logo 珍名さんいらっしゃい


人名漢字案、批判集中の数十字削除へ 「糞」「屍」など (朝日新聞 2004年7月9日)

名前に使える人名用漢字を578字増やす見直し案を法務省が6月に公表したところ、市民から1000通以上の意見が寄せられ、その6割以上が「一部の漢字は名前にふさわしくない」と懸念を示していることがわかった。8日現在、反対意見が多かった漢字のワースト5は、「糞」「屍」「呪」「癌」「姦」。法務省は、市民の意見を尊重し、批判が集中した数十の漢字を削る方針だ。


船の名前にどうして「丸」がついているか知っているだろうか。諸説あるが、有力な説の一つは、大事な船を荒れ狂う海神から守るため、人が嫌う汚い字を名前の後ろにつけたのが起源だという。そう、「丸」は「おまる」の例からも分かるように、もともと汚物、排泄物を意味する言葉である。そうした不浄な名前を船につけることによって、海神がこの船を嫌い、近寄らないように祈ったというのだ。

人の名前もまた然り。例えば伊達政宗の幼名は梵天丸だし、織田信長は我が子に奇妙丸という幼名をつけた。幼名に「丸」をつける習慣もまた、子種が貴重で幼児の死亡率も高かった時代、わざと嫌われるような字を名前に使うことで、子供をさらうと信じられていた悪鬼を遠ざけようとしたことからきたのだと言われている。今、わざわざそんな名前を子供につけようとする親も少ないだろうと思うが、子供にわざと汚い名前をつけていた時代も我が国にはあったということ。

要は子供の名前のコンセプトなんて所詮相対的なものなんだし、どんな字が名前に「ふさわしい」かなんて主観的な判断に過ぎないということだ。子の名前は親が自分の責任でつけるもの。どんな珍妙な名前でも不吉な名前でも、彼らが勝手に判断してつければいいだろう。自分がふさわしくないと思うならそんな字は自分の子供の名前に使わなければいいだけの話だ。ふさわしくないという自分の価値判断で他人の自由な意志決定を束縛してよいと思っている「市民」が600人以上もいるというところが何ともおそろしいファッショな日本である。

そんなに他人の名前が気になるなら、最近の小学校なり幼稚園なりのクラス名簿でも眺めてみればいい。いくら人名漢字を制限しても珍名、奇名はいくらでも創造できるということがよく分かる。このサイトでも紹介した金原克範の「『子』のつく名前の女の子は頭がいい」という本では、「子」のつく伝統的な名前の女の子は、「子」のつかない現代ふうの名前をつけられた子供に比べて成績がいいと主張する。もちろん「子」を名前につければ自動的に頭がよくなる訳ではない。現代的な名前を好む親はメディアに容易に影響される傾向の強い人たちであり、そのような人たちの遺伝子を受け継いで生まれそのような人たちに育てられる子供と、そうでない子供との間には、統計的に有意な成績の差が生じるというのである。

自分の子供にアホな名前をつけるアホな親から生まれ、そのアホな親に育てられる子供はやっぱりアホになる、ということである(別に「子」のつかない女の子の名前が全部アホな名前だと言っているわけではない)。真偽はともかく、凝った名前を子供につける親ほど子供を虐待しやすいという説もあるそうだ。過剰に凝った名前は子供への強い所有意識、支配意識の現れであり、それが裏切られたときには容易に暴力に結びつくというのだ。

いずれにせよ、自己責任が云々される昨今にあって、子供の名前に使う字を、その字は名前にはふさわしくないから国が規制すべきだというようなおめでたい人たちがまだまだたくさんいるのは驚きだ。「糞」やら「屍」やらといった字が名前にふさわしいかふさわしくないかを考えているヒマがあったら、大人になって赤っ恥をかくような名前をひらがなでつけられた子供のことを考えてやった方がいいのではないか。



Copyright Reserved
2004 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com