レイモンド・チャンドラー 作品レビュー ハードボイルド・ミステリというひとつのジャンルがある。その代表作と呼ばれるのがレイモンド・チャンドラーの遺した七編の「フィリップ・マーロウもの」である。 ミステリなので事件が起こり、探偵であるマーロウがそれを解決するのだが、伝統的な意味でのトリックとかアリバイとか謎解きはここではさして重要な意味を持たない。もちろん、一見バラバラだった出来事が次第につなぎ合わされ、事件の真相が少しずつ明らかになって行くという意味でのミステリ的構造に則ってはいるのだが、そのプロセスはしばしば唐突で飛躍しており、時として便宜的ですらある。 「マーロウもの」の魅力は、そうした「推理小説」としてのパズル的な面白さにではなく、タフでクールでありながらも実際にはセンチメンタルなまでに心優しいフィリップ・マーロウの人物造形にある。自分勝手な依頼人やクセのある登場人物、理不尽な警察機構やこわもてのヤクザなどに振り回され、小突かれ、翻弄されながらも、何か一貫したものに従って頑なに自分のやり方を通そうとするその姿に、僕たちは引き込まれて行くのである。 なぜなら、僕たち自身もまた毎日、自分勝手で理不尽な日常に否応なく振り回され、小突き回されているからだ。そして、そこにおいていろんな事情を慮りながら、不本意にも毎日を生きながらえているからだ。だから僕たちにはマーロウが何を守ろうとしているのかがよく分かる。それは僕たちが「取り敢えず」諦め、譲り、棚上げにし、割り切ったものだ。それにもかかわらず僕たちが何よりも大切にし、守りたいと思っているものだ。だから僕たちはマーロウが「なぜそこまでやらねばならないか」がよく分かるのだ。 僕たちはマーロウのように生きることはできない。だれもマーロウのように生きることはできない。そういう意味ではハードボイルドはファンタジーである。しかしそれは圧倒的にリアルなファンタジーである。マーロウが直面する薄汚れたものは、たくさんの人間が寄り集まって生きているところにあってはどうしても避けて通れないものだ。それは1940年代のアメリカでも、21世紀の日本でも変わらない。だからこれらの作品は今でもリアルなのである。マーロウが魅力的に見えるのは、彼の強さが僕たちの弱さの、あまりにもそのままの写し絵に他ならないからなのではないだろうか。 2013年1月
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