オウムとは何だったのか
オウム真理教の教祖であった麻原彰晃こと松本智津夫の死刑が確定した。控訴趣意書が期限までに提出されないので審理が打ち切られるという異常事態であり、その是非については議論もあり得るだろうが、死刑という結論自体は予想されていたことであり、驚きはないと言っていい。 だが、その一方で、この裁判によって何一つと言っていいほど事件の核心が明らかにされなかったことへの苛立ち、批判はある。裁判は終わり、松本は死刑になった。しかし、あの日、あの時、そこで何が起こったのか、地下鉄サリン事件を初めとして何人もの命が失われた一連のオウム事件はなぜ起こったのか、それは結局松本の口からは語られず、松本の刑がこのまま執行されればそれを聞く機会は永遠に失われてしまう。 もちろんそうした声も理解できないではない。刑事裁判では一般に事案の真相が解明されるべきものだし、その上で被告人が裁かれるものと相場が決まっている。教壇が摘発され、松本が逮捕されたとき、多くの人はそこで起こったことの真相を知りたいと思ったはずだし、裁判を通じてそれが明らかにされるはずだと思っただろう。それは無理もないことだ。 しかし、それでは、この事件の「真相」とは何だろう。だれかが指示をしてだれかがサリンを製造し、だれかがそれを地下鉄に持ち込んでまき散らかしたということだろうか。あるいはだれかが指示をしてだれかが坂本弁護士のマンションに押し入り、だれかが家族を殺して山の中に遺体を埋めたということだろうか。そういう「事実関係」を僕たちは知りたかったのだろうか。 僕たちが松本の口から聞きたかったのはそんな「事実関係」の確認ではなかったはずだ。そうではなく、あれは何だったのか、なぜあんなことが起こり得たのか、そして麻原彰晃とは何者だったのかということではなかったのか。だが、そうだとすればそれは裁判なんかで語られ得る性質のものだったのだろうか。 オウム真理教は俗世からの解脱を願い、出家修行することを中心的なテーマとする宗教団体である。彼らの考え方を突き詰めれば、俗世のルールはそもそも省みるに値しないものだったはずではないか。だとすれば、僕たちが依拠しているシステムの外に何とかして抜け出そうとした集団の中心にいた人物が、そのシステムの最たるものである裁判で「実はあれは…」と語り始めると期待する方が呑気だというものだろう。 刑事裁判というのはあくまで刑法に載っている罪を裁くものだ。だが、この事件はそうしたひとつひとつの「法律違反」としての側面だけを裁いても何も解決しないのだし、それは初めから分かっていたことだ。僕たちがこの事件を本当に「解決した」と実感するのは、この事件が僕たち自身とどこでどうつながっているかが明らかにされたときになるだろう。そしてそれは裁判の仕事ではなく、むしろジャーナリズムや宗教学、哲学の仕事のはずなのだ。 そしてそれを最終的に判断するのは僕たち自身の仕事に他ならない。オウムが内包しているグロテスクで危険なモメントに呼応するものは、僕たち自身の中にも確実に息づいているはずだ。自分が何かのはずみであの中にいたら何をしでかしていただろうかと考えること、自分が今いるこの社会も多かれ少なかれオウム的な何かをその内に含んでいるのではないかと疑ってみること。裁判だか何だか知らないが、だれかがどこかで勝手に「解明」してくれるほどこの事件は生易しいものではないのだということを僕たちはこの機会にもう一度思い出した方がいい。 (書評「オウム−なぜ宗教はテロリズムを生んだのか / 島田裕巳」) 2006 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |