silverboy club presents disc review



さよならなんて云えないよ
小沢健二


1995.11.8
東芝EMI / TODT-3630

■作詞・作曲・編曲:
小沢健二
●さよならなんて云えないよ
●いちょう並木のセレナーデ
 LIVE AT BUDOKAN
●さよならなんて云えないよ
 (オリジナル・カラオケ)

「神様はいると思う?」「うん、もちろん」

冬の帰り道、ターミナルで20分待ちのバスをあきらめて僕は歩き出した。足元は履き慣れた運動靴だったし、荷物はリュックだったから僕は小学生のように両腕を通してしっかりと背負った。コートを着こんでいたので寒くはなかった。むしろ顔に当たる冷たい風が気持ちよかった。

大またで足早に、夜の京都の街を僕は30分以上歩き続けた。途中でバスが僕を追い越していったけど、そんなことはどうでもよかった。風を切って歩くこと自体が楽しかった。それは大学生から社会人になろうとする困難な時期のことだったけど、あのとき頬に当たる風の冷たさは、まるでその一瞬を無前提に信じることができるくらい僕を強く鼓舞していた。

神様はいる。そのような、心が舞い上がる一瞬に、神様は現前する。それはもちろん白いローブをまとって杖を持った老人ではなく、ましてや寄付やお布施の多寡で願いを叶えたり叶えなかったりするようなご都合主義的な超越者でもない。それはあまねく森羅万象を同時に俯瞰できる「視点」そのもののことだ。その意味で神は本質的に価値中立的で非言語的な存在でしかあり得ない。それはただそこにあるものをただそこにあるものとしてただそこにあらしめるだけの永遠であり無限だ。そのような視点の存在を信じるという意味において、僕は神を肯定する。

しかしそのような視点の存在を信じるということは、とりもなおさず僕たちの生の不完全さ、有限さを認識するということに他ならない。そして、それはそのように不自由な存在として不完全な関係の中でしか生きることのできない僕たちのコミュニケーションの不全に絶望することでもある。逆に言えば、そのような絶望を受け入れることなしに、僕たちは神が現前する瞬間の輝きを知ることはできないのである。

「左へカーブを曲がると光る海が見えてくる」と小沢健二は歌う。小沢は自分が「二度と戻らない美しい日にいる」ことを知っているし、「静かに心は離れて行く」ことも分かっている。「オッケー」はただの強がりだということも自覚している。しかしそれでも小沢は光る海が見えてくるその瞬間が永遠に続くことを信じようとする。それは「天使たちのシーン」で「神様を信じる強さを僕に」と歌った時とも、「ある光」で「神様はいると思った」と言い切った時とも同じ、人間存在に対する本質的な絶望に立ちながら、それでもなおどこかに残されたはずの「信じるに足るもの」を、自分の内側に、まるで目を閉じなければ見ることのできないまぶたの裏の残像を見ようとするように探しているということなのだ。

困難な時代にあって小沢がこのように歌い続けて行く限り、僕たちはそこに向かい合わざるを得ない。なぜならもはやここには何の解決もあり得ず、ただ僕たちは思いがけない瞬間に神が現前するような日々の泡の中にこそ最終的な救済を求めざるを得ないからだ。頬を切る冷たい風、カーブを曲がった瞬間に見える光る海、ビルの先まで届く霧、それらこそが僕たちの手にできる本質のかけらであり、「美しさ」であるからだ。そして、なぜならそのようなやり方で、小沢は僕たちにとっていつまでも切実な問題であり続けるからだ。



小沢健二 フリッパーズ・ギターの片割れ。解散後93年にソロ・アルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」で活動を再開。これまでにアルバム「LIFE」、ミニ・アルバム「球体の奏でる音楽」、及び多数のシングルを発表している。


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