logo がんばってください


「がんばってください」と言ってはいけないのだそうだ。既にいっぱいいっぱいがんばっている人にしてみると、これ以上何をがんばれというのか、と感じられるのだとか。どれだけがんばってるかも知らないで、簡単に「がんばって」なんて言わないで、と。そういう人たちにとっては、安直な「がんばってください」は非常に配慮に欠けるNGワードだというのである。

まあ、その気持ちは分からないでもない。僕だって仕事で何かとんでもない事態が発生し、その後始末にバタバタ走りまわっているときに、事情を何も知らない人から「大変そうだね、がんばってね」と言われても「ケッ、こっちは忙しいんだよ、何にも知らないクセに適当なこと言ってんじゃないよ」と思ってしまうかもしれない。

だけど、それは僕に余裕がないというだけの話であって、「がんばって」という励ましに罪がある訳じゃない。困っている人、大変そうな人に一声かけてやりたくなるのは人情だし、そのときに「大変だろうし僕には何もできないけど、しっかりがんばってね」とエールを送るのは自然な感情だと思う。「がんばってください」が禁句なら、そういうとき僕たちは何と声をかければいいというのか。

だいたい、その人はだれかに「がんばって」と言われればがんばり、「がんばるな」と言われればがんばるのをやめるのだろうか。そんなはずはないと僕は思う。がんばるかどうかは結局のところ自分自身の問題であり、何をどこまでがんばるかはあくまで自分の責任だ。だれが何と言おうとがんばるべきものはがんばるのだし、これ以上はがんばれないと自分が思えば自分の責任においてケツをまくる。それだけのことなんじゃないのか。

そういう覚悟、そういう割り切りがあれば、だれかが「がんばって」と言おうが「もういいよ」と言おうが、そんなことは本来どうでもいいというのが分かるはずだ。そんなのは「はいはい」と聞き流しておけばいいじゃないか。そんなもので楽になったりしんどくなったりするほどあんたのがんばりは他人任せだったのか。自分のがんばりくらい自分で責任持ってやって欲しいと僕は思う。

もちろん、弱っているときにだれかの一言で救われたとか、逆に無神経な言葉がグサッときたという経験はだれにでもあるだろう。配慮のない言い方が人を深く傷つけることもよくある。しかし、それはそれを口にする人と自分とのごく個人的、個別的なコミュニケーションの問題に他ならない。「がんばってください」という言葉には人を勇気づける力があり、本来は罪のない重宝な修辞のはずだ。僕たちからこの美しい言葉を奪わないで欲しい。



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