logo 1998.3.28 大阪フェスティバルホール


SCRATCHより親愛なるSilverboyへ 元気にしているかい?

長丁場だったTHE BARN TOURもついに大詰め、大阪公演を迎える。大阪のライブは、佐野元春の体調不良による公演延期さえなければツアーファイナルとなるはずだったものであり、土日である28、29の両日はそれを考慮してか開演時刻も早められている。

君には以前に話していることだけれど、僕は昨年10月の「アルマジロ日和」の時も大阪のライブを観に来ている。「大阪のライブは凄い」と世間一般ではよく言われるが、僕はその時、ハッキリいってその意味がよく理解できなかった。確かに客席の男性比率が東京より若干高いような気がしたけれど、ノリとしては東京と比べてどうというほどのものは感じなかったんだ。

だが今にして思うと、そんな僕は大阪をすっかり見くびっていたようだ。

この日の1曲めは「ぼくは大人になった」、そして2曲めは「君を探している」だった。君も知っているとおり「ぼくは…」は曲のほとんどが抑揚の無い、ラップに近いような唄いまわしの曲だし「君を…」は初期の佐野に特有の字余り的な唄い方が全編にわたってつらぬかれている曲だ。どちらにしても佐野の曲の中ではかなり唱和しづらい曲と考えていいと思う。それなのに、僕の隣りも後ろも、そんなことは一向にお構いなくどんどん唄っている。僕もかなり唄いまくっている方だと常々自負しているが、ここには僕に優るとも劣らない、唯我独尊状態の歌い手がそこここに点在しているんだ。

そしてさらに僕が驚いたのは3曲め、「ヤング・フォーエヴァー」の時だった。僕はこの日、地元大阪の人に席番を言ったら恨まれてしまいそうなほど前方の席にいたんだけど「マグネシウムの街が燃えはじめて…」佐野が唄いだした瞬間、僕は後ろから何かに押されるような気がしたんだ。背後から何だか凄い圧力を感じる。僕にはそれが何であるかすぐに判った。歌声だ。会場中が大声で唄っている声に後ろから押されている感じがするんだ。

「これが大阪か。これが大阪のライブというものなのか……。」
僕はみんなが言う「大阪のライブは凄い」の意味がようやく解った気がした。「アルマジロ日和」でいまひとつそれが実感できなかったのは、基本的に未発表曲ばかりという特殊なライブ形態だったからで、おそらくあれが本当の大阪の姿ではなかったんだ。

でも、僕は正直言って嬉しかった。なぜなら、今まで12回経験したこのツアーのライブで、この曲がここまでの大合唱になったのは僕が憶えている限り初めてのことだったんだ。確かにこの曲の場合「ドクター」などに比べ、大部分の会場でオープニングナンバーとしてステージ構成上最も唱和されにくい位置におかれていたという不利があったことは否めない。しかし仮にもシングルナンバーだ。しかも先行シングルとしてアルバムよりひと月も早くリリースされていたにも拘わらず、会場中が歌声で満たされることがないのを僕はいつも淋しく思っていたんだ。この会場をファイナルに選んだ佐野の選択は、もしかすると大正解だったかもしれない。

ところでSilverboy、僕が以前のメールで佐野が言った「クルクル、パンパン」という言葉を紹介したのを憶えているかい?この言葉は、この曲の間奏でステージと客席のコミュニケーションを図るために使われるある動作を指しているんだ。

「ドライブ」

この曲が演奏されるのは「ドクター」の直前、ライブもそろそろ中盤のヤマに差し掛かろうかというタイミングだ。KYONのテレキャスターからはじき出されるリズムを基本に、それぞれが演奏の中に楽しい"遊び"を入れながらハイウェイを突っ走る車のように爽快にすっ飛ばしていく。

