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■The Lady in the Lake 1943年
■湖中の女 清水俊二訳 ハヤカワ文庫 1986年

長編第四作。清水のあとがきにもある通り、第二次世界大戦のさなかに書かれた作品ということもあって随所に戦争の影が見え隠れし、物語も心なしか暗く、静かだ。派手なバイオレンスはほとんど出てこず(それでもマーロウは最後には頭を棍棒でやられて気絶するが)、敵キャラやラスボスも存在感は概して薄い。マーロウを誘惑するような魅力的な女性も現れない。

そのために、マーロウものとしてのあるべき起伏に乏しく、作品全体としても平板な印象は免れない。ストーリーは淡々と進行し、淡々と人は死に、決定的なシーンとでも呼ぶべきものは最後まで出てこない。セレブに怪しげな薬物治療を行う不良医師といういつもながらのプロットを用意しながらもそれが十分生かされることはなく、犯人も小物感が漂う。

だが、それでもこの作品は前作「高い窓」と並んで僕の印象に深く残っている。それはおそらく、そうした起伏の乏しさが逆に作品の端正さとして作品に奥行きを与えているからではないかと思う。

山小屋の管理人ビル・チェス、田舎町の代理保安官パットン、キングズリーやミス・フロムセット。マーロウと彼らの対話にはいつものような辛辣さやシニカルさは影を潜め、戦時下に息をひそめて生きる者として互いに対する慈しみのようなものさえ窺えるようだ。

チャンドラーはここではドラマティックで華々しいアクションを描くよりも、そうした世の中の生きにくさ、人々の心に兆す不安の種子のようなものを丁寧に描き出すことの方に主眼を置いているのではないか。あるいはラストシーンも含め、世相的なものが必然的にそう作用しているのか。

ストーリー・ラインはかなり整理されていて、一見偶然による溺死体の発見を端緒にいくつかの事件があちこちで立ち現われ、それらが次第に一本の糸によって紡ぎ合わされて行く手際はミステリーとしても随分洗練されたものになってきた感がある。地味で静かだが僕の好きな作品だ。


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