logo 緊急アピール CCCDについて


佐野元春のシングル「君の魂 大事な魂」がCCCDで発売された。この事実に対し、佐野元春ファン、ロック・リスナーのひとりとして率直な意見を述べておきたいと思う。

これはCDではない…

CCCDはCDではない。それはコンパクト・ディスクの規格を定めたレッドブックに準拠しておらず、そのためにパッケージや盤面、ケースのどこを見てもあの見慣れた「COMPACT disc / DIGITAL AUDIO」というマークがついていないはずだ。確かに実際問題として大半のCDプレイヤでは問題なく再生できるが、厳密にいえばそれは「たまたま」再生できているに過ぎないのであって、仮にレッドブックに準拠したCDプレイヤで再生できなくてもCCCDのメーカーは責任を持たないしそれを理由とした返品も受け付けない。なぜならCCCDはそもそもCDではなく、CDプレイヤでの再生を保証していないからである。

レッドブックに準拠した機器で再生できない可能性のあるようなメディアを、あたかも従来のCDと同じもののような顔をして、CDと混ぜて売っていることは大きな問題だと思う。それはこれまで20年かかってソフト、ハードのメーカーとリスナー、ユーザーの間で築かれてきた、コンパクト・ディスクというメディアへの信頼を利用してまがい物を売りつけるやり口であり、その信頼を一瞬にして損ねる愚かな背信行為だと言わざるを得ない。それは悪質なごまかしであり、狡猾なインチキだ。どうしても売りたいなら「これはCDではありません。お持ちのCD用再生機器で再生できないことがありますが、その場合も返品は受け付けません。お持ちの再生機器が壊れた場合も賠償いたしません」と目につくところにはっきり表示して売るべきなのだ。

コピー・コントロールとは…

もともとCCCDは「コピー・コントロール」の名が示す通り、CD音源がPCで簡単にコピーされ、ファイル共有などを通してブラックマーケットで流通することを防止しようという目論見のもとに導入されたメディアである。そのためにわざわざレッドブックに準拠しないCDもどきを開発したのだ。では、そのコピー防止、コンピュータ上での音声ファイルへの変換(リッピング)防止という本来の目的は果たされているのだろうか。

結論から言えばノーである。例えばこの「君の魂 大事な魂」は、僕が持っているフリーウェアのCD再生・リッピング用ソフトで当たり前のように再生、リッピングできてしまった。仮にPCでの再生ができなくても、このCCCDを再生可能なCDプレイヤがあれば、そこからラインアウト端子を経由してPCに音源を取り込み、リッピングすることはいくらでもできてしまう。確信犯的にCD音源をコピーしてネット上でファイルを共有しようとする試みにはCCCDも無力だと言っていい。本来のコピー防止という役割すら満足に果たし得ないのだとすれば、CDのように見えてCDでない、自分のプレイヤで再生できないかもしれないようなインチキ商品を無理矢理売りつける意味がどこにあるのか僕には理解できない。

でも聴きたい…

だが、ここまでなら、「オレはCCCDなんか認めないぞ」と言い放っていればすむ話だった。困ってしまったのは他ならぬ佐野元春の新譜がCCCDでリリースされたことだ。CCCDは気に食わない、しかし佐野の新譜は欲しい、そういう葛藤の中で「結局買わないことにした」という声もいくつか聞いている。僕は買った。CCCDであれ何であれ、佐野のリリースは一通り揃えることにしているし、何より、このCCCDを買う以外に佐野の新譜をきちんと聴く手だてがないからだ。

僕が知りたいのは、佐野がこのCCCDでのシングル・リリースをどう考えているのかということである。佐野はこれまで自身のリリースについて非常に自覚的にコントロールしてきたアーティストである。12インチ・シングルのリリースからアナログ時代最後のピクチャーディスク、「僕は愚かな人類の…」でのDAP、GO4レーベルの立ち上げ、「光―The Light」のネット配信まで、佐野が問題意識を持ってメディアと積極的に関わってきたことを僕たちは知っている。その佐野に、問題の多いCCCDで自身の新譜がリリースされることについて何の考えもないということは僕には想像しにくい。

もちろんメーカーとの力関係で、アーティストの意向にかかわりなくCCCDでのリリースを余儀なくされるということはあるだろう。だが、それならせめてそうアナウンスするべきではないだろうか。この問題に関して佐野の顔が見えない、そう思っているのは決して僕だけではあるまいと思う。CCCDなら買わない、というファンが確実にいるのだ。彼らは別に意地悪や嫌がらせをしているのではない。佐野の新譜は聴きたいのにメディアがCCCDだから苦渋の選択として泣く泣く買わないことに「決めた」のだ。そうしたファンに対して何らかの説明があってもよいのではないか。

失われたものは…

失われたものはそうしたファンの分の売上だけではない。例えば僕はiPodに手持ちのCDを片っ端から流しこんで持ち歩いているが、CCCDではそれができなくなる。MP3なり何なりのファイル形式にリッピングしなければiPodへの流しこみはできないからである。音楽を持ち歩き、好きな場所で好きなときに楽しむ、携帯用プレイヤがMDからハードディスクに移行しようとしているときに「君の魂 大事な魂」はそういう聴かれ方を自ら拒否している訳だ。

もちろんたまたまCCCDを再生できない機器しか持っていない人に聴いてもらえないことも当然のコストとして割り切っているのだろう。一人暮らしの部屋にオーディオを持たず、これまでマックのドライブでCDを聴いていたような人には佐野の新譜を聴く機会は用意されていないのである。

音源をコピーして人に聴かせることで、結果として音楽ファンの底辺が広がってきたことは紛れもない事実である。コピーですませてしまえるCDは所詮買ってもらえなかったCDであり、買う価値のある音楽はコピーで聴いた後でもきちんと売れるものだと僕は思っている。中途半端な方法でコピーを防ぐことを考えるより、コピーで聴いた人がカネを出してCDを手に入れたくなるような音楽を作ることこそが必要なことのはずだ。佐野元春はそれができるアーティストだと僕は思っている。



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