例えば、小田原の叩き出すリズムパターンは毎日少しずつ違っている。アクセントの位置も日替わり定食のようにどんどん変わっていくのだが、井上はそんなことは全く意に介していないようで、こちらも日によって縦にノッたり横にノッたり、時にはぴょんぴょんと小さく飛び跳ねてみたりしながらしっかり全体のグルーヴを取り仕切っている。西本は相変わらずの表情でゆったりやっているように見えるが、なかなかどうして、イントロでウーリッツア・ピアノ、曲中はオルガンにタンバリンと後ろで孤軍奮闘している。そしてそんなアンサンブルの上を、佐橋のボトルネックがまるでサーフィンでもしているかのように心底楽しそうに滑っていくんだ。

灯りを消して 種まきをしよう
ありふれたその素朴な 仕草がすてきだよ

佐野が野犬の遠吠えをまねるかのように「アオォォォ−−ン」と吠えるのを合図に演奏がいったん停止する。するとKYONが、ステージ上を右へ左へとギターを弾きながら歩き回り始め、フロント3人は手拍子でそれに追随する。そして…

KYONがギターを弾く手を止め手拍子を始めると、手拍子のパターンがいきなり変化する。「クルクル、パンパン」とは実は、ここの手拍子のことを言うんだ。
手拍子は2小節1組で2,4,6,8拍めに入り、6拍めだけが変則的に8分音符の2度打ちになる。その6拍めの直前にフロント4人はみんなで、両手を目の前でクルクルと回してみせるんだ。ちょうど柔道の"教育的指導"のようにね。

この手拍子、もともと初日の横須賀ではKYONがひとりで踊りながらやっていたものだったんだ(手拍子の合間に手をクルクルやるのは彼の手癖ようなもので、よく見ていると他の曲でも時折、勝手にひとりでやっている)。その時、楽しそうに手を回すKYONを佐野が興味深げにじっと見ていたのには僕も気づいていたんだ。そうしたら次の相模大野のステージではフロント4人で客席に向かい、揃って「クルクル、パンパン」ときた。きっと佐野が初日の終演後にでも、あれはぜひみんなでやろうと提案したに違いない。それ以来「クルクル、パンパン」はこの曲のスタンダードな手拍子として、そしてステージと客席をつなぐ大事なコミュニケーション・ツールとしてすっかり定着してしまったというわけなんだ。

そしてこの日の「クルクル、パンパン」は実に圧巻だった。何といっても「君を探している」を熱唱してしまうようなオーディエンスだからね。こんなおもしろい遊びに反応しないはずはない。ぴたり揃った3千人弱の手拍子を目のあたりにした佐野の嬉しそうな顔を、君にもぜひ見せてあげたかったよ。

もっとも佐野を喜ばせるために実は、オーディエンスも陰で努力しているんだ。開演前、僕と同じ列にはこの「クルクル、パンパン」を懸命に練習している人がいた。それは大変微笑ましい光景だった。果たして本番、彼は佐野と楽しい時を分け合うことができたのかな?僕は自分の「クルクル、パンパン」に夢中で全く見ている余裕はなかったんだけどね。

僕は大阪のライブが大好きになった。このノリは僕の性に合っているみたいだよ。明日はファイナル。今日よりもっともっと、すてきなライブになりそうだ。

それじゃ。また明日。


親愛なるSCRATCHへ メールどうもありがとう。

「クルクル、パンパン」、早速キミの説明をもとに試してみたけどなかなかうまく感じがつかめない。今度会ったときに教えて欲しい。

大阪は僕の生まれた街だし、僕はこれまでのほとんどの佐野のライブを大阪で見ているので、それが他の街のライブとどんなふうにおなじでどんなふうに違うのかよくは分からないけど、キミが僕の街をほめてくれたようで何となく嬉しいよ。

僕は明日から4連休だ。今日は仕事も適当にやっつけて早く帰ってきた。帰りにガソリン・スタンドに寄って満タンにもしてきた。ドイツに帰ってくるのは月曜日の夕方になると思う。その間にまたキミからの新しいメールが届いていることを期待している。

Silverboy



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