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■The High Window 1942年
■高い窓 清水俊二訳 ハヤカワ文庫 1988年

長編第三作。この辺になると作品のつくりとしてかなりこなれてくる感じがして、僕はこれとか次の「湖中の女」とか結構好きなんだけど、あんまりこれを好きだと言ってる人は見たことがない。なんでだろう。物語としての厚みというか、手ごたえみたいなものが足りないのだろうか。

確かに、マーロウとがっちり組み合って物語の動因になって行く軸みたいなもの、例えば前作でのマロイとか「長いお別れ」でのテリー・レノックスみたいな存在感のある登場人物はいない。ここでその役割を担わなければならないのはおそらくマードック夫人なんだと思うが、彼女の造形に少しばかりチャームが足りず、感情移入が難しいのがその原因かもしれない。これじゃただの意地悪ばあさんだ。

だが、この作品にはもっとキャラ立ちした登場人物がいる。マール・デイビス。「神経過敏で、動物的な感情には乏しい」「いつも希薄な空気を吸い、雪の匂いをかぎつづける」「貝殻縁のめがねをかけた、痩せて、ひ弱そうなブロンド娘」。極端な人見知りで情緒に問題のあるメガネっ子だ。

マードック・ブラシャー紛失をめぐるストーリー・ラインと、マールの過去をめぐるストーリー・ラインが、マードック夫人という強欲な老婦人を交点にして複雑に絡み合いながら進行する。その手際は随分よくなっているし、もっと書き込めるところ、もっと端折れるところはあるようにも思えるが、ストーリーとしてはかなり洗練されていて楽しめる。マールの神経症的な性格を仕掛けにした物語の構造もいい。

この物語ではマーロウの誠実さが際立つ。仕事への誠実さ、人への誠実さ。タフさはそれらを守るための鎧に過ぎないのだということがよく分かる。

マールを実家に送り届けたあと、「私は奇妙な感じにとらわれた。自分が詩を書き、とてもよく書けたのにそれをなくして、二度とそれを思い出せないような感じだった」。世の中には「美しい文章」というものが実在する。


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