logo せっかちな世界


尼崎での脱線事故以来、とにかくJR西日本ネタなら何でも大々的にニュースになっちゃう昨今である。事故を起こした電車に乗り合わせたJRの職員が救助活動もせずにそのまま出勤したとか、その日の日中に別の部署ではボウリング大会をやっていたとか。ボウリング大会を「不祥事」と決めつけてしまえるプレスの想像力にはいつもながら感服するが、あれだけの大事故の直後なのでそれもまた仕方ないのかもしれない。こういうときはとにかく頭を低くして嵐が過ぎ去るのを待つに限る。どうせ1ヶ月もすればたいていの人の関心は次のニュースに移っているんだろうから。

ところでどうも僕が気になるのは、JRが定時運行を重視するあまり過剰なダイヤ遵守を運転士に強いていたという批判である。運転士がオーバーランの遅れを取り戻そうと制限以上の速度でカーブに突っこんだのは1分の遅れも許さない厳しいプレッシャーを受けていたからであり、他社との競合上ダイヤもギリギリまでスピードアップを図っている、こんな状況では少しの遅れを取り戻そうと無理な「回復運転」をした結果、大事故に至るのは自明である、JRは安全よりも収益を優先している、といった類の議論である。

なるほど、それは確かにそうだろうと思う。事故当初の運転士を責めていた論調からすればまだこの方が物事の核心には近づいていると思う。そりゃ運転士も個人的に好きでスピードを出していた訳ではないのだろうから、そんな運転をせざるを得なかった背景をきちんと考えるのは悪いことではないかもしれない。

だけど、そこまで考えたのなら、もうちょっとだけ先まで気がついてくれないかな。どうしてJRはそんなムリムリなダイヤを組まなければならなかったのか。どうして1分程度の遅れにそこまでナーバスにならなければならなかったのか。いったいそれはだれのせいなのか。

僕は毎日電車に乗っている。電車は時間通り駅にやってきて、時間通りに目的の駅に着いてくれる。たまに事故か何かで少しばかり電車が遅れると僕はすごく不快になる。遅れなんてたいていはせいぜい10分以内程度のものだと思うんだが、それでもたぶん文句を言ったり抗議したりする人はたくさんいるのだろう。連絡する電車が遅れて発車を待っていたりすると、きっと怒りだす人もいるのだろう。なにしろ我々は、分刻みのスケジュールで物事が計画通りに運ばないと気がすまない、世界でも有数の几帳面でせっかちな民族なのだ。

我々は安全第一ですから遅れが出てもスピードを上げて回復したりはしません、2分や3分の遅れを取り戻すことより安全運行の方がよっぽど大切です、と言って日常的に2分や3分遅れる鉄道にあなたは好んで乗るだろうか。同じ区間をきちんと定時運行している競合路線があっても遅れる電車に乗り続けるだろうか。僕は自信がない。いや、まさか自分の乗った電車が事故に遭うなんてことはないだろうと思って競合路線の方に乗り換えるかもしれない。

JRの強迫観念的な定時運行を批判するのであれば、僕たちはまず、秒刻みの正確さを求めたり、1分でも早く目的地に着くために乗換検索ソフトを駆使して路線を選んだりする僕たち自身の強迫観念的な几帳面さ、せっかちさを自己批判しなければならない。安全のためなら2分や3分電車が遅れてもブーブー言わない鷹揚さを身につけなければならない。一方でわずかな遅れに苛つき、毒づきながら、他方で回復運転は安全軽視だと腹を立てるのはどこかおかしいし、そんなの、JRの人だってどっちの意見を聞けばいいのか分からないだろう。

外国では90秒なんて遅れのうちには入りません、なんて呑気な記事も読んだけど、そんなこと調べてるくらいなら、どうして日本では90秒の遅れすら社会的に許容されないのかをきちんと説明して欲しい。そういう記事は、電車なんて5分や10分遅れて当たり前、というドイツみたいな社会でも本当にいいと思うか、通勤のサラリーマンに訊いてから書けって感じじゃないの。運転士を回復運転に駆り立てたのは、結局のところ僕たち自身のせっかちさなんじゃないのか、と自問しなければ何も解決しないと僕は思う。



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