logo レイ・ブラッドベリ 作品レビュー(長編)

 

The Martian Chronicles 火星年代記 1950 (ハヤカワ文庫 小笠原豊樹・訳)

一応長編ということになっているが、実際には人類の火星移住をテーマにした連作短編集とでも言うべき作品。まだ人類が月に立つはるか前に書かれた作品であり、火星には精神感応力のある火星人が独自の文明を築いている。何度かの不幸なすれ違いの後、人類が本格的に火星に乗りこんだときには、火星人は人類がもちこんだ水疱瘡ウィルスでほとんど絶滅していた。人類は大挙して火星に移住するが、やがて地球で世界大戦が勃発し…。

戦後間もない時代の、率直な宇宙への憧れと冷戦、マッカーシズムなどの時代背景を抜きにしては語れない筋立て、道具立てであるが、それでもこの作品が火星人などいないとみんな知っている21世紀の今日にあっても瑞々しさを失わないのは、そこに文明の本質への卓越した眼差しがあるからだ。いや、文明というよりは、人間の救い難い愚かさ、俗物根性への不寛容なまでの厳しい告発があるからだ。それは時代を越えて普遍的なものだ。

だが、この作品が僕たちに喚起するのはそれだけではない。そこには、人間の救い難い愚かさ、身勝手さが描かれる一方で、人間の心の奥深くにある郷愁や追憶、また美しいものへの憧れ、慈しみといったものも鮮やかに呼び起こされる。着陸した火星で生まれ故郷の村や肉親を幻視するエピソードや人が強く求める者に姿を変えてしまう火星人の悲劇に描きこまれた焼けるような憧憬や悔恨があってこそ、この作品は僕たちの胸に迫るのだ。

 
Fahrenheit 451 華氏451度 1953 (ハヤカワ文庫 宇野利泰・訳)

全体主義的な管理社会では読書が禁じられ、書籍は見つかり次第焼かれることになっている。「消防士」という意味の「ファイアマン」は、この世界にあっては火事を消す者ではなく、本を焼く者の名前なのだ。主人公のガイはそのファイアマンとして本を焼くことに喜びを感じている。ある日、自宅近くで奔放な少女クラリスに会うまでは。それをきっかけにガイは焚書に疑問を持ち始める。彼は自分の頭でものを考えるようになったのだ。

今から60年も前に三方の壁が巨大なテレビ・スクリーンになり本など誰も顧みなくなる社会を夢想したブラッドベリの想像力は確かなものだ。だが、この作品のすごみはそうしたSF的着想だけにあるのではないと思う。最もハッとさせられるのは、焼かれた本の代わりに本を丸ごと一冊暗誦することで知識を伝えようとするレジスタンスの存在だ。ある者はプラトンでありある者は「ガリバー旅行記」なのだ。この作品の生命線はこの着想だ。

今日ではディストピア的な近未来を描くこと自体は珍しくなくなった。いや、ブラッドベリに先だってオーウェルが「1984」を書いているし、テリー・ギリアムは「ブラジル」を撮った。それらに比べればブラッドベリのこの作品はいささか人間の理性、善性に無邪気に依拠している感があるし、エンディングにも唐突感があるのは否めない。だが、「紙の本」が絶滅に向かいつつある現代に焚書の意味を考えてみるのは無駄なことではない。

 
Dandelion Wine たんぽぽのお酒 1957 (晶文社 北山克彦・訳)

これも「火星年代記」と同様、長編ということになってはいるものの、アメリカの田舎町に住む12歳の少年のひと夏を連作掌編の形で描き出そうとした作品であり、純然たる意味での長編小説ではない。それぞれのエピソードには章の番号もタイトルもなく、ただ2、3ページから数ページのエピソードが次々と展開されて行く。登場人物は共通でエピソードも連続しているので違和感なく連続したストーリーとして全体を読み通すこともできる。

1928年、アメリカの片田舎グリーン・タウンに住むダグラス・スポールディングは、12歳の夏を迎えている。これは彼が過ごすひと夏の物語だ。若干の事件は起こるものの、そこにSF的要素も怪奇文学的要素もなく、ただ眩しいとしか言いようのない、子供の最後の夏と少年の最初の夏をまとめて経験する、頼りなげで独りよがりの男の子の視線だけがある。たんぽぽのお酒とはたんぽぽの花弁から作る果実酒であり、夏の記憶の代名詞である。

「そして彼は知った、彼にとびかかってきて、いまはそこにとどまり、逃げて行こうとしないものの正体を。ぼくは生きているんだ、と彼はおもった」。これはダグラスが生の意味に目覚め、それゆえ必然的に死を意識することの物語だ。いや、むしろここに濃密に漂っているのは死の気配であり、死が新しい生に引き継がれる瞬間の慄然とした恐怖である。児童文学としても読めるが、むしろ生の重さに呻吟する大人こそが読むべき作品だ。

 
Something Wicked This Way Comes 何かが道をやってくる 1962 (創元SF文庫 大久保康雄・訳)

これは「華氏451度」と並んで数少ないブラッドベリの「長編小説」。「たんぽぽのお酒」と同じイリノイ州グリーン・タウンを舞台にしているがストーリー上直接のつながりはない。ジムとウィリアムという、隣り同士の家に住む、互いに親友同士の13歳の少年を主人公にしたファンタジー小説である。物語は主にウィルの視点で描かれ、町の図書館長であるウィルの父親も大きな役割を果たす。ある日二人の住む町にサーカスがやってくる。

逆回転させると1周ごとに1歳若返る回転木馬、鏡の迷路に潜む何か、ダーク団長の身体じゅうに彫られた不気味な刺青、フリークス、盲いた魔女。仲がよかったはずのウィルとジムの間にわずかに生まれる微妙なズレ。彼らはサーカスの秘密を知りダークから追われる身となる。サーカス団が運んでくる非日常の空気を背景にした、よくある不気味なホラー、ファンタジー活劇にも見えるが、ブラッドベリが描いて見せるのはその奥にあるもの。

何十年かに一回町にやってくるサーカス団が携えているものは確かに「何か邪悪なもの」であるが、それは決して町の外からやってくるのではない。それはもともとジムやウィルの心の中に潜んでいるものであり、サーカス団はただそれを呼び覚まそうとしているのに過ぎないのだ。その誘惑に負けた者はサーカスに囚われ、永遠に町から町へと彷徨うことになる。ファンタジーでこそ描ける成長期の心に兆す不安やきしみを表現した名作だ。



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