なぜ切るのか 兄が妹を殺したり、妻が夫を殺したりして、その遺体をバラバラにする事件が立て続けに起こったせいで、何だかひどい猟奇事件みたいな言われ方をしている。確かに、家族を殺すだけでも我々の日常感覚からは信じられないのに、その遺体をバラバラに切断するなんて、あり得ない、異常、そう考えるのは分からないことではない。 だが、彼らが家族に対する激しい怒りに任せて、意味もなく遺体を切り刻んだと考えるのはたぶん正しくない。そう、彼らは決して遺体を弄ぶことに悦びを感じる死体愛好者や異常性欲者ではなかったはずだ。彼らだって遺体を切りたくて切ったのではない。切るしかなかったから切ったのだ、おそらく。 目の前に妹の、あるいは夫の遺体がある。このままでは自分が妹を、あるいは夫を殺したことは容易に露見して自分はその罪を償わなければならないことになってしまう。もちろんそこで警察に出頭することは重要な選択肢だ。そうするべきだ。だが、ここで彼らは罪を隠すという選択肢を採ってしまった。そうすることに決めた以上、そこには大きな問題が発生する。この遺体をどうする? と。 もちろん遺体をこのままにはしておけない。里帰りしている家族はいずれ帰ってくる。夫婦二人の部屋であっても遺体はやがて腐敗する。遅かれ早かれ隠しきれなくなることは目に見えている。何とかしてこの遺体を「処分」しなければならない。どこかにやってしまわなければならない。だが、大人の遺体は簡単には動かせない。よほどの力自慢ででもなければ、ひとりで持ち運びをすることはとても難しいのではないかと思う。 そこで彼らはひとつの結論にたどり着く。切るしかない、と。持ち運べるくらいの大きさに分割すれば何とかここから外に持ち出せる。そうすればどこかに捨てることができる。もちろん遺体を切れば血も出るだろう。そんなことは自分だってやりたくない。やりたくはないがこのままここで遺体が腐乱するのを座して待つ訳には行かない。そんなことをすれば身の破滅だ。やるしかない。やるのだ。 これは何も僕ひとりが勝手に言っていることではない。バラバラ殺人の大半が、遺体の隠匿・処分という現実的必要からなされることは一般に認められていることであり、今回の二つの事件も報道される事実を見る限り、その文脈で理解ができるはずである。にもかかわらず、彼らがいかにも異常なことをしているかのような扇情的な扱いをすることは、これらの事件を特殊な犯人の特殊な行動として僕たちの彼岸に追いやりその本質を見えにくくするリスクがあると僕は思う。 ま、確かに人を殺している時点で異常は異常なんだけど、遺体を切り刻んだことを殊更に取り上げて、猟奇的、扇情的に騒ぎ立てるのは僕としては違和感ある。いや、メディアが扇情的に騒ぎ立てるのはいつものことだとして、それで何か分かったような気になるのが危険だということなのかもしれないけど。 2007 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |