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格差社会がいいか悪いかなんて、格差の上の方にいるか下の方にいるかで当然見方も変わってくるだろうし、みんな自分を基準にモノを言ってるんだろうから意見なんてまとまる訳もないと思うけど。

僕自身は、1億人以上もいる日本人がみんな大体同じような水準の生活をしていることの方が異常だと思うし、それはつまり一所懸命働いてしっかり稼いでる人の上がりを稼げないヤツらがかすめ取っているということだと思うので、稼げる人は稼ぐ、そうでない人はきっちり飢えるという社会が本当は正しいと思っている。これまで日本でそんな「弱者による強者への搾取」がまかり通っていたのは、そうやって全体のレベルを保ちながら稼いでる人にもそれなりの処遇をする力、つまりは護送船団を維持する力が社会全体にあったからに他ならない。

それはメンタルな面でいえば「真面目に一所懸命働けば生活はよくなる」という「希望」とか「夢」がある程度保障されていたということだし、物質的な面から見ればその「希望」や「夢」を支えるだけの経済成長が実際に達成できていたということだ。ところが社会が安定成長期に入り、いや、それどころかバブル以後の長いデフレを経験し、社会全体の高齢化もあって、みんなで一緒にハッピーになることが経済的に無理になってしまった。そのことがようやくみんな分かってきただけのことなんじゃないのかな。

そういう意味ではどっちにしても格差社会の到来は避けられない。それはもう選択の問題でも良し悪しの問題でもないのだ。もしどうしても格差が生じることを避けたければみんなで一緒に貧乏になるしかない。一所懸命働いても給料は思ったほど増えず、起業して成功しても高い税金を取られて、年寄りの年金だの低所得者の生活保護だのに使われてしまう。平均して水準の低い生活。格差のない社会がいいという人たちは、本当にそんな生活を望んでいるのだろうか。

もちろん格差社会では最底辺が飢えて死なないようにミニマムの救貧政策は不可欠だ。治安の悪化も覚悟しなければならないし、社会防衛のためのコストは今より増えるかもしれない。そしてその格差が世代を超えて固定しないように教育の機会は保障されなければならないだろう。だが、いずれにしてもこれから我が国で所得や教育水準にこれまで以上の格差ができて行くのは避けられないことだ。それがいいか悪いかなんて議論はやるだけムダ、まあ、その、品の悪い言い方をすれば仕方なくやる前戯みたいなものなのだ。

長かったデフレはいずれ終わるかもしれない。だけど、働かない者、できない者までを落ちこぼさないように丁寧に拾い上げ、全体としてそれなりの生活水準を維持できた時代、できる者もできない者もみんなで一緒にそれなりの「ハッピー」を謳歌する社会はどのみちもう維持できない。そのような時代にあって、社会を転がして行くエネルギー、モチベーションを確保し、維持するためにはダイナミックな格差、落差の存在を認める他ない。僕たちが今やるべきこと、それは自分が飢えないように、自分の身を自分で守ることだ。ていうか、そんなことは本当は「格差」とは無関係に初めから当たり前のことだったはずなんだけど。



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