風花が舞っていた。しかもその量は時が経つにつれてどんどん増えていき、開場の頃にはちょっとした吹雪になってしまった。そんな中で始まった仙台のライブ。それは外の吹雪がまるで全てを象徴するかのような、波瀾に満ちたライブとなってしまったんだ。

僕が期待していた通り、HKBは1月に僕が観たバンドから確実な変化を遂げていた。僕が最後に観た京都のライブで、彼らが第2の核分裂をかなり完璧に遂げていたように僕は感じていたけれど、この日の演奏を聴く限り彼らは既に第3局面をクリアし、第4局面の出口を探す段階に差し掛かっているように僕には思えた。だが、TVゲームも局面が進んでいくにつれ必ず難しくなっていくように、HKBが超えるべきハードルも日を追うごとに高くなっているらしい。難易度が上がれば上がるほど、ほんのちょっとしたズレや手違いが命取りにつながっていく。TVゲームでわずかな手もとの狂いが主人公の死を招いてしまうのと、ちょうど同じようにね。

このツアーは開始当初から、しばしば音響の問題が各方面で取り沙汰され続けてきた。僕は基本的には佐野の音響スタッフを支持している。確かに僕が観たライブでハウリングが出なかったステージはほぼ皆無に近いし、佐野が自分の声を聞き取れずに耳を塞いで唄うといった光景も数多く目にしているけれど、今バンドの6人が個々に出している、時として"やかましい"と形容できるほどの楽器の音量を考えたら、全ての音を活かしながらモニタ−スピーカ−の音量も充分に保ち、なおかつハウリングを出さないというのはおそらく難行苦行に違いないんだ。だから僕は基本的に音響スタッフを責めたくはない。だが、この日のステージの音響はちょっとばかり酷すぎた。そしてそれが、ちょっとしたきっかけから、よりによってライブ全体で最も肝心かなめといえる箇所で、バンドの演奏に支障をきたす結果を招いてしまったんだ。

事の直接の発端は「ドクター」で佐野が危うく展開を間違えて唄いそうになったことに始まる。とっさにボブ・ディラン調の"もたった"唄い方で窮地をごまかした佐野は、つじつまを合わせるかのようにその後の曲にその"もたった"唄い方を多用し始めた。リズムカウントが一定でない指揮者に従う訳だから、演奏する側は並大抵ではないはずだが、そこは名だたるHKBの面々、佐野のリズムカウントがどうあろうと本来なら全く問題ないのだ−本来ならば。だが、この日は "本来"ではなかった。あまりにも酷い音響が、HKBを"本来"でない状況にいつのまにか追いやっていたんだ。

後半のハイライトで演奏される、佐野とファンが特に特に大切にしている曲、その最も盛り上がるべき展開のところで、西本のピアノと小田原のドラムのテンポが誰が聴いても明らかにそれと判るほどずれてしまった。西本は佐野のヴォーカルのもたりに忠実なカウントを刻み、小田原はいつも通りのカウントで叩こうとした、その行き違いが生んだミステイクだ。だが、この2人の力量を考えたら本来ならこんなことはあり得ないはずなんだ。おそらくステージの上で、2人はお互いの音を聞き取れていなかったのだろうと思う。直接のきっかけは佐野の唄い方であったとしても、それにバンドが普段通り何食わぬ顔をしてしっかりついていくことができなかったのは、音響のせいだと言われても致し方ない。

ステージ構成上最も重要な箇所でフォローのきかないミスが起きてしまった。ファンはみんな気づいてる。さあ佐野どうする?どうやって修復するんだ?僕は佐野がこのあとどうやってステージを大団円まで導いていくのか非常に興味があった。ステージは既に終盤だ。あらかたの有効なカードはもう使われてしまっている。僕がみる限り、佐野が残された数枚の手持ちカードで形勢を逆転させるのは至難のわざであるように思えた。彼の手持ちが何であるかもほとんど察しがついていたしね。

ところが、だ。
最後の曲が演奏される直前、後ろでスタッフと何やら話していた佐野は、マイクスタンドの前に進み出ると突然こんなことを言い出したんだ。
「みんなにぜひ伝えたいことがある。今、ベースのトミーに、2人目の赤ちゃんが生まれたんだ。東京で。たった今だ。今連絡が入ったんだ!」
会場中がウワーッと温かい声援に包まれる。
やられた。井上には本当に申し訳ないんだけれども、僕はこの瞬間"おめでとう"よりも先に"やられた"と思ってしまった。佐野はよりによって、最後の最後にジョーカーを引き当てやがったんだ。何という強運。形勢はすっかり逆転した。このひと言で、観客はそれまでの数々の不具合をすっかり忘れてしまったんだ。

あとから得た情報によれば、井上の子供は実際はリハーサル中に既に生まれていたらしい。ということは、佐野はジョーカーを引き当てたんじゃなく隠し持っていたということになる。手もとに隠して、最初からそのタイミングに使うべく仕組んでいたという訳だ。Silverboy、佐野はやっぱり1枚上手だったよ。さすがだ。僕はすっかり脱帽してしまった。

おそらく佐野は、井上の慶事をまさかのための切り札に使うつもりは全くなかったに違いない。発表のタイミングもライブ開始前からここと決めていたのだろうし、"たった今"というのも、みんなでより大きく喜びを分かち合おうと考えたが故の「楽しい嘘」に過ぎなかったんだと思う。だが、それが奇しくもここ一番のバンドの危機を救う形となったのを目の当たりにして、僕は佐野のライブアーティストとしての強運さを改めて感じずにはいられない。Silverboy、君はどう思う?

この日のステージをワンセンテンスで形容するなら、さしずめ「終わりよければ全てよし」といったところだろうか。でも、僕がひとつだけ確信していることがある。それは「明日のステージはもっともっと凄くなる」ということだ。

それじゃ。また明日。


親愛なるSCRATCHへ メールどうもありがとう。

キミの京都遠征からもう1カ月以上が過ぎたんだね。その間、佐野元春は体調を崩してライブをキャンセルしたりしたけど、キミは変わりなかっただろうか。僕は最近「きかんしゃトーマス」に入れ込んでいる。

僕もこれまで佐野元春がライブでのPAや照明の不調にいらだつ様子は何度も目にしてきた。でもキミのレポートを読んでいると、今回のツアーのPAは特に問題が多いようだ。バンドの腕が確かであればあるほど演奏の音量は上がり、全体のバランスをとるのが難しくなると同時にハウリングだって起こりやすくなるだろう。だけどそれが毎回のようにライブの進行に影響を与えるのなら、何か抜本的な対策を考えるべきなのではないだろうか。

幸い今回のライブは井上のベビー誕生と佐野の機転によって救われたかもしれない。だけど僕は何か本質的な問題がきちんと解決されないまま残されているような、すっきりしない気持ちを拭い去ることができない。

仙台で残されたもう1日、佐野が、そしてHKBがどんな展開を見せてくれるのか、僕も興味深く待っている。寒さには気をつけて。

Silverboy



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