logo 時間飛行士へのささやかな贈物


1977年にジョン・ブラナー選によって刊行された短編集「THE BEST OF PHILIP K. DICK」の訳書(二分冊の下巻)。この短編集は1983年にサンリオSF文庫から翻訳が出版されているが現在は絶版となっており、本書は1991年にハヤカワ文庫から訳を改めて新しく刊行されたもの。1950年代と1960年代の作品が各々4編、70年代の作品が1編と、ほぼ年代順に編まれたオリジナルの後半部分を収録している。尚、二分冊の上巻は「パーキー・パットの日々」のタイトルで同じくハヤカワ文庫から刊行、オリジナルの前半部分を収録している。

 

The Father-thing 父さんに似たもの 1954 大森望・訳

仁賀克雄訳「パパそっくり」(「人間狩り」収録)と同一作品の異訳。
 

Service Call アフター・サーヴィス 1955 大瀧啓裕・訳

仁賀克雄訳「サーヴィス・コール」(「人間狩り」収録)と同一作品の異訳。
 


 

Autofac 自動工場 1955 大瀧啓裕・訳

核戦争によって文明が破壊された未来の世界。地下の自動工場が物資を生産し供給しているが、そのために貴重な天然資源は使い尽くされ、人間は独自の生産活動を再開できずにいた。自動工場にメッセージを伝達する手段は戦争によって失われてしまい、自動工場は自らの判断によって無駄な生産を続けているのだ。やがて、枯渇しつつある資源を巡って自動工場どうしが戦いを始める。そして破壊されたと思った自動工場は、自ら新たな自動工場の「タネ」を作り始めていたのだった。自ら増殖する機械の悪夢である。
 

Human Is 人間らしさ 1955 友枝康子・訳

ジルの夫レスターは冷たい男だ。子供にも動物にも共感を示さない。冷酷で無感情、仕事第一だ。だが、レクサーIVへの出張から帰ったレスターは別人のようだった。妻には愛情深く、円満で、悠然として、寛容だ。レスターはレクサー人に乗っ取られていたのだ。レクサー人を摘発するため警察に赴いたジルは、しかし、レスターには何の変化もないと答える。ジルには以前のレスターより、レクサー人の方が好ましいのだった。途中から落ちも察しがつくが、書き込みが丁寧なので作品としては落ち着いて読める。
 

If There Were No Benny Cemoli ベニー・セモリがいなかったら 1963 大瀧啓裕・訳

核戦争後の荒廃した地球に、ケンタウルス都市復興局からの使者がやってきた。文明を復興する一方、戦犯を処罰することが目的だ。だが、彼らが接収した恒常性機能を持つ新聞社ニューヨーク・タイムズは、実在しない反政府運動の記事を掲載する。混乱する当局者。反政府運動の首謀者とされるベニー・セモリとは何者なのか。彼は実在するのか。「恒常性機能を持つ新聞社」、どこかで進行しているあり得ないもう一つの現実。ディックが得意分野を凝縮した作品。落ちがショボくて笑えるが、アイデアは悪くない。
 

Oh, To Be A Blobel! おお! ブローベルとなりて 1964 浅倉久志・訳

他の星系から火星に移住した単細胞アメーバのブローベル。マンスターはブローベルとの戦争で敵方に潜入するためブローベルになる処置を受けたが、その後遺症で戦争が終わった今も、一日のうち何時間か、自然に「ブローベル化」してしまうのだった。彼は同じように一日に数時間「人間化」してしまうブローベルのヴィヴィアンと結婚するが、生活はやがてすれ違い…。マンスターは完全なブローベルに、ヴィヴィアンは人間になってしまうという結末は、冷戦構造的で予想可能なものではあるが示唆的で説得力はある。
 

Faith Of Our Fathers 父祖の信仰 1967 浅倉久志・訳

ハノイが政治の中心となっている未来の世界。党職員の董は出世のチャンスをつかんでいる。ある日、彼の前に謎の薬売りが現れるが、その薬売りから手渡された薬を服用して「人民の絶対の恩人」をテレビで見ると、それは人間とは思えない異界の生物に見えてしまう。そしてその薬は、幻覚剤ではなく、幻覚を醒ます薬なのだと教えられる。すると「恩人」の正体は何なのか。「テレポートされざる者」の後半部分の原型と考えられる他、神の顕現を見る点で他のいくつかの長編とも通底している。難解だが重要な作品。
 

The Electric Ant 電気蟻 1969 浅倉久志・訳

会社社長であるプールは、ある日乗っていたスクウィブの事故で片腕を失う。そして初めて自分が人間ではなく精巧なアンドロイド、「電気蟻」であることを知る。自分の記憶のあらましは後から与えられたものであり、周囲の人たちはそれを知りながらそれを黙っていたのだ。さらに彼は自分の体内に現実認識装置があることを知る。それを一時的に遮断すると、自分にとっての現実は消えてなくなるのだ。その装置を完全に切断したとき、周囲の現実そのものが消え始める。いかにもディックらしい現実感覚の作品。
 

Little Something For Us Tempnauts 時間飛行士へのささやかな贈物 1974 浅倉久志・訳

国家プロジェクトとして計画された時間旅行。時間飛行士のアディスンらは、しかし、元の世界への彼らの帰還が失敗に終わることを知っている。彼らは未来への旅行の途中でより近い未来に現れ、彼ら自身の葬送に参加することになる。アディスンは、自分たちが、そして世界が、この無限の時間ループに捕らわれているのではないかと考える。同じシーンを何度も経験した感覚、ひどい徒労感、ループを終わらせるにはタイムマシンに異物を持ち込むしかない。論理的には破綻しているが文学作品としては完成度の高い作品。



